サチロス・コロスを探しに・・・

サチロス・コロスを探しに・・・

(記入/編集ちゅう、200302スタート)

ちょっとしたギリシャ旅行をしました。記録いたします。たいしたことではありません。

概要::旅行会社H.I.Sの『歴史探訪ギリシャ8日間』という旅行への参加である。ウチではこのところ目的地にアパートを借りて、二都市くらいを旅するというのがスタイルになってきたのだが、そこはギリシャ。ヤバイのではないかという心配から添乗員付きの旅行にした。参加費は一人当たり三十万円ほどだった。

どう見たってこれはギリシャ旅行の「お決まりコース」だろう。

テッサロニキ➡トリカラ➡デルフィ➡オリンピア➡アテネの順である。

 

この旅行への参加人数は十七名。内訳は一人参加の女子二名(二人とも三~四十台に見えた)、男子一名(後期高齢の方に見える)、男子ペア一組(二十台か。卒業旅行?)、夫婦六組(一組はウチ。一組は三十台の若夫婦。残り四組はウチと同じくらいの齢にみえた)の計十七人だ。

 

☚テッサロニキ空港でこのバスが待っていた。

始点はテッサロニキ。終点はアテネ。この間交通手段はすべてこのバス。運転手の名前はマチウス・カイサル。添乗員はオオタ・ハナコ。バスの座席は四十ほどあり、そこを十七人で使うのだからゆったりしていた。ウチとしては「地中海世界への旅」の一環だ。今回は地中海の下位分類のエーゲ海である。イオニア海もちょっと見たけど。

::『昔はこんな旅行で一緒になれば、それぞれが自己紹介をして、盛り上がったものだが、今はそういうことはないんですねえ・・・』と寂しがる人がその中にいた。なぜ添乗員は今はそういう事をしないと思うか?     ::①添乗員の性格による。②そういうことをするとそれをイヤだと思う人からの苦情が寄せられ旅行会社の方針としてそういうことは「しない」ことになっている。③その他。「その他」の場合あなたの考えを言え。     オレとしては②です。現代のそういう傾向のことを「クラスター化」といいます。人をクラスター化したものこそデジタルメディアでしょう。集団を(無理に)社会化しなくも(各人が)生きていける時代の意です。社会化されることを「イヤだ」と言ってもいい時代です。今それが通用する。一時代前はそんなことを言えば疎外(=仲間外れ)されました。「疎外」という脅しが通用しなくなった時代のことです。     「クラスター」は「集団」と訳されますが「気の合った者だけで作られる集団」の意です。そしてクラスターの成員は他のクラスターに何の興味もない。だからコミニケーションがない。ウチなんか家族としては夫婦二人ですが、この間までは共通のテレビを見たりラジヲを聴いたりしていたのが今ではそういう事がなくなりました。それぞれ別なクラスターの成員になってしまっています。)

 

 

では、ご紹介してまいる! 参ル。思い出しながら、だけどさ。

 

20-2/22(土)::(23゜00´)成田発(ターキシュエアラインズ)

 

 

20-2/23(日)::(遅れ時差六時間で現地5゜40´)イスタンブル着 ➡(乗り継ぎ)➡ (8゜20´イスタンブル発)テッサロニキ行き ➡ (遅れ時差一時間で現地8゜55´)テッサロニキ着

この街のガイドはテオドラというギリシャ女子だ。それが公務員かどうかは知らない。添乗員ハナコはその通訳っていう役回り。言葉はすべて英語。以後どの街でも同じ。・・・最後のアテネではちがっていたけど・・・。二人登場して、二人とも日本語で、日本人だった。そして、二人ともギリシャに来て四十年だと言っていた。その名はチヨコさんとアクツさんです。アクツさんなんか口に歯が二本しか残ってなかった。すごいぞ。

::四十年前って、あなたの四十年前がどんなだったか言ってみてください。(::オレの場合、三十歳になったころさ。まだ独身でね・・・。オット、いけない。身の上話を始めるところだった。あぶねえ。)

 

じゃあテオドラの案内でテッサロニキ観光行開始!

