冬の「リビエラ」ってどこ?

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はじめての欧州旅行へ

2013年2月1日:: 今日、明日と荷づくりをして2月3日(日)の600に家を出る。2/15(金)の1900くらいには帰宅予定だ。13日ほどの、はじめての欧州旅行である。

ローマに行って地中海沿いにマルセイユまで旅して帰ってくる旅行。留守をしますが、よろしく。ということで成田を発った。

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原文

冬のリビエラ旅行記

2/17書きはじめ~2/22写真の配置まで終了~文2/27一応終了~まだ正確さや読みやすさは配慮されていませんが、二三日うちに削除いたします。ごらんいただいてありがとうございました。

大概要:: 2/3に成田を発ちローマへ行く。そこから地中海沿いにピサ~ラ・スペッチア~ジェノバ~ベンテミーリア~ニース~マルセイユと泊まりながら2/15に成田へ帰るという13日間の旅行である。

ローマからマルセイユまで地中海内のリグリア海添いの旅行である。上記の地図で   の範囲がリビエラ海岸。その中心がジェノバだ。・・・しかし、分かりやすい旅行だなあ。


 

2/3(日)成田~ローマ::

時系列:: 600自宅を車で家出1000頃成田空港近くの「ゴーゴーパーキング」へ入庫す。首都高で一回、東関道のゴーゴーP前で一回のミスコースをした。ゴーゴーPから空港のタミナルビルまではマイクロバスで送ってくれる(無料)空港内での手続きは順番に①アリタリア航空受付で航空券を受け取る(Eチケット番号とパスポート番号を機械に打ち込んで手続きをする。やったことがないので、そこにいた係員に頼んでやってもらった。係員は、すでに外人さんである。まいるなあ・・・)②その航空券とパスポを示してアリタリヤの手荷物窓口で手荷物(Qが一個、オレが一個だった)を預ける。③飛行機離陸1.5時間前から出国審査開始(機内持込み品の検査、パスポへ出国スタンプ押印)④離陸予定時刻の30分前から飛行機への搭乗開始の順だった1410アリタリア航空の飛行機で成田を離陸す

QnS;特には女子のイタリア人CAね。笑い顔を一回もみせないんだぁ。アタイ、怖かったよ。機内食のサービスではアタイの二人前で日本食がなくなってしまって、そこでアタイが日本食を頼んだら、「ない」で終わり。洋食を渡され、そのあと、とりつく島がないもん。キビシイなあ。

15時間をかけてローマのフェミチーノ(=レオナルド・ダ・ビンチ)空港着。その地の時刻は1900。1900-1410=450。名目上は4時間50分の旅だが、実質は15時間だ。イタリアへの入国手続きは順番に①航空券とパスポを係員に示しイタリアに入国。

機を降りてから審査窓口までたどり着くのがかなり厄介である。分からなくて冷や汗ものだった。日本からの団体旅行の添乗員に訊いて、やっと辿りついた。なにしろ電車みたいな乗り物にのってそこまで行くというところがややこしい。そこに行き着くと、EU圏内からの旅客とそれ以外からの旅客に分けて審査される。EU圏内はすぐに終わるが、圏外からの旅客はだらだらと手間取る。

こうしてイタリアへ入国し②成田で預けた手荷物を受け取る。でイタリア入国がおわり。

飛行機がフェミチーノに着く直前、機内アナウンスがあり、機の進行方向左の窓を開けるよう促されるのだった。

「これより空港に入ります。いま開けていただいた窓の外に見えるのがローマの明かりでございます。」

そんな計らいだった。欧州の都市の灯りは特異的に黄色いという事は人から聞いて知っていた。街灯はすべてナトリウム灯なのだ。ああ、そこに来たんだ。黄色い街の明かりを目にして、なんだかしみじみした。

空港から旅行会社手配の車に乗って2030ころローマ旧市街にあるサボイホテルローマ着。

ちょっとマズイなあ・・・と切実にそう思った。空港からホテルまでの車の中でそう思った。

猿;Are you a racing car driver ?!

運転手に向かってオレは英語でそう怒鳴った。運転手は二十代後半から三十代前半と思われる礼儀正しい青年だ。英語は達者だった。

D;そうじゃあないけど、この道路は制限速度がないんだよ。いくらとばしてもいいんだ。大事なことは、この交通の流れの中に溶け込んでいることさ。
猿;みんなファイトしてるみたいだなあ! 100㌔以上出てるだろう?! 車間なんて15㍍くらいじゃん! 道路ってファイトする場所なのかい?
D;そう。ローマは特にそうだよ。みんなファイトしてるね。勝つしか生きる道はないんだ。イタリアでローマについで危ないのがナポリだね。ローマでは年間350人ほどの交通事故死者がでるんだよ。ほら、そこ! アッピヤ街道さ。ナポリまで続いている綺麗な路だよ。いつか機会があったら行ってみるといいよ。
猿;・・・。オレさあ、ピサからニースまでレンタカーで地中海沿いをドライブ旅行する予定なんだけど、どうかなあ?
D;う~ん。どうかなあ。ジェノバは通るのかい?
猿;一泊する予定なんだ。
D;そこをクリアできるか、どうか、が山かなあ。
猿;おどかすなよ! ここよりずっと田舎なんだろう? とにかく、オレ、やるっきゃねえんだよ。
D;やるしかないことは、やるしかないもんね・・・。がんばってネ。
猿;Anyway,I’ll try it!

そんな話をしているうちに車が市内へ入れば、びっしりした交通の中に箒を手にした男が数人踊り出してくる。

猿;だれ?!
D;ライト拭き。あの箒でライトをふいて小銭をねだるんだよ。取り合わないにかぎるよ。

そんなことをしていると今度はその停まっている車の交通の中に物売りが踊り出てくる。

猿;何?
D;テッシュ売りさ。

そして交通が動き出しても彼らは路上を去らない。三車線の道路をファイトしながら行く自動車の間に立って、次に交通が停まるのを待っている。

エライ所へ来てしまったぞ。その思いは切実だった。オレが暮らしている日本て、なんて生ぬるい所なのだろと思った。それはシアワセなことであるにはちがいないだろうが・・・。

2100ホテルのレストランへ行って赤ワインと生ハムとチーズをたのんで到着を祝う。乾杯!その酒とハムとチーズのうまいこと。さすがイタリア、美食の国だ。

2/7。地中海と対面す。ほほ~!

きのう(2/6)はピサでレンタカーを手に入れたが、まだ海岸線には出ず、自動車や道路交通に馴れるため内陸トスカーナ丘陵にある「ルッカ」を目指したのだった。が、左ハンドル右側通行、その際の右側の車幅感覚の大幅な狂い、なれないラウンドアバウト(交差点の形式。日本では「交通信号制御」になっている)の通過、そして、なんといってもイタリア人の運転感覚の日本的感覚からみての異質さ(ウインカーは一切出さない、車間は詰めて詰めてつめまくる、譲らない、押しのける、信号はほぼ無視する、市街地での歩行者は自動車など気にせず横断してくる・・・)などに強い緊張を覚える。肩が凝り体が身構えて強張ばった。日本では車の運転は快感なのに、ここイタリアではそれが全然ない。

その二日目の、ピサからラ・スペッチアへ向かう途中ではじめて地中海と対面した。一年間思いつづけて来た場所だ。感動する。
『冬のリビエラ』。その東の入り口のラ・スペッチア着。

なにはともあれ、そんなふうに車を運転してピサからラ・スペッテイアのマイ・ワン・ホテルに到着したのだが・・・。

Q;「オマイねえ、ここで車を捨てなさいネ!」

とQnSが言い出したのだ。これ以上、絶対に車の運転はさせませんからね、という。そういえば、ここに来るまでの間にオレはレンタカーの右を路側帯にちょっと擦っているし(保険は「フルカバー」にしてあったからこのこと自体は問題はない)、バイクがはね飛ばされて救急車のサイレンの音のする横を通ってきたしなあ・・・。だけど・・・、

猿;「捨てるったって、どこに捨てるんだよ? 海にでも叩き込むんか? あ~ん?」

Q;「オマイの車に乗っていたって、アタイ、ちっとも楽しくないヨ!」

ドライブ旅行はピサからラ・スペッチア、チンクエッテレ、ジェノバ、ベンテミーリア、ニースまでの300㌔ほどを連続六日間での予定だった。が、結論だけ言うと、二日目のここでドライブ旅行はやめることになる。しかし、その選択は結果的に正解だったと思う。

2/10。フランスのニース着。

旅行会社のショーコ姉さんにとっておいてもらったM・グルマルデーホテルは明日(2/11)の一泊予定なのだったが、このホテルには三日前に自力で英語電話して2/10からの二泊に変更した。

左が地中海。右が市街。季節になれば水際はみんな海水浴場になるんだってガイドのセツコ姉さんが教えてくれた。岬の左端にはニース飛行場がある。

イタリアのピサからここまではレンタカーでのドライブ旅行のはずだった。が・・・。ここへはバスに乗って辿りついたんですよ! 何があったか・・・。 それを話すのが楽しみで仕様がない!

