日別アーカイブ: 2018-03-26

きょうの予定は?【①出/なし・・・②収/にら・・・③荷/ごぼ、にら・・・④作/育苗ハウス内片づけ(麦袋出しガラ片し、☚一部手を付けた、ネット清潔、床敷、Q畑種まき、プール整備)・・・⑤他/特になし・・・】ですだ。

  • よし!
  • やるぞ!!

きょうの英語::I will do it.

きょうの四小節::18326///「よし! やるぞ!! I will do it。」

 

メモ::言語論的第164番::そこから出られない・・・

1::三つのことを思っている。一つは①「生きているということ」。二つは②「言葉をつかっているということ」。三つは③「歴史の中にあるということ」。この三つである。

1-1::ウロボロス的::上記①②③は、すべてウロボロス的である。

1-2::上記は「考える」ということに関してウロボロス的なのだ。生きていながら生きるということを考え、言葉を使いながら言葉とは何かと考え、歴史の中にいながら歴史とは何かと考えている。ヘビが自分の尻尾に噛みつき、それを食っているのと同じ構図がそこに見てとれる。

1-2-1::例えば、目の前にある机を考えるときは、わたしたちは少しもウロボロス的ではない。わたしたちは少しも机ではないからだ。

1-3::他にこのようなウロボロス的具体例はあるか? あれば知り得るかぎり列挙せよ。

2::生きているということを具体へ展開すれば、立っている、息をしている、見ている、感じている、・・・などとなる。

2-1::立っていながら立つとは何か、息をしながら息をしているとは何か、見ていながら見るとは何か、感じていながら感じるとは何か、・・・と問えば(=考えれば)、それは1-3の具体例となる。

2-1-1::このとき、問うこと=考えること、としたが、音楽を作っているときとか、絵を描いているときとかは、その対象に向かって非言語的に考えているという経験を持つ人は多い。してみると問うことと考えることとは同じではない。言葉を使わずに考えることは、特定の場面で可能だが、言葉を使わずに問うことは(ほぼ)不可能に思われる。

2-1-2::問うために必要なものはなにか? 答え::言語使用が必要である。

2-1-2-1::・・・「骨が折れていないか?」と整形外科医が問う。答えはレントゲン検査によって得られる。が、その結果を外科医が「骨が折れています!」と告げなければ問うたことも十全にならない。問と答えは言語的過程である。答えを得るのには必ずしも言葉を必要としないが、それは言葉によってしか答えとされえない。

2-2::こうしてみると、ほぼ無限にその具体例は在る。

2-3::そのように在る無限のウロボロス的具体例を、まるで目の前にある一つの机のように扱うことは可能か? 答え::可能である。物事を科学的に取り扱うとは、そうすることだ。しかし、そのとき実際に「生きているわたし」は忘れ去られる。不問に付される。問から外される。

3::生きている・言葉を使っている・歴史の中にいるの包摂関係はいかようか?

3-1::生きていれば歴史の中に在らざるをえない。しかし、生きて歴史の中に在ったとしても、言葉を使わないということは可能だ。植物人間のように。またはあなたが眠っているときのように。

3-1-1::植物人間や、眠っているあなたは、生きて歴史の中にいると言えるか? それは、目の前に在る一個の机と同じではないか? 机が机自身で「生きて、歴史の中にいます」と言ったという話は聞かない。それを言うのは机を観察している人の発する言葉であるだろう。机はそのことに何も関知しない。

3-1-2::そうしてみれば、あなたが生きて歴史の中にいるのは、どんなことであれ言葉を使っている時ではないのか?

3-1-3::生きているためには、何がしか言葉を使わなければならない。そしてその言語使用は歴史の中にある。歴史の中に在らずに生きる事は不可能だ。

3-1-3-1::植物状態や眠りにあるとき、わたしたちは言葉をつかわない。その使わなさは目の前にある机と同じだ。

3-1-3-2::言葉を使うとき、わたしたちは机ではなくなる。そのとき生きている。歴史の中に在る。言葉を使うことにはそういう面がある。

3-1-4::朝。人に会って「おはよう!」と言えば、それは生きていることであり、歴史の中にいるということだ。

4::言語使用以外に、そのようなことを可能にする行為はあるか? 立っている、息をしている、見ている、感じている、・・・などでどうか?

5::ウロボロスの論理学を得よ。ここには不明なことが多すぎる。