ホワイトタワー☛

::『テッサロニキがヴェネツィア共和国支配地域であった時代、初代の塔が存在したことが、1185年のテッサロニキ攻略を記したテッサロニキ総司教の記述に残っている。』『オスマン帝国時代(1299~1922)に港を囲む城壁を作るときに改築され、最初は砦として、後に牢獄として使われた。1912年にテッサロニキがギリシャ領になった時に塔は改修され、洗浄され白さを取り戻した姿から「白い塔」と呼ばれるようになった。』

問1::ベネチア共和国とはどんな国か。(::『現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家である。7世紀末期から1797年まで1000年以上の間に亘り、歴史上最も長く続いた共和国である。「晴朗きわまる所」や「アドリア海の女王」とも呼ばれる。東地中海貿易によって栄えた海洋国家であった。また、信教の自由や法の支配が徹底されており、元首の息子であっても法を犯せば平等に処罰された。(wiki)』・・・)

問1-1::「共和国」とはどういう制度の国か。(::・・・)

問2::オスマン帝国とはどんな帝国か。(::オスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープル(後のイスタンブール)を征服、この都市を自らの首都とした。17世紀の最大版図は中東からアフリカ・欧州に著しく拡大し、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリーに至る広大な領域に及んだ。・・・)

問2-1::「帝国」とはどういう制度の国か。(::・・・)

 

☚ガレリウスの門::『凱旋門はレンガ造りで、表面に大理石を張り付けた構造となっており、サーサーン朝ペルシアに対する勝利を記念する浮彫で飾られていた。現在、凱旋門の一部が残存している。298年から299年に掛けて建設され、298年に首都クテシフォンを攻め落としたことにより、サーサーン朝ペルシアに勝利したガレリウスを記念するために、303年に落成された。』

問1::「人が集まって棲む」時の最も小さな集まり方は何か。(::「家族」である。二人から可能だ。通常男女のペアである。そこに子が出来たり、縁者が同居したりすることもある。)

問1-1::「人が集まって棲む」時の最も大きな集まり方は何か。(::「国民国家」である。日本とか中国とかアメリカ合衆国などと呼ばれる。)

問2::人が集まって棲むとき、必要な施設を言え。(::「家族」の場合「住宅」、国家の場合「政治・行政・裁判」施設=「議事堂・省庁・裁判所」などが必要だ。)

問2-1::「凱旋門」はどのような「人が集まって棲む」集団が必要とした施設だと考えるか。(::戦争をする「都市国家」がそれを必要とする。戦争に勝って資材や奴隷やメカケを得たことを祝う施設である。「凱旋門」はあるが「敗北門」の話は聞かない。戦争では勝つことが重要だということを示す。)

 

 

アギオス・デミトリオス教会☛

::当日は日曜日で、教会はごったがえしていた。日曜礼拝だ。中で聖歌も歌われていた。日曜日の朝の教会って好きです。良い感じ。

『初期キリスト教建築であり、ギリシャ正教会の教会堂。創建は5世紀中期から後期』。

中に入ると地下があり、そこに入浴施設があった。ローマっぽい。ギリシャ最大のバシリカ式教会堂。

::「バシリカ式」って何ですか。(::ガイドのテオドラに訊いてみました。『柱列を使って廊下や広間などのスペースを作る様式のことです』とのことでした。)これがデミトリオス教会のバシリカ式教会堂です。たしかに柱列で広間と廊下を作っている。屋根の小屋組みは木造に見えますが実体はRC(=Reinforced Concrete=鉄筋コンクリート)だそうです。右の柱列の廊下奥に地下への階段がある。