大きなくくりで言うと、上記のラ・スペッチアからニースの間をドライブ旅行するというのが今回の旅行の芯だったのだが、それが列車、バス、タクシーでの旅に変更になるというドタバタ劇が出現するという話なのである。当初の目論見とは全く別な旅行になったのだ。が、それは・・・旅というにふさわしいスリリングなものだった。

これは、それを誰の助けも借りず自力で乗り切ったという、失敗話の形式をとったジマン話なのさ。

2/13マルセイユ郊外の地中海。

この旅の最後の方だ。海のうねりの気持ち悪さを感じていただけるだろうか。このあとオレは体調不良となる。

「地中海はとっても穏やかな海なんだけど、今日はうねっているね。といってもこの程度ですけどね」とガイドのテラダ兄さんが言った。兄さんの趣味は釣りで、こういう日はよく釣れるのだと言う。ここから500㍍ほど離れたところに小さな漁村があり兄さんお気に入りの地元レストランがある。こういうローカルで感傷的な旅行をしたかったオレなのかもしれない。・・・。

その『オレ』とはいったい何処の誰なのだろうか。憑いて離れぬ疑問である。その疑問への答えの不明の苦しさに思わず泣いてしまう。

詳細::時系列:

以下は帰宅後思い出しながらの時系列です。どれだけブランクを埋められる分かりませんが、やってみます。それぞれに感想もなにげなく付け加えておきたいです。みなさんが個人旅行をする際の参考になれば幸いです。

何といってもQとオレにとっては初めての欧州旅行でしたので、旅慣れているあなたがご覧になっているのでしたらこの日本の田舎者の失態の数々を大いに笑ってやってください。そう。オレとQnSはだだのバカだったのです! そこにある海の東の突き当たりのギリシャに二千数百年ほど前に暮らしたソクラテスという男の言ったように『汝自身の無知(=バカ)を知る』こと。この旅行はそのことでした・・・。そして、その自分のバカを知る、その知の快感。

人間とは小賢しくも、その知を使って偽現実(=文明)を創り出し、その夢と幻(=偽現実)を生きている動物(=生き物)なのではないか。そんなのがこの旅行で得た収穫でした。

2/14(木)=2/15(金)~成田::

時系列:: 1400成田着 空港内で二時間ほどつぶす。のちゴーゴーパーキングへ電話す。10分ほどでウチの車がターミナルビル中央出口の前の三番目の道路へ横づけされた。首都高~中央高速を使って2000頃帰宅す。やり~ぃ!!!

まあ、いろいろあったが、終わりよければ全てよしっていう括りができる。

2/14(木)マルセイユ/プロバンス空港~パリ、シャルル・ドゴール空港~成田へ::

時系列:: 600起床730ホテルの朝食す。のち、荷物整理。きのうQnSは土産物を買い込んでいるので、それをどうやってスーツケースの中にしまい込むか。900ホテルをチェックアウトする。地下鉄(メトロ)に乗ってサン・シャルル駅まで行く。930駅から空港行きのバスに乗る。

この辺はテラダ兄さんに2/12に実地で教わっていたので問題ない。これを、誰にも教わらず一人でやることは・・・かなり難しい。だいたい、ホテルから空港までの交通機関を思いうかべることができないからだ。思い浮かぶのはタクシー利用くらいなものである。人に訊いて教えてもらったとしても、教えられた通りに体が動いて切符を買い、それを機械に入れ、地下鉄に乗り、バスに乗り換えることができるだろうか? かなりむずかしい。

1015くらいにマルセイユ/プロバンス空港着。

出発は1330だから、かなり間がある。ベンチにすわって水やヒーコなど飲み、だらけていた。やっと旅が終わるんだ、とか思いながら・・・。

搭乗手続き;①パスポート番号とEチケット番号が必要。これを機械に打ち込んで「航空券」を手に入れる。成田の時と同じように、そこにいた案内のお姉さんにやってもらった。②1時間30分前から手荷物の受付開始となる。パリで乗り換えなんだけど、この荷物そこで受け取るの? 成田まで受け取らなくていいのです。 ③;②からそのまま出国審査。機内持ち込み品とパスポートと航空券を見せ、ゲートをくぐり、パスポに押印さる。④離陸予定時刻30分前から飛行機への搭乗開始。

この飛行機に乗って、パリのシャルルドゴール空港で成田行きの飛行機に乗り換えるわけだが、マルセイユプロバンスで預けた手荷物はシャルルドゴールで受け取るのだろうか? そして、また手続きかい? 答え;一切必要ありません。機内持ち込み品だけを持って、ただ乗り換えればいいだけでした。

1500パリ シャルルドゴール空港着。空港内は自動小銃をもった警備員(軍隊だろうか?)の数人から10人くらいの集団が警戒に巡回している。日本では見慣れない光景があった。

1810パリ発。飛行機はエアフランスとJALの共同運航だった。久々に日本人CAのサービスを受ける。欧州婦人みたいに怖くなくて、よろしいなあ~。

成田からローマへ行くのに15時間かかったが、帰りは1.5+12=13.5時間である。成田からローマへ行くのは向かい風、M/P~S/Dから成田へは追い風。この風向きで1.5時間の差が出る。

2/13(水)マルセイユ::

時系列:: まる一日マルセイユ観光す。と言っても、おれは軽い下痢などして、かなりグロキーで、意気があがらない。QnSはやたら元気でオレとちぐはぐになり、二人はてんで噛み合わないのだった。

夜、再度ブイヤベースのレストランを目指したのだが・・・。だめ・・・。オレその元気が出ない。近所の百貨店の中にある食品売り場で小瓶のワイン(赤)、水、ポテトチップス、のり巻き(そこに日本のすし屋が出店していた!)、各種ナッツを買い込んで、ホテルの部屋での夕食となった。そして、オレは早々と寝てしまったというわけでした。すまないQnS・・・。

2/12(火)::ニース~マルセイユ

時系列:: 600起床730ころホテルの朝食。ニースヴィレ駅を電車が9:20発なのでその一時間前の8:30ころチェックアウトして、駅まで歩いた。来るときは30分もかかったが、今はもうこの辺の地理にも慣れて駅まで10分でいけた。

ここからはもう旅行会社のショーコ姉さんが作っておいてくれた「手配旅行」の手の内なので心配がない。キツカッタのはピサからニースまでの自動車ドライブ旅行の筈だった範疇である。それも、もう乗り切って、ここまで来ている。とっても気が楽になっていた。

ニース(ヴィレ駅)からマルセイユ(サン・シャルル駅)まではTGV(列車)での移動だ。二階建て列車の二階席をショーコ姉さんに予約しておいたもらった。切符みたいなものもすでに手にしているので気楽さ。

9:27始発列車発車す。1200定刻の数分遅れで着くそのままタクシーでホテルへ直行す。チェックインにはまだかなり早いのだが(通常1400くらいから)当たってくだけろ精神で突撃す。きのうセツコ姉さんが電話をしておいてくれたことでもあるし・・・。すぐ部屋に通してもらった。ラッキー!旅装を解く。1400部屋の電話、鳴る。

バカみたいだけど、”アロ~!”とオレはフランス語で返事をする。しかし、それはガイドのテラダ兄さんからだった。「ロビーでまっています」と日本語だ。ほっ。

左の絵:: マルセイユ・オペラ・マニシパル(マルセイユオペラ座)。ガイドのテラダ兄さん(人物向かって左)が「ここが僕の家です」といった。兄さんはかつてここでダンス監督をしていた日本人だ。いまは釣りを趣味にしてマルセイユの観光ガイドをしている。マルセイユ在住45年。
下の絵::そのテラダ兄さんが車に乗せて丘のうえの???とうところに連れていってくれた。「マルセイユに来たら、ここから港を見なくちゃ話しになりません」とか言って・・・。このあと車で30分ほど離れたマルセイユ郊外の漁村に連れていってくれた。それこそオレがレンタカーでしたいと思っていた旅行の片鱗だった。

①2/14にはここのホテルからマルセイユ/プロバンス空港まで行かなくてはならない。ホテルからだと30㎞ほどある。タクシーでという訳にもいかないではないか。兄さんは地下鉄とバスでの行き方を実地に教えて、切符まで買ってくれた(金は当然ウチ払いですってば!) 。②近所の土産物屋のありかを教えてもらった。③H近くのブイヤベースのうまい店の所在も教えてもらった。そんなことをしながら、その辺の観光をする。圧巻は丘の上からのマルセイユの港の景色だった。ちょっと涙ぐむオレ。

オレ、この辺から体調不良になってゆく。非常な疲れ。無気力。軽い下痢。である。これで昼間テラダ兄さんと見に行って予約してあったブイヤベースのレストランへ行くことができなくなった。

