日別アーカイブ: 2018-04-04

きょうの予定は【①出/駅35点・・・②収/なばな・・・③荷/なばな・・・④作/トマフレーム解体(☚継続作業中)、苗間の整備、育苗プール整備・・・⑤他/QnS;清瀬行き;術後定期健診・・・】くらいですだ。

  • うむ。
  • 順調というか、そうでもないというか。
  • なにしろ、花の咲く時期が早すぎる今年だ。
  • 困ったものなのかもしれないじゃあないか。
  • ど~する?

困ったからと言って『ど~するもこ~するもありゃあしません。そんなこと言ったって、ダメですよ~う・・・』(セーコ)☚(オレが前に勤めていた会社の社長の奥さんの名前)という応えはどうだろうか。

デカルト(1596~1650)の『われ思うゆえにわれ在り』に対してジャック・ラカン(1901~1981)は『私は、私が在らぬ場所で思考する、ゆえに私は、私が思考しない場所に在る』と応えている。

つまり「そんなこと言ったって、ダメだ」とラカンは教えているわけです。どうこうする主体である私なんか、私がいないところで考えて、私が考えていないところに居るんだから、というのがその理由です。つまり、わたしの他者性のことです。

在るのは他者ばかり。で、その他者がよってたかって(無意識的に)つくっているのが、あなたがやっている「私」なのだと言っています。オレもそうだと思います。

しかし、