ギリシャ正教では「東」が聖なる方向で、その方向を「上」にする。地下へ降りる階段も平面図の中に見える。

::「教会」とはどのような集団が必要とする施設だと考えるか。(::・・・)

 

テッサロニキ考古学博物館☛

::その辺の古代の墓を暴いた際に出てきた遺品を展示している。

これでテッサロニキの観光は終わりだ。

 

問1::「博物館」ってなに。誰がそういうモノを作って運営するのか。運営主体と運営動機を言え。(::ウチの近くには『サントリーウイスキー博物館』ってのがありますけど・・・。運営主体はサントリー株式会社で、動機はサントリーウイスキーの宣伝、ってことで願います。)

問1-1::『テッサロニキ考古学博物館』ではどうか。(::運営主体はテッサロニキ市で運営動機は観光資源涵養でしょう。ギリシャ国家からも補助を受けているもよう。観光国ギリシャですから。)

 

テッサロニキ観光を終えて、昼飯も食い、これからメテオラまで行くのだが・・・。マチウスの運転するバスのドアが「ピー」という警告音を出し始めた・・・。

ここで添乗員のハナコとマチウスが揉め始める。ハナコはアテネのH.I.Sに連絡をとって指示を仰ぐ。マチウスは何度か自分で警報をとめようとするがダメで、メテオラのメカに連絡をとる。結局ドア警報が鳴ったままのバスでメテオラまで行くこととなった。

途中オリンポス山(標高2,917m)とエーゲ海が現れるのだ。それがちょっと感動的。

オリンポス山

この山にゼウスをはじめオリンポス十二神が棲む。それは・・・

  1. ゼウス(ギリシア神話の主神たる全知全能の存在。 全宇宙や天候を支配する天空神で、人類と神々双方の秩序を守護・支配する神々の王)
  2. ゼウスの妻ヘーラー(最高位の女神である。ヘラ、ヘレとも表記される。その名は古典ギリシア語で「貴婦人、女主人」を意味し、結婚と母性、貞節を司る)
  3. ゼウスの娘アテーナー(知恵、芸術、工芸、戦略を司るギリシア神話の女神)
  4. アポローン(ゼウスの息子である。詩歌や音楽などの芸能・芸術の神として名高いが、羊飼いの守護神にして光明の神)
  5. アプロディーテー(愛と美と性を司る女神)
  6. アレース(戦を司る。 ゼウスとヘーラーの子とされる。本来は戦闘時の狂乱を神格化したもので、恩恵をもたらす神というより荒ぶる神として畏怖された。戦争における栄誉や計略を表すアテーナーに対して、戦場での狂乱と破壊の側面を表す。その性格も粗野で残忍、かつ不誠実であったとされる。)
  7. アルテミス(狩猟・貞潔の女神である。後にセレーネーと同一視され月の女神とされた。また、闇の女神ヘカテーと同一視され、三通りに姿を変えるものだとも考えられた。)
  8. デーメーテール(豊穣神であり、穀物の栽培を人間に教えた神)
  9. ヘーパイストス(雷と火山の神であった。後に炎と鍛冶の神とされた)
  10. ヘルメース(神々の伝令使。とりわけゼウスの使いであり、旅人、商人などの守護神)
  11. ポセイドーン(海と地震を司る神。最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇る)
  12. ヘスティアーゼウスポセイドーンハーデースヘーラーデーメーテールと兄妹。家庭生活の守護神。竈神)

である。どこかで聞いたことがあるような名前だが、誰が何なのかを知らない。

問1::神々が「住む、棲む」とはどういうことか。(答::・・・)

問1-1::神々が家族に擬せられて考えられ(=観念され・思われ)ているのはどういう訳か。(答::・・・)

問1-2::神々の間に婚姻関係や親子関係があるのはなぜか。(::・・・)

問1-3::日本神話ではどうか。(::・・・)

問2::文明の初期において人々が神話をもつのはなぜか。(::・・・)

問2-1::神話の機能を指摘せよ。(::・・・)