2/11(月)::ニース

時系列:: 遅く900頃の起床。QnSの体調も戻っている。午後の1400にニースのガイドとロビーで落ち合う予定。それまでたっぷり時間がある。1030ころニースの花市場のことを旅行社のショーコ姉さんから聞いていたので、ホテルで地図をもらって散歩がてら出かけた。雨が降っている。折り畳みのコウモリ傘は持参している。それをさしてでかけた。

ホテルで地図をもらって、その上に花市場をマークしてもらってあるのだが、なんだか行きつけない。まあ、海岸線にまで出たし、寒いここともあるし・・・帰ろう。ホテルに帰りながらスーパによって(それは先ほどホテルのフロントで教えてもらってあった。それはホテルの隣、でっす!)。食料(ぶどう・トマト・水・ハム・チーズ・スナック菓子・赤ワイン)を買って帰って部屋で昼食す。このスタイルも板についてきたなあ・・・。

1400:: ホテルのフロントでニースの観光ガイドのセツコ姉さんと落ち合った。

あら! と姉さんは言った。「そうだったの。でも、あたし、レンタカーでの旅行は絶対勧めないわ! やめて正解です」という。もし、こちらでちょっとでも事故でもあれば、異国で言葉も通じないところで事故の交渉をどうするんですか? こちらは「言葉の国」なんです。なにも言えないとは、主張のないこと。主張のない者は主張のある者に負けて、いいようにされてしまいますよ。そんなことになったら、その時から、もう旅行どころではなくなります。やめて正解でしたね。姉さんはそう言った。

言葉の国、か。古代ギリシャも含め地中海沿岸諸国とは『言葉の国々』だったのか。言葉のないものが負ける。テツガク、そしてそこから派生してきた科学とは、この言葉使いの伝統のうえにあるのだ。日本的な情緒や以心伝心や拗ねて甘えてなどでは歯がたたない。その証拠に、その言葉使いがいまやグローバル化している。

左の絵:: ガイドのセツコ姉さんと行くQnS。

右の絵:: そうやって行くとソッカ(ヒヨコマメの粉を薄く焼いたお焼)とピザの店があった。三人は店に入って、ソッカとピザと、お決まりみたいに赤ワインをとって楽しんだ。ここでのワインはグラスでサービスしてくれたので無駄がない。

左の絵:: 午前中QnSと行ったが行きつけなかった露店の花市場。すでに市場は終わっていた。雨も降って寒い日だった。ニースの陸側の丘にうっすらと雪が降っていた。ニースに雪が降るなんて、とてもめずらしいことだという。

右上の絵:: 露店市はもうやっていなかったが、この露店市のまわりは色々な店屋がある。ねえさんは「買うんならちょっとお高いけど、見てみましょうよ」といって、一軒の人形店に連れて行ってくれた。おばあさんが一日中、朝から晩までひとりで絵にあるような人形を作って売っているのだという。人形は買わなかった。見た後「メルシー! メルシー ボクー マダンム! オールボワール!」と店の中の中二階で作業しているばあさんに向かってオレは声をかけた。返事は「ジュブゾンプリ(どういたしまして)! オールボワール!」だ。

次の店でQnSは土産に石臼絞りのオリーブオイルのスプレーを何本か買った。

で、セツコ姉さんとは誰? 姉さんはボーボワルとかに憧れて、当時フランスに留学していたのだそうである。きっとフランス文学の人だったのではないか。そしたらフランス男の強烈アタックを受けて妊娠し、その男と結婚して、今はこのニースからマルセイユ側の郊外に1200㎡の土地に家をたてて暮らしているそうだ。その夫は公務員。子があり孫もいて、日本から親戚がよく遊びにくるのだそうである。

「きれいな所よ」とセツコ姉さんは言った。「そこは住宅建築の規制が厳しくて、屋根の形も壁の色も自由に決められないの。行政のデザイナーが決めるのね。うちは屋根を入母屋でつくれたんだけど、お隣は切妻にしかできなくって、うちが羨ましがられるの」。 ・・・。自慢の、いい暮らしができているんだな、とオレは思った。こういうところに日本の女が棲みついて家族をつくり幸福に暮らしているのを見るのはうれしいことだった。

そのセツコ姉さんに教わっておいたレストランでの夕食。

メニュー; 白ワインとミネラル水まではすぐ決まるのだが、後が決まらない。だいたい、メニューは全部フランス語。そのことをギャルソンに正直に打ち明けて「おすすめ」を作ってもらった。魚介の寒天固め・???・ブイヤベースだった。値段;二人で80€ちょっと。店名;『ヴィヴィ』としか覚えていない。
2/10(日)ジェノバ~ニース::

時系列:: 600ころ起床730ホテルの朝食900チェックアウト。

ニースでの宿の予約を一日早め、今日(2/10)と明日(2/11)の連泊に変更してある。

だから、今日はジェノバを発ってニースへ向かうのだ。移動は電車ですることにしてあり、地図上に距離を睨めて電車で3時間くらいだろうと見積もっている。13時発なら、13+3=16時ころニースヴィレ駅へ着く算段だ。そのころの電車に乗ればいい。ということは、9時にホテルをチェックアウトしてもジェノバプリンチペ駅に行くまでに3時間ほど余裕がある。

きのうの東洋市場で手柄をあげているのがQnSだ。この空き時間を使ってもう一度市場に行って買い物がしたい。とQnSが言い出す。

そんなこと言われたって・・・。オレに異存のあるハズがないじゃあないですか。なにか特別な欲望があってこの街のここにいるわけじゃあないんだから。で、行くことになった。

上の絵:: 市場に行く道にいた乞食。オレはカメラを向けられなかった。撮ったのはQnS。なのに一銭もおいてこない薄情おんな。またそういう事を言って済まない。この手の乞食はローマでもピサにもラ・スペッチアにもいた。これで家に帰ればしっかりした暮らしをしているのではないかなどと思ったりもして。欧州では乞食も立派な市民なのかもしれない。あなたが立派な市民であることを知らせる隠喩としての役割を果たしているのかも知れない。そんなことを思った。

なんで? そうか! 今日は日曜日かよ。市場は開かれていませんでした。でも、買い物はしたんです。どこで? へい。市場近くのCOOPで。これを探し出したのもQnSです。

左の絵:: マルカートオリエンターレは休みだったが、プリンチピ駅に行くまではまだたっぷり時間がある。そこでちょっとその辺を散歩しよう。ということで、山手の方に歩いてきたらこの光景に出会った。崖に切り込みがあり、そこが公衆便所になっている。タクシーらしい車がきて運転手がおりて小便をしていた。

この散歩の道すがらいくつかの教会の前を通った。日曜の礼拝をしている様子がうかがえた。宗教がしっかり(?)息づいている。

1130ホテルに帰り荷物を受け取りタクシを呼んでもらう。1200ちょっと前プリンチペ駅に着く。インフォーメーションに行ってニース行きの電車があるか訊ねる。え!!! そういうのありかよ!!!

Inf.;ニース行きは、今日はベンテミーリアまでしか行きません。ベンテミーリアとニースの間で落石があり、その間電車は不通です。行けるのはベンテミーリアまでです。
猿;どうしたらニースまで行けますか?
Inf.;ベンテミーリアから振替のバスが出ています。
猿;そのバスを利用するとして、切符はニースまで買えるのですか?
Inf.;だめです。ベンテミーリアまでです。バスのきっぷは・・・。

ああ! また苦難が降りかかる。ゲンナリするQnSとオレ。しかしまあ、行けるところまで行こう。ベンテミーリアまでの切符を買って時刻検印を押して、電車に乗り込んだ。もう電車に乗るのもかなり馴れた。

右の絵:: この絵からはうかがい知れないだろうが、この写真を撮っているオレの後ろにここで放り出された数十人の電車の客がいる。ニースまでのあいだでの大きな駅といえばモナコ。

30分ほどして、この狭い駅前広場(ラウンドアバウトにもなっている)に大型バスがのろのろと入ってくるのだった。東洋人でしかも日本人のQnSとオレなどはとてもとてもその人ごみの中でのバスにのる競争に太刀打ちできない。はね飛ばされて、いちばん最後になてしまった。でも、幸運に、乗客の数より座席のかずがわずかに多かったので、なんとかバスには座って乗れた。

行く道は細くうねっていた。そこでQnSが車酔いをして吐いた。オレはビニール袋を出してその中にタオルを投げ込んでQに渡した。Qの隣の窓際の白人が席を譲ってくれたので、オレはQを窓際にし、オレが通路側になり、Qをかばった。

Q;道が悪くって、ユラユラゆれるバスのなで気持ちが悪いっていうのにさー。後ろに黒人が三人乗ってて、歌をうたって、足で調子を取って、アタイの席を揺らして、騒いでやんノヨ。チットくらいマナーってものを身につけて世間にでてもらいたいもんだヨ。アタイ、黒人大っ嫌いィ!

しかし、黒人であることとマナーノ悪さになにか関係があるかどうかは分からないことだろうが・・・。

バスがニースのヴィレ駅に着くまで2.5時間ほどかかった。駅からホテルまでタクシーを取ろうとしたが「すぐそこ。歩いて5分だよ。それで20€さ。歩いた方がいいよ」と、そこに溜っていたタクシーの運転手の中の一人が言った。

だからQnSとオレはホテルまで歩いた。が、ホテルの場所もよく分からなかったこともあり、何人かのフランス人に道を教えてもらいながら行った。たっぷり30分はかかった。

車酔いでぐったりしているQnSの容態はよくなる気配がなかった。ジェノバのCOOPで買った少しの食料を部屋で食って早々に寝た。きつい一日だった。

2/9(土)::ジェノバ

きょうは一日ジェノバ観光だ。ガイドなし。ところがQnSって、なんだかしっかりしていて、日本にいる時にすでに行きたいレストランや場所を仕込んできてあるのだった。

時系列:: 600ころ起床。730ころHの朝食す。900フロントで地図をもらい『東洋市場(メルカートオリエンターレ)』の位置を書き入れてもらった。そこへ行くまでの間に『赤の宮殿』や『白の宮殿』のある通り(レ・ストラーデ・ヌオーボ)を通ってゆく。まだ朝だと言うのに通りではバイオリン弾きがバイオリンを弾きサックス奏者がサックスを鳴らしている。バイオリン弾きの前におかれた入れ物にはかなりのコインが投げ込まれていたし、事実目の前でコインをいれている婦人を目にした。930~940東洋市場(メルカートオリエンターレ)に着いた。それは露店ではなく、古い建物の中にある市場だった。人でごった返していた。QnSだのオレだののような観光客はほとんど見当たらない。

右の絵:: 東洋市場のある建物。ちょっと不正確かも知れないなあ・・・。でもまあ。当たらずとはいえ遠からず。こんなかんじの建物の中にマルカートオリエンターレ(東洋市場)はある。

Q;アヴェーテ イル プロシュット?(生ハムありますか?)
店;Д¥・・・〇◆! (と言って肉の塊を持ってQに見せる店員。)
Q;プロシュット クルード ウネット ペルハボーレ!(生ハム100㌘お願い!)

おい! 東洋市場の中にQがサルメリーヤ(チーズ、ハム、サラミなどを売る店)を見つけ出し、イタリア語で買い物してやんの。この店員は英語もできた。オレには、

店;「日本からかい?」 と話しかけてくる。
猿;そう。日本人だよ。
店;日本人と韓国人と中国人は見わけがつかないよ。
猿;オレだってそうだよ。
店;江戸からかい? (『東京』じゃなくって『江戸』っていうところが凄い)。
猿;山梨だよ。江戸から150㎞位離れている。富士山がよく見える所さ。(正確にいえば江戸からは150年ほど後の世界からだけど)。

その肉の塊が生ハムで、店員はそれを薄切りにしてQnSに渡す。

Q;店員はぁ、生ハムをアタイに渡して、『初めてのお使い』ができた子どもを褒めるみたいにアタイに『アリベデルチ(さよなら)!』って言ったんだ。

この市場でQnSは更にモッツァレラチーズ、ブドウ、とまと、惣菜のマリネ、焼き豚、ボルチーニ茸乾物を買った。ボルチーニは100㌘22€だった。こんなの買ってどうするんだろう?

Q;(惣菜のマリネを指さして)ドゥエッティ ペルハボーレ!(200㌘お願い!)

右の絵:: 東洋市場での買い物の目的はその日の昼食を整えることだったのだということは後で知った。だって、そこで買ったものを広げてホテルのへやでお昼をしたんだから。

下の絵:: 2/12のマルセイユでは、港から少し離れた丘の上から港全体を見ることができた。それに比べジェノバにはそういう高台はない模様。その替り港には港全体を見渡すことができる観覧車のような施設がある。乗るのは2.5€/人。Qとオレはこれにのった。その時の絵であるが、だが実際の方が100万倍感動する。

このジェノバにしろ、後のマルセイユにしろ、港というものはその港のファシリティーの中にいるうちは自分がどこにいるのか分からないものらしい。それを鳥になって鳥瞰するとき感動を覚える。マルセイユにはそれを鳥瞰できる丘があるが、ここジェノバにはない。無いとなれば、人工的な鳥瞰施設を作ってさえそれを見せよう。観光地としてはそういう事なのだろう。

上の絵の右の方にピンクの建物がごらんいただけるとおもう。QnSとオレが泊まったのはその建物の30㍍ほど裏にあった。そこは旧市街で、そこからふらふらと市街に出れば、かならず迷子になってしまうような露地また露地のところだった。露地の中では色々な商売がされていた。都市の作りとしてはそれが全部石造で、新しくて200年、古ければ1000年前からあるなどの建物なのである。通路幅は3~4㍍、建物高さ15~20㍍くらいと見た。日本みたいな木造文化にはない街だった。

この辺のQnSの旅行の組み立てのうまさには脱帽するしかない。赤の宮殿や白の宮殿、東洋市場、そこでの買い物、コロンブスの家、行きたいレストランなどなど。そういうものをリストアップしてきている。そこがえらい。何度も言うように、オレなどだとそういうことが何もない。旅行たって困ってしまう。その点QnSはすげえなあというわけだ。

そして。今日の夕食はレストラン『宇宙飛行士の馬小屋』である。なんでもイタリア初の宇宙飛行士がRのオーナーなのだという。

このRの所在をホテルのフロントで訊く。

F;ええと~。初めて聞く名前ねえ・・・。

といってRの番地をPCに打ち込みはじめた。そして、その場所はホテルでくれる地図の中には示せないほど遠いようなのだ。

猿;いいですよ。タクシー呼んでもらって行きますから。

という訳で、タクシーがやってきた。タクシーの運転手もHFと同じやりとりをする。運転手もその場所を知らず、ナビ(ガーミンだよ!)に番地を打ち込んで、ちょっと眺めて「Ah!」とか言って連れていってくれた。料金は20€弱。20渡して「釣りはいらねえ!」をやった。でもこの運転手は若いのに英語が出来なかったんだけどネ。

メニュー:: 赤ワイン・ミネラル水・ムール貝、サーモン、野菜のマリネ・魚介のペペロンチーノ・パスタジェノベーゼ・甘いもの・カッフェ。値段;二人で80€くらいだったと記憶しています。店名;『Le scuderie dell’ asutronauta (レ スクデリエ デル アストロナウタ=宇宙飛行士の馬小屋)』。

Q;妙に明るく愛想のいいウエイターで癒されたわよ。

猿;でも、それと正反対なのが女将さんだったな。黒のタイトスカートに網タイツ。同色のブレザー。首に赤いスカーフでビシッと決めて。店内をガンガン仕切っていたね。まあ、気の置けない気持ちのいい店だったよ。

きのうの『三羽のからす』とは好対照をなす店だった。帰りには女将さんは気を利かせてタクシーを呼んでくれたりもした。
2/8(金)::ラ・スペッチア~ジェノバ

時系列:: 600起床730ホテルの朝食す。900チェックアウト。荷物をフロントに預けて、ホテルから市街を抜けて港まで散歩す。

もう自動車は捨ててしまった。きのうも言ったように、それは一種の憑物、その憑き物が落ちたようなことだ。文明の利器(=自動車)といっても、それと結びついた自分が、ソレを包み込んでいる更に大きな「人・もの結合体(=U-Body=交通システム)」の中に統合されるのでなければ、利器は凶器となってオレを苦しめる。事によれば、それは事故となって他人を傷つけることもあるだろう。この統合の失調状態からはもう抜けている。

右の絵:: 散歩しながら港に出て、スタンドでカッフェ(=エスプレッソコーヒー。50ccくらいの小さなカップ。値段は1~2€くらい。)をいただく。そこに釣りのおじさんがいたので記念写真をとらせてもらった。

お;ニホンジンかい?
猿;そうです。ジャポネ エ ジャポネーズ。でも、魚、釣れるんですか? 糸に針ついていないみたいだけど。
お;いいんだよ。散歩のスタイルなんだから。こうやって毎朝港をあっちからこっちままで海に糸を垂れて行って帰る日課さ。
猿;いいですねぇ。

港には人がそれなりに出ていて、見る限り女2:男8って感じ。かなり若い男もいる。二、三人寄っては顔を突き合わせ何かを言い合っている姿だった。景気でも悪く仕事がないからなのだろうか。そう思った。そこにはヒマしてる男が多いようにみえる。そういえば、ローマにもピサにもそういう人が街に多くいた。