問2-2::現代においてその神話の機能を担っているものとして科学を考えてよいか。(::そう考えてよい。科学は機能において現代の神話である。)

問3::科学を超えたものの言い方を将来に構想しうるか。(::具体的にそれが何かを言えないが、神話の機能が科学に変ったように科学的にものを語ることは別の何かに変ると考えておくのがいいだろう・・・)

 

エーゲ海

『海の色に 染まる ギリシャの ワイン』とか歌い出しそう。

::この歌の続き知ってます? (::『抱かれる たび 素肌 / 夕焼けに なる』です。『桃色吐息』ですってば。)

 

その山と海は地図上、こんな配置です。E75を南に向かっています。道にマークのあるあたりからの景色でした。オリンポス山に登るツアーとかもあるようです。さっき来た山好きウメダ女史に勧めてみましたが「若い時はそんな憧れもありました・・・。今ではもうダメです・・・とほほ・・・」との事でした。

登ればいいののねえ。標高2,917m。みごとに輝く雪山でした。

 

 

20-2/24(月)③::トリカラ(ホテル Famissi Eden) ➡ カラバンカ・メテオラ(世界遺産の修道院アギア・トリアダ修道院(Ιερά Μονή Αγ. Τριάδος) / ルサヌ修道院(Ιερά Μονή Ρουσσάνου))見学。➡デルフィ(ホテル NIOHOS)

この街のガイドはギリシャ人女子「メラニア・マシュー」だ。

あの~。旅行中写真はほとんど撮りませんでした。だって、オレが撮る写真よりずっと良いのがネット上にゴロゴロしているので、それを利用すればいいと判断したからです。写真はほとんどパクリでやっています。そこのところご承知おきください。それより文中の「問」に注目してください。それがこの旅行のオレらしさです。ヨロシク!

アギア・トリアダ修道院

この修道院を見学した。入口は反対側にある。高さ100㍍の岩の上の修道院で、現在七人の修道士が修道(?::何をどうすることが修道だと思いますか?)しているとのことだ。

ルサヌ修道院こっちも見学した。女子修道院である。左手の丘の上でバスを降り、そこから坂を下りて修道院に。中では尼さんニコニコしながら愛嬌を振りまいていた。バスは岩下の向こう側に移動して待っている。

こんなような修道院が全部で六つあるのがメテオラだ。圧倒的な観光資源になっている。ふもとの町カラバンカや隣町のトリカラなどはその観光収入でうるおう。いまや観光は一大産業だ。こんな観光資源が日本にあるだろうか。

問1::これらの修道院はいつごろ、どういう理由で作られはじめたかいいなさい。(答::・・・)

問2::修道士の一日の生活時間をいいなさい。何時に起床して・・・何時に寝るとか。(答::・・・)

問3::どうしたら修道士になれるとおもいますか。(答え::・・・)

問4::人間にとって「高い場所」の意味をいいなさい。(答::・・・)

問4-1::月や太陽や星も何かしら高いところにあるものと考えてよいですか。(答::・・・)

問4-2::天国ではどうか。地獄では?(答::・・・)

問5::風の意味を考えなさい。(答::・・・)

 

きょうの行程はこんな感じです。

「デルフィ」について::デルフィ遺跡(世界遺産)があるところ。あした観光する。

 

20-2/25(火)④::➡デルフィ(ホテル NIOHOS) ➡デルフィ博物館➡デルフィ遺跡➡アラホバ(昼食)➡オシオルカス修道院➡オリンピア(ホテルANTONIOS)

この街のガイドはやはりギリシャ人女子で名前は「ジョルギア」だ。

デルフィー遺跡にある劇場。

「サチロス・コロス」って、もしかして、ここで演じられていたんじゃないのかとフト思いはじめて、ガイドのジョルギアに訊いてみた。

「その通りです! よくご存じです!」との返事だ。

「サチロス・コロス」の名はワタナベ・ジロウの授業『芸術の哲学』で聞いていた。「機会があったらご覧になられたら良いとおもいます」とススメられてもいる。もうずっと前のことだ。それを思い出したのである。

今でも夏にギリシャ国立劇場の出し物として『ここで!』演じられているそうである。しかし、それを見に来るのって出来そうにない。YouTubeとかで探したが見当たらない「サチロス・コロス」なのだった。

その日の宿に着いて調べたら「サチロス・コロス」は「サチロス・ドラマ」と一体のものだと知った。歌劇みたいなものだたんだろうか?