1200ホテルにもどりタクシーを呼んでもらってラ・スッペチア駅まで送ってもらう。ジェノバまでのきっぷを買うのはQnSの役目。Qのイタリア語が頼りだ。切符には駅のあっちこっちにある機械の「時刻検印」をうけておくこと。でないと、検札があったとき次の駅で降ろされ罰金を課される(らしい)。

この旅行でタクシー運転手もいろいろ経験したが、ここの運転手が一番「上手」だった。右左10㎝ほどの隙間を残してホテルから駅までの道をかっ飛ばしてくれた。オレが「オマエの運転、すげぇ!」なんて声をあげればさらに調子づいて運転のうまさを披露してくれた。QnSとオレを駅に降ろし、トランクから荷物を放り出して、意気揚々とかっこよく消えていった。TDとして自己表現できてさぞいい気持ちなのだろう。15€ほどの運賃にその運転技量の見事さに対し2€ほどのチップをつけておいた。

左の絵:: 上のラ・スペッチア駅構内の絵の右側に見えている電車の反対側にこの電車は発車一時間ほど前に入ってきた。ラ・スペッチア始発だった。電車には体格のいい女車掌が乗り込んできて、乗客をよく仕切っている。
右の絵:: リビエラといえばこの風景だろう。ジェノバまではトンネルばかりで景色を楽しむという事もままならないのだが、そんなトンネルの切れ目にこんな村が突然姿を現す。そこに見えるその道は、もし俺たちがドライブ旅行を続けているのなら、きっと通っただろう道だと思った。

1530ころジェノバ・プリンチペ駅につく。だいたい、ジェノバって、ジェノバ・~~という駅がやたら多くてどこで降りていいのか大変だったんだ。タクシーでホテル『ポルト・アンティコ』着。フロントで明日も宿泊可能かを尋ねればOK。そうでしょう。オフシーズンだもの。部屋に入りその勢いで2/11宿泊予定のニースのホテル『メルキュール・グルマルディ』へ電話。その前日の2/10から泊まれるかどうか訊く。OKだ。その値段はツインルームでの一泊126€だがと言う。 ”I accept that!” これで宿の問題は決着した。

元々は、この間はレンタカーでのドライブ旅行のはずだった。で、この間でちょっと冒険してみようと思って、わざと自分たちを宿無しにしておいたところだ。車で通りかかって、なにかよさそうなホテルがあったら飛び込みで宿を求める計画だった。今のこの状態では、この連泊が一番合理的だろう。それができた。

 1930から旧港のそばのレストランで夕食す。このレストランの在処はQnSが日本から仕入れて行った。オレはジャケット着用で行った。QnSもそれなのオシャレ。この旅行中いちばん張りこんだ食事だった。二人で110€くらい。120ほどおいて、ツリ銭は Thanks! でひきあげる。

猿;May I take some photos?
C;Sure! No problems! Please!

写真許可はとってある。

メニュー; 赤ワイン(11年??産)・ミネラル水・フォカッチャ・ムール貝と??の何とか・ジェノベーゼパスタ・冷たいもの・カッフェ。

店名:: 『i tre merli LOCANDA A COMOGLI(三羽のからす/ロカンダ・ア・コモグリ)』

 

2/7(木)ピサ~ラ・スペッチア::

時系列:: 600起床す。起床後シャワー。身繕いし荷物をまとめておいてホテルの朝食す。900チェックアウト。スーツケースを車に放りこんでおいて、近所のスーパーMで買い物す(みず・ぶどう・とまと・スナック菓子)。1000ラ・スペッチアへ向けてしゅっぱ~つ!

実を言うと、きのうルッカまで行けずにホテルに帰って、そんなふうな夕食をホテルの部屋でしながら、QnSとオレはこれからのドライブ旅行のことでチョット揉め始めていた。

Q;ドライブ旅行はもう、よそうよ・・・。

とQが言い始めたのである。

オレもきのうの経験でイタリアでの自動車運転にはかなり弱ってはいたが「止す」という選択は全く考えていなかった。

「止す」のではなく、どうやってニースまでの道を安全に行くかの方に神経が向い始めていた。そのために、一晩あれこれ考えて作戦を立てていた。幸い一日に走る距離は100㎞弱ではないか。EとかAとかは走らないようにして、田舎道を慎重に、ゆっくりと、車間を詰められようが、追われようが、オレはオレを通して、・・・、行く。そんなふうなことだった。「よそう」と言われたが、

猿;そうだね。かなりきつかったね。・・・。でもさ、なにはともあれ、あしたのラ・スペッチアまでは行こうよ。

ということでその場は決着していた。

そうやってラ・スペッチアまで行ってしまえば、あとはなし崩し作戦。ここまで来たんだから、ジェノバまで行ってみようよ・・・。とやって、結果的にはニースまで行ってしまおう。そう腹に思っている。QnSの「言う事」には逆らわないようにして。つまり、言葉ではQに従い、行くという事実は積み重ねてしまう作戦である。

左の絵:: ラ・スペッチアの港に着いた。ホテルはこの左手1.5Kmほど入ったところにあり、ラ・スペッチア中央駅は更にその奥1.5㎞ほどのところにある。そこはかなりの傾斜地である。

ごらんの通り、片側三車線の道路の右一車線が駐車帯。1300くらいにここに着いたので、車をその辺に駐車して港見物す。一服してホテルに向かい、ホテルから30㍍ほどの路上に駐車して宿へチェックインした。もう路上駐車は怖くない。駐車にはだいぶ慣れてきた。

ピサからここに来るまでの間にバイクがはね飛ばされて人だかりがして遠くから救急車のサイレンのする現場の脇を通ってきた。そこでもQnSは言った「ホテルに着いたら自動車を捨てましょう! アタイがいまアンタに車やめさせなかったら、アタイがアンタのニョウボやってる価値がないわよ!」だそうである。

QnSの態度は断固としていた。「絶対やだ!」という空気が出ていて、もうどうしようもない。なし崩しなんか効かない感じ。

でも、どうやって車を捨てるのか? この街にハーツの営業所があればいいのだが、なけりゃピサまで帰るの? 帰るくらいならジェノバまで行ってしまった方がいいじゃん! 大概要の地図をみてもらえば分かるようにピサに帰るのもジェノバに進むのも距離的には同じようなものだ。だったら、ジェノバ行でしょう。

はい。この街にHartzの営業所は、あったのです。きのう借りたレンタカーを今日返しました。縁石に擦ってつけた傷になんのお咎めもありませんでした。なにしろHartzとしては保険がフルカバーなんだから派手にやってもらってガッチリ保険で修理の方がいいのかもね。

という訳で、ピサ~ニース間レンタカー旅行大失敗。一巻のおわり。

ということですが、ここにHartz営業所がある事を突き止め、その場所を実際の街の中に探しだし、そこに行って交渉をし、自動車を返して、タクシーを呼んでもらって、ホテルまで帰ってくるなんてことをやり遂げたQnSとオレを褒めてもらたいもんですけどね。

それだけじゃあありません。こうしていま旅行の手段としての自動車をなくしたんですから、明日からの旅を組み立て直さなくっちゃいけない・・・。と言う事で、急きょ海岸線を走っている電車を見つけ出し、その時刻表を調べ上げ、明日の13:30ラ・スペッチア発の各駅停車トリノ行をみつけ、時間に駅まで行き、ジェノバまでの切符を買い、それに時刻検印させて、その電車に乗り込み・・・をしなければならない。

なんだか、オレたち、そうとう能力あるなあ、なんて思いますって。火事場の馬鹿力的ではありますが・・・。異国のこのイタリアで、そんなことができる日本国田舎農民の自分にちょっと自信がつきました。

反省1:: イタリアでのドライブ旅行を甘く見過ぎていた。欧州ではイタリアの自動車交通が一番ヒドイらしいということは後で知ったことでした・・・。腕に自慢の若い方(いえ、お年寄りだってかまいません!)、どーぞ、イタリアに行ってオレのかたきを取ってくださいよ。でも保険はフルカバーでね!

反省2:: 統合失調ということです。この経験を一言でいうとオレは統合失調を経験した、ということです。なにを言っているのか説明を尽くさなければお分かりいただけないとは思いますが、オレはイタリアの自動車交通システムに統合されなかったのです。そこで失調した。それがイタリアで自動車を運転した時のオレの緊張感、不快感、絶望感、疲労感などだったとおもいます。何かの機会にこれを説明してみようとおもいます。その機会がありますことを!

1730ころラ・スペッチアのHartz営業所で車返却完了。

でも。なんだか解放された感じ。QnSに感謝したいような気がしてくる。この間、自動車はオレにとって『憑物』だったのだ。その憑き物が落ちたという感じ。とってもセイセイしたいい気持ちだ。ものをなくして、こんなにサッパリすることが、「あるんだ~!」。これと同じ感じ、オレ、もう一つ知っている。以前の結婚の離婚成立の瞬間として味わったことがある。

左の絵:: この街は面白かった。ホテルは崖沿いに建てられていて、その下側が古い市街につながっている。そこへ1800ころ出たのだが、そこは人でごった返しているのである。なんなんだろう? 観察するのだが観光客というふうではない。街の人達なのである。みんな「パリッ」と恰好を決め、その市街に出てくるようなのだ。そういう面白いまちの一角にある創業120年のピザ屋での夕食。ホテルのフロントで教わった。

どう見たって安物のワイン。単純なピザ。これがうまかった~。今旅行中オレにとっては一番うまい食事だった。機会があったら行ってみてください。絵には出ていないが地元の人の立ち食いでにぎわっている。

店名:: 『La Pia – Porto Mirabello(ラ・ピア-ポルト ミラベロ)』
2/6(水)::ピサ

時系列::600ころ起床し、熱めのシャワーをする。730ホテルの朝食す。830ホテルを後にしてレンタカーHartzのピサ営業所をめざして歩きはじめる。テレビ番組『世界ふれあい街歩き』の感じ・・・。

今日はレンタカーのピックアップだ。旅行社から渡された地図とホテルでもらった地図を突き合わせて睨め、このホテルからの距離をみつもる。だいたい、2㎞かな。レンタカーは1000の約束だから、歩いて行くとすればここを900に出ればじゅうぶん間に合う計算だ。余裕をみて、830にホテルを後にした。

道々、駐車方法を観察する。ホテルでもらった地図のところどころに??川添いにPマークがある。そこを観てみた。行ってみて白線(無料駐車可)の区画になっているところは、朝の900頃で、すでに隙間なく車が停まっている。近所の住宅団地の人たちの駐車場になっているらしい。みんなそれらしい「許可証」みたいなものをフロントガラスの中に表示していた。青線区画(Pメータに金をいれて駐車可)もあるが、それほど空いているというわけでもない。

&さらにHartz営業所の方へ歩いて行くと、二階建ての青空駐車場があって、若い学生っぽいお兄さん(近くに「ピサ大学」がある。そこの学生さんか?)が、その駐車場のPメーターに金を入れていた。

猿;そこに車、停めているの?
学;はい、そうです。
猿;どうやって使うのか、ちょっと見ていていい?
学;どうぞ。ほら。領収証が出てくるでしょう。これを車のフロントガラスから見えるようにしておけばいいんですよ。
猿;そうなんだ~。

そんなことなのだろうと思った。しかし、「そんなこと」が、どんなことなのかはまだオレは知らないでいる。

今の日本の自動車学校ではパーキングメータの使い方を教えるのだろうか? 日本人も世界中を車で旅する時代なのだから、ぜひキッチリ教えておいてもらいたい。

930ころ地図に示されたHartz営業所のあるあたりまで来た。あれ~。???。営業所らしきものは、ないなあ~?
自転車に乗っていたオバサンに「この辺にレンタカーのハーツ営業所はありませんか?」と訊く。

「・・・。う~ん。わかんないわねえ・・・。」

なのである。地図を見る限り、この辺の、その建物なんだけどなあ・・・。 地図の見間違えか? 来た道をちょと戻ってやり直してみたが、やっぱりここだ。またその辺の別のオバサンに「この辺にレンタカーのハーツ営業所はありませんか?」と訊く。このオバサンも地図を眺めて「知らないわねえ・・・。」と言う。

930ころここに着いたのだが、そんなこんなしている内にもう約束の1000である。電話、電話、営業所に電話! と思っているところへ、さっきのオバサンが車に乗った二人の男と、通りがかりの別のオバサンを連れて戻ってきて「ちょっと、さっきの地図見せなさいよ!」と言ってくる。

結局、その地図を巡ってその四人は、こちとらそっちのけで、10分ほどなにやら揉めていた。そして最後に、その中の一人の男が「その営業所の所番地を出せ!」とオレに言うのである。オレはリュックの中からHartzの予約の書類を出して、その男に示した。男はそれを30秒ほど見つめてなにか考えてから、言った。

男;場所が、ちがうよ。それはここから1.5㎞くらい離れている**ビルの中にあるんだ! 歩いて最低15分かかるよ。
猿;ここでタクシーを拾えないかな?」
男;不可能じゃあないけど、95%諦めた方がいい。タクシーってタクシ乗り場から乗るか、ここまで呼ぶかなんだ。ここまでくるタクシーなんて、ないね。歩きな!

という訳でした。ええ。歩きましたよ。途中GSのオジサンに**ビルってこの近くですか? って訊いたりして。そのビルは何でも欧州全体を縄張りにしている不動産会社のビルらしい。まわりの景色がやけに白々しく感じられた。

猿;I’m very sorry to be here so late!

これが営業所へたどり着いたオレの第一声。

営;気にしなくていいよ。だけど、どうしたのよ?
猿;「・・・。」
営;なんだ~。電話してくれればホテルまで迎えに行ったのに!
猿;「・・・。」
営;で、どんな旅するの?
猿;オレ、ヨーロッパで車、運転するの今日が初めてなんだ。それで今日はこれっからルッカを見にいく。車と、交通に馴れたいんだよ。それで、あしたからピサからニースまでの車旅をしようと思っているんだ。
営;おお! いいねえ。ルッカは綺麗だよ。行ってみな。それと、お前さんがあしたから行こうとしているその道ね。ニースまでだとトンネルが320か所あり、道は狭く、うねっているからね。景色があんまり綺麗だからボーとして海に落っこちないように、前、ちゃんと見て気をつけて行くんだよ。なにしろゆっくり走ることさ。
猿;「・・・。」
営;保険、フルカバーだからさ。自動車はどんなにぶっこわしたっていいんだからね! 気をつけるのはケガしないこと、命落とさないことだけだ!

ローマでは年間350人の交通事故死者が出て、あしたからの道には320のトンネルがあるんか・・・。なんだか300が来るなあ。どうなるんだろう・・・。

まあ、いいや。と車にガーミンナビをセットしてルッカをめざして道に乗り出した猿吉なのです。あ~あ。左ハンドル右側通行、別になんてことないじゃん・・・。と、でた道は地方道だったのでした。

欧州の道路って『E(ヨーロッパ道路)>A(国道)>SS(州道)>SR(県道)>SP(市道あるいは村道)』の順となる。とはネットの中の情報である。そしてしばしばE=Aであるから、同じ道がE**でありA++である。E、Aクラスは130㌔、SSで90㌔、SRで70㌔、SPなら50㌔くらいの速度制限だ。そんなの誰も守っていないのは日本の一般国道50㌔高速道路80㌔制限をほとんど誰も守っていないのと同じだ。

営業所から先ず出た道は、たぶんSP2。ここでラウンドアバウト初体験す。これは、なんてことはない。こんなん普通にできる。

次にここからSS12に入る時、入り損ねた。90㌔制限の二車線の道を120~30㌔で飛ばしている自動車が「お前なんか入れてやるもんか!」という勢いでぶっとばしてくる。こちらが入ろうとしているのに道を譲る気配は全くない。

こっちだって根性。思いっきりアクセルをふかして割り込んだ。しかし、悲しいかな、その時、車の右を縁石に擦り、ホイルカバーを吹っ飛ばした。あとで見たらホイル自体もチョットめくれている。こうしてSS12には入ったが、オレはなんだかすっかり怯えていた。縁石に擦った時QnSは悲鳴をあげていたし・・・。そのQが横で青ざめて震えている。

そのまま30分ほど走り、道に一定距離ごとに作られている路側帯にすべりこだ。生きた心地がしない。イタリアの交通ひどすぎる。深呼吸をし、体をほぐし、その辺を駆け回って気を鎮めようとした。そうして車にもどり、またSS12の中に入った。鎮めようとした気は、姿を変えて猛烈な緊張感となってオレを縛っている。

SS12から、ルッカへ向かうSP22に降りたのだが、今度はここでラウンドアバウトが連続してくる。ガーミンナビが教えるので、別に何という事もなく走れるのだが、困るのは後続車の追い上げである。こんな田舎道なのに、後続の5~6台が団子になってプレシャーをかけてくるのだ。

イタリア人、なんなんだよ! そういうの生きがいにしてるいんかよ! やだなーもう! と思ってちょっとした村を通り過ぎる時、おれは車の右に大きく泥をはね上げた。

ああ、もう今日はここまで・・・。ルッカまで行くのは止そう。周りにはそれらしいトスカーナ丘陵の景色が広がってきているのに。緊張と恐怖で写真一枚とれやしない。

安全にホテルまで帰りつくこと。それを目標にして、その場から引き返すことにした。出だし一時間遅れになってしまっていることでもあるし・・・。ルッカはもうすぐそこなのに・・・。ルッカでの優雅な昼食なんてこうなっては望むべくもない。命あってのものだねだ。帰ろう、帰ろう、ホテルへ帰ろう。なんとか安全に。

そうして、慎重な運転(イタリアでの「慎重な運転」はかなりキケン。「大胆な運転」ができないとだめっぽい。そんなのオレ日常やってない!)をしてホテルに帰りついたのですよ。さて。今度はホテル周辺での駐車だ。ついにその時がきた。

ホテルはピサ中央駅から歩いて五分とかからないところにある。えらいもので、ガーミンナビはルッカへの道の途中のSP22からSS22を通してSP2へ戻し、ホテルまでオレたちをナビして連れてきた。ホテルの周辺は完全に一方通行が敷かれていて、道の両側は青の駐車帯である。ホテルのまわりを三度まわって、空きスペースを探して車を停めた。ホテルまで50㍍ほどの距離のところだ。ホテルの前の道路も一方通行で青の駐車帯であるが、空きがなかった。

さて。パーキングメーターをどう扱えばいいのか? そこのPMには1.2€と書かれている。

なにはともあれ、PMに1.2€を入れて、その領収書をフロントガラスから見える所へ表示して、車を降りたってわけです。と、そこへ、巡回の婦人警官がきた。好都合じゃん!