デルフィ観光後のきょうの旅程はこんな感じ・・・

コリントス湾を左に見ながら進み、下の橋をわたってペロポネス半島にはいる。そこでは海は右側になり、イオニア海だ。

リオ・アンデリオン橋。この橋を渡ってギリシャ本土のアンデリオンからペロポネソス半島のリオに入る。この橋の右側がイオニア海。

ギリシャ西南部のコリントス湾に架かる斜張橋。ギリシャ本土の町アンディリオとペロポネソス半島パトラ郊外の町リオとを結んでいる。2004年に完成した。費用は約€ 630,000,00。大部分は欧州連合各国からの融資によって調達された。

そして、ペロポネス半島に入って少し行くと・・・バスの調子がまたおかしくなりはじめた。運転手のマチウスが焦りはじめている。添乗員ハナコがうんざりしている。通りがかりの車とか、その辺の人とかが出てきてマチウスを覗き込む。マチウスは汗びっしょりだ。今度は冷却水の漏れらしい。そんなものが本気で漏れた日にゃあ旅行は続行できなくなる。(な!)。

幸運だったのは近くにガソリンスタンドがあって、そこで軽修理をしていたことだった。なんとか部品交換が叶って走りだせた。約1.5時間遅れ。ふ~。

その穴埋めにハナコがみんなに一杯おごった。ぜったいH.I.Sの承認済みだと思うけど。こうなると旅行業もたいへんだよな。

 

 

 

20-2/26(水)⑤::(ホテルANTONIOS) ➡ オリンピア遺跡(世界遺産) ➡ (220㎞先/3時間)ミケーネ遺跡(世界遺産) / (45㎞/40分)エピダウロス遺跡(世界遺産) ➡ コリントス運河 ➡ (144㎞/3時間) ➡ アテネ ➡ (ホテルWINDHAM GRAND ATHENS)

この間のガイドはギリシャ人女子の「ブリスカ」です。運転手のマシウスから金を受け取っているのが見えた。なんなんだろう。ガイドってバス会社が手配するんか?

古代オリンピア遺跡のグラウンド

この手前にオリンピック聖火の採火場がある。東京オリンピックの採火の報道もあったが、無観客での採火だった。コロナを警戒してのことだ。

グラウンドの長さは200㍍弱。若い者が走り始めたのに刺激され、オレったら往復を走ってしまった。あ~。しんど。それに釣られて全員がぞろぞろ歩き始めたのでした。

次!昼飯を食ってから次。ミケーネだぜ。

ミケーネ遺跡(『1872年に、ハインリヒ・シュリーマンによって遺跡が発掘され、古代ギリシア以前の文明が発見された。これは、この地の名をとってミケーネ文明と呼ばれる。』)

きょうの行程はこんな感じ。地図の『3時間29分』とある左の自動車マークの下がミケーネだ。

 

ライオンの門

この写真の中にシュリーマンはいるのだろうか。

こんなふうにホジくって色々の宝をゲットした。 当時この地はオスマン帝国領だった。オスマンはシュリーマンに発掘を止めるように命じたが各国大使館などに働きかけ発掘を続けた。

 

 