猿;”Can you teach me something how to park the car?”
婦;”☆〇・・・◆Д”
と、返事はイ・タ・リ・ア語でくるのね。オレはかまわずに、
猿;”I want to park this car until next morning 10 o’clock. How should I operate the parking meter?”
婦;”Д〇★¥・・・〇☆”
何なんだよ。この女。オレの英語はちゃんと分ってるくせに、絶対英語をしゃべって教えてくれようとはしないのでした。ええい、もう。
猿;”I’m sorry. I can’t catch you. thank you very match!”
QnSが後ろから、
Q;”グラッチェ!”

ちっともありがたくないないのに、サンキューというオレと、グラッチェというQnS。この婦警の頑なさは凄味があった。顔は笑っていたのに。この「感謝」は、それに対する背一杯の皮肉だ。仕事を終えて、家に帰って心いためるがいい。ばか女。

でも。そんなこと言ったって、どうすりゃいいのよこのわたし? てわけで、ホテルのフロントまで戻って解決を得ました。以下、旅行要素中のパーキングメーターの使い方の中にある問題の解答です。

解答::
①::PMにある1.2€は、駐車一時間あたり1.2€の意味である。
②::一般に、イタリアでは20:00から翌日の8:00までは、青色駐車帯は無料である。
③::従って、20:00-17:15=2.75h、10:00-8:00=2h、2.75+2=4.75hが支払いの必要な時間の長さだ。
④::1.2*4.75=5.7€、があなたがPMへ投入すべき金額である。

⑤::しかし、こんな計算するのがめんどうだし、切りよく5.7€がないかもしれない。
⑥::その時は財布の中から硬貨を適当に放り込んでゆき、PMの時刻表示が投入した金額に応じて変わってゆくのを見ていること。その表示が10:15になって、それでもいいや、というのならそこでPMの青ボタンを押してやれば10:15の表示のある領収証が出てくる。
⑦::それが不満ならPMの赤ボタンを押す。入れた硬貨が全部吐き出されてくる。

⑧::PMは硬貨しか受け付けない。また、道路によって金額が違う。事実、ホテルの前の道は2.0€だった。
⑨::硬貨でありさえすれば1¢でも受け付けて時間に換算するかどうかの観察まではできていません。たぶん、する、と思いますが。要は入れてみて、時刻表示が変われば受けつけているのです。それがイヤなら赤ボタンをおしてリセットしましょうよ。

ということです。フランスやスペインのことは知りませんが、似たようなものだと思います。

というわけで、明日の10:00までの路上駐車の権利を得て、ホテルの部屋へ戻ったのでした。

しんどい一日でした。夕飯に何を食ったのかさえ思い出せません。後でQnSに訊いてみます。

Q; 夕飯ねえ・・・。いただいた様な、いただかないようなねえ。ホテルの部屋でね。ほら、オマイが自動車を借りて道に出たときさ、そも真ん前がスーパーマーケットでさあ。そこでトイレ使って、(パックの)赤ワインと大きな田舎パンとハムとチーズとオレンジを買い込んだじゃあないよう。それよ。それをホテルの部屋でいただいたんだよ。夕飯に・・・。

ああ、そうだった。だけど、そう言えば、きのうの夕食はなんだっけ?

Q; きのうは最悪! アタイ、おようはんいただいてないよ。

そうだっけ?

Q; 着いてすぐピサの斜塔にのぼっちゃって。それで疲れちゃって、帰りにその辺の店でジュース買って・・・。オマイはコーラ買って。それ飲んで終わり・・・。だったでしょう! オマイはさあ、ローマでアタイが買ってやったサンドウィチを一人で食べてた。アタイにはくれなかった・・・。なにはともあれ、ピサでの食事は冴えなかったネ。

なんだか、かなり疲れていたよね。サンドはさ、オマエは電車の中で食っちゃったんじゃないか。

Q;・・・。

2/5(火)ローマ~ピサ::

時系列:: 600ころの起床。730ころホテルの朝食す。900チェックアウトす。ローマテルミニ駅からピサへ向かう電車は12:30の発車。まだ時間がある。

右の絵:: きのうシンコに教わっておいたローマの??朝市を見に行くことにして、荷物をホテルのフロントに預かってもらい、タクシーを使って出かけた。

ここで買い物はしなかった。市場を見学したあと、ホテルまで歩いて帰った。ガーミンナビにホテルは入れてあるので、ガーミンを「歩行モード」に変えて、ナビを頼りに歩いた。それは、全く、TV番組の『世界ふれあい街歩き』そのものだった。QnSとオレは以後、この手の旅をあっちこっちでしてゆくことになる。

1230:: ローマテルミニ駅発の急行にのる。 1500ころピサセントラル駅着。 ホテルは駅から5分ほどのところ。すぐチェックインす。 1600ピサの斜塔をめざしてホテルを出た。⇒1630ドオーモ広場着。1700斜塔内見学。

全く、上記の時系列などは、どうにも『世界ふれあい街歩き』になるのだった。 1630斜塔のあるドオーモ広場に来る。斜塔は1700まで入れるので切符を買って斜塔に登った。

この斜塔に登って見学しているとき、オレたちに声をかけて来た30歳くらいの日本人女子がいた。京都の人だという。黄緑を主にした、上手な身なりをしていた。「お二人でご旅行ですか?」と俺たちに訊ねてきた。

猿;ええ、ほぼ半分やけくそみたいな、投げやりな旅行です。
女;どんな感じです?
猿;カルチャーショックを受けています。きのう、おとといとローマに泊まったんですけど、きつかった! 日本での暮らしなんて、どんなに生ぬるいものかっていうカルチャーショックです。
女;でしょう。ローマはとくにきついんです。あたしはイタリアは二度目なんですけど、そう思います。
猿;二度目って?
女;四年前に一度ね。日本で陶芸の教師をやっていました。今回はイタリアで、どこかの工房にもぐりこんで、絵付けの仕事にでもありつけたらいいなって。一年間イタリア語教室に通って・・・。そんな気持ちで、二度目のイタリアなんです。

がんばっているなあ。日本の女。けなげだなあ。
斜塔からホテルへ帰る時はもうこんなに暗くなっていた。ホテルまでの道には多くの店があった。その一軒の食料品屋に寄ってQnSがオレンジジュースを、おれがコーラを買った。

その店の店番の女は見事だった。何がみごとだったか? その無愛想さがみごと。人もここまで無愛想になれるのなら、それも一つの芸だろうとおもった。だからオレはその女ににっこりと笑いかけ「グラッチェ!」と讃えておいた。何に礼を言われたのか、その女には分かっただろうか。女の顔に心持笑顔浮かんだようにも見えたのだが。

2/4(月)ローマ::

時系列:: 700起床730ホテルのB1でコンチネンタルスタイルの朝食。900ロビーでローマ観光ガイドのシンコと落ち合う。

930シンコに連れられタクシーで市内バチカン市国サン・ピエトロ大寺院へ向かう。1000くらいからS・P寺院の観光開始。このときシンコからタクシーのつかいかたの手ほどきも受けた。見学の帰りにちょうど衛兵の交代式にでくわした。スイスから来て大司教の守りについているのだとシンコが教えてくれた。

1130バール(喫茶店みたいなものだが、だいぶちがう)でカップチーノをいただく。

1200バスを使って『真実の口』に来る。ここはギリシャ国教会の一部なので、この教会を見学する。サン・ピエトロに比べれば質素な教会であるが、好感がもてた。またバスに乗ってノラ猫のいる場所へ連れていってもらった。そんな場所を知っているこの女、なんだかすげえ・・・。

1230昼食。上の絵から50㍍ほどのところにある、よくはやっているレストランでだった。メニュ=(赤ワインと水・生ハムとチーズの盛り合わせ・スパゲッテ―カルボナーラ・トマト味のパスタ)。メニューの組み立てはシンコのお世話になった。テーブルマナーの講習もしてもらった。

歩いて1430トレビの泉。観光客の多いこと。多いこと。

1530スペイン階段へ。奥はスペイン大使館だ。ジェラートを買って食った。地下鉄を使ってホテルの近くまで帰り1700にホテル着。この時、プライベートで夕食に付き合ってもらえないかとシンコに頼んでみた。OKをもらった。1930ロビーで落ち合う約束をした。のち部屋に帰って1900まで寝た。

1930ロビーで落ち合う。近くの海鮮レストランへ。シチリア島近くの何とかという小島の料理の専門店だということだった。メニュー=(白ワイン・水・カキ・イワシのオイルづけ・イカの焼き物・各種野菜の油炒め。このとき始めて『アーテチョウク(ういきょう)』というものを食った)。

こちらも自己紹介しつつ、シンコが何者なのかも聞きだし、友達になった。こんど日本にくるときはウチにも寄ってオレの「うどん」でも食ってくれるよう頼んでおいた。きっと来てくれると思う。
旅行要素

旅行費用(単位;万円):: まだハッキリしていない。旅行社への支払いが35/人くらいだったが、このほかに昼食、夕食、買い物、予約をしていない日のホテル宿泊料(旅行社に予約を取ってもらったホテルにはすでに35の中から前払いで支払いがされている)、レンタカー料金(後ほどのカード決済)、土産物代、バス・タクシー・地下鉄などの交通費、税金、チップなどである。出発前は50/人を予算していたが、そこまでかかっているかどうか、まだハッキリしない。

言葉:: メインは英語。そこにイタリア語(QnS)とフランス語(猿)とジェスチャーのご愛嬌を付け加える。しかし、まあ、せめて中学レベルの英語がよどみなく話せて聴ける力がなければ個人旅行は不可能に思われました。

ただ、英語ができるからと言ってイタリアやフランスに行って、そこで英語を話すということがイタリア人なりフランス人の感情に気持ちよくないだろうことは彼らの表情から見てとれました。その国の言葉も少しは覚えて敬意を表す、ということではないでしょうか。何でも英語、で、捲くし立てるのは禁物です。そこでツンとソッポを向かれることがあります。特にフランスでは・・・。なにしろイギリスとフランスは歴史的に犬猿の仲。らしいのです。それは、日本にいて、韓国や中国やフイリピンやインドネシアの人たちがわたしたちの日常環境に入って来た時のことを思ってみれば想像がつくのではないかと思われます。

人種差別:: 二件ほどそういう経験をしました。あからさまなものではありませんでしたが気持ちのいいものではありませんでした。しかし、オレ自身も中国人とか韓国人とかフイリピン人とかインドネシア人とか黒人とかには、そう好い感情を持たない者であってみれば仕方ないのかとも思いました。彼の地での東洋人はその体格や顔つきやマナーにおいていくぶんみじめであるような劣等感を感じました。その点、黒人は全く別物で、マナーもへったくれもなく体躯をふくめ堂々としていて、「すげえ!」とおもった。

ネット環境:: 旅行中、日本から電話が二本かかってきました。彼の地ではホテルの予約をとるためと、マルセイユでの観光ガイドのテラダ兄さんに、教えてもらった土産物屋に行き着けなくなってしまい、電話しました。電話に関しては日本からもっていったスマホ(猿)と携帯(Q)で難なく用が足せました。

しかし、Wi-Fi環境は不調でした。そこらじゅうにこの環境はあるし、パスワードも教えてもらうのですが、ダメでした。なにかがいけなかったのだと思いますがなんだか分かりません。そうは言っても、それで不便という事もなかったんですけど。

メールの送受信についてはよく分かりません。PCからの携帯・スマホへのメールの転送は切っておきましたので、49haku@saru.com に宛てられたメルを彼の地へ持参した携帯・スマホへ受けないのは当然でした。しかし、携帯・スマホへメールが直に届いたということはありませんでしたし、携帯・スマホからメールを直にするということもなかったので、彼の地でのメールの送受信についてはよく分かりません。

駐車場:: 今回泊まったどのホテルにも『駐車場』というものは一切なかった。では車で旅する人はどうするのか・・・。2/6からはオレもレンタカーの旅になるんだけどなあ。そんなこんなで、路上駐車を観察しはじめる。ローマのフェミチーノ空港から市内サボイホテルに来るまでの間、運転手とのやりとりで、どうやら駐車は全て路上駐車だということは教わっていた。道路はすべて黄色ライン(駐車できない)、青ライン(Pメータで金を払って駐車可)、白ライン(無料で駐車してよい)に区画されているのだという。田舎に行けばこのかぎりではないらしい。地元の人は役場から青ラインの中に無料で(?)駐車できる権利が与えられていて、それ用の証明書が出されているから世話がないらしい。

パーキングメーターの使い方:: 以前、PMは浜松の駅前で一回経験したことがあるだけだ。100円だったか200円だったをPMに入れて、出てきた券をポケットに、駅前のうなぎ屋で櫃まぶしを食って戻ったらバックミラーにチェンが取り付けられ、浜松警察署に出頭せよと書いた札がぶら下げられていた。どうやら「券をポケットに入れる」のではなく、「フロンのガラスから見える位置に表示する」のが正解だったらしい。こんどは、そのことが異国で起こるのだ。さあ、どうしよう。じゃあ、問題ね。解いてみて。

問題:: ホテルの近くの道路に青ラインの区画があり、一台分の空きスペースがあったのでそこへ車を停めた。そして近くのPMのところに行ってみると1.2€と表示され、現在時刻が17:15と表示されている。あなたは、明日の10:00までここに車を停めておきたい。さあ、PMをどう操作しますか?

この問題が解けないまま欧州車旅行をすることは不可能。 答えは後ほど。オレはこんな問題がある事さえ知らずに行ったのですから、答えなんてその場でもがいて得たのでした。バカだったなあ。

解答:: あとでね! ⇒ 2/6(水)ピサ::の最後の方に書いておきましたよ。

日本語ガイド:: ローマ(シンコ姉さんロマ在住21年)、ジェノバ(いない)、ニース(セツコ姉さんニス在住40年以上?)、マルセイユ(テラダ兄さんマルセ在住45年?)で日本語ガイドを頼んだ。ジェノバには日本語ガイドがなく、頼むことができなかった。今回の旅行ではこれらのガイドを頼めたことが成功のポイントだった気がする。そして、これらの人の個性は極めて面白い。日本人でありながら日本を離れてその地に住みついてしまった人たちなのだ。機会があれば、のちほど紹介したい。

気候:: この時期のリビエラって、ほとんど「伊豆」でしたね。そして、とても乾燥している。風向きが丘から海へのとき特にそう感じる。その逆向きならそういうことはなかった。

カーナビ:: ガーミンナビ2582V+ガーミン マップソース シティナビゲーター ヨーロッパ(日本語版)をセットして持参した。よく働いた。使い物になります。

また、現地のタクシーにはほぼ間違いなくガーミンナビが付いていました。ジェノバでホテルからタクシーを呼んでもらってレストラン『宇宙飛行士の馬小屋』へやってくれと頼んだら、運転手はその場所を知らなくって、GNに住所を打ち込んでっから連れていってくれたりもしました。GN,使い物になります。

服装:: QnSはちょっとしゃれすぎ。もっとスポーテーで良いのではないか。オレは野暮すぎ。しかし、ドレシーとかヤボと言う事より、貴重品を上手に身につけておける「釣り用のベスト」みたいなものが是非必要だとおもった。

現地のイタリア人やフランス人は、乞食やジプシーもふくめて、服装が上手である。

通貨:: €(ユーロ)と¢(セント)。で、1€=100¢なり。

紙幣;100、50、20、10、5、までが紙幣で€。
硬貨1;2、1、ここが硬貨としての€。
硬貨2;50、20、10、5、2、1、が硬貨としての¢。

感覚的には1€=120¥くらいな感じ。アベ政権になって円安になり、1€を100¥くらいで買えたものが、120くらい出さないと買えなくなっていた。

使い勝手; QnS;スーパみたいなところで20€みたいな紙幣をだすと「細かいのないの?」と訊かれ、アタイの財布の中まで覗かれる。ないとわかるとしぶしぶ、投げ出すようにお釣りをくれるんだよぉ。買い物をしてお金を崩そうなんて感覚は、許されないのんだわよぉ!

パーキングメーターは硬貨のみ使用可能です。

見ている感じ10€くらいを多くもっているのがいいようでした。しかし、「カード」かなあ。VISとかJCBとかAMXとか・・・。ただし暗証番号のついているやつですけどね。これはたいていのスーパーとか百貨店で使えます。切符もかえるしレストランの支払いもできます。欧州ではスリ、泥棒、かっぱらいが横行しているので、現金は持ち歩かないようになってきているそうです(テラダ兄の話。兄さんも地下鉄でジプシーのスリ団にやられたことがあるそうです。日本人観光客トッテモいいカモらしい)。