アガメムノーンのマスク☛

こんなものが出た。『この仮面は、金でできた葬儀用の仮面であり、埋葬穴(円形墓群Aの5号墓)にあった死体の顔の上で発見された。シュリーマンは、伝説上のギリシアの指導者アガメムノーンの死体を発見したと信じ、この仮面の名前はここから来ている。しかしながら、現代の考古学的調査は、この仮面が紀元前1550年から1500年のもので、これまで言われてきたアガメムノンの活動期より早いことを示唆している。それにもかかわらず、アガメムノンのマスクという呼称は、依然としてそのまま残っている。この仮面は、現在はアテネの国立考古学博物館に展示されている』(wiki)。

 

エピダウロスの古代劇場

 

20-2/27(木)⑥::(ホテルWINDHAM GRAND ATHENS) ➡ ピレウス港 ➡ イドラ島 ➡ (船内昼食) ポロス島 ➡ エギナ島 ➡ ピレウス港 ➡ 夕食 ➡(Hotel ‘WINDHAM GRAND ATHENS’)

きょうは観光船にのって島巡りだ。ここでのガイドは日本人女子の「チヨコ」である。本人が「チヨコと申しま~す!」と言っていた。四十年前にギリシャに来たと言う。観光船の「お偉いさん」的な感じで、客を取り仕切っている。島に上陸すれば付いてきてバスに乗り込みガイド、もする。チヨコはボロボロのおばさんなのだが物凄い迫力のある女だ。どうしたらあんな女になれるのかと訝るオレだった。

 

イドラ島のロバ乗り観光。オレも乗っているのだが顔は出せない。あまりに汚い顔だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロバの乗り賃は20€/20分・一人。「15に負けねえか?」と訊いてみたがプイと向こうを向いてしまった。ロバ方は強気だ。

途中で「三十分に延長しないかい?」と言ってくる。そうすると30ユーロになる。二人合わせて60ユーロ。前を行く二人も延長していたから三十分で百二十だ。なんだかいい商売だなあ・・・。オレも生まれ変わったらイドラのロバ引きになりてえ。

 

20-2/28(金)⑦::(ホテル ‘WINDHAM GRAND ATHENS’) ➡ 国立考古学博物館 ➡ パナシナイコ・オリンピックスタジアム ➡ アクロポリスの丘(世界遺産) ➡ (17゜00´まで)自由時間 ➡ アテネ空港へ ➡ (21゜40´発イスタンブル行き) ➡

「どうしてギリシャ旅行なんかしようとおもったの?」と訊いた。「彼女も僕も、メテオラとアクロ・ポリスを見たいって、一致したからです」と若い夫婦の夫が答えた。

絵に見えているのがそのアクロ・ポリス(=高い所にある・都市)である。左に門、右に神殿があり城壁が取り囲む。見学は左の門を通ってであった。むこうに見える三角山が「・・・」。

左下に劇場がみえる。かつてサチロス・ドラマがここで演じられ、そのドラマはコロス(=コーラス)を伴っていた。紀元前五世紀くらいからのこと。そう想像する。

ギリシャの劇といえば悲劇と喜劇が知られているが、『都市国家アテナイは当時の文化、政治、軍事の中心地であり、そこでディオニューソス神の祭りであるディオニューシア祭の一部として演劇を上演することが制度化された。そこで生まれたのが、悲劇(紀元前6世紀末)、喜劇(紀元前486年)、サテュロス劇という3つの戯曲のジャンルである。(wiki)』

『サテュロス劇(希: Σατυρικό δράμα、英: Satyr play)は、古代ギリシア時代に、ギリシア悲劇と共に上演されていた悲喜劇の一種。ギリシア神話の神ディオニューソスの従者といわれるサテュロスから成るコロス(合唱隊)を伴うこっけいな劇である。サテュロス劇で現在にまで残っているのは、エウリピデスの『キュクロプス』だけである。(wiki)』

 

 

 

20-2/29(土)⑧::0゜15´イスタンブル着 ➡ 2゜10´イスタンブル発 ➡ 19゜40´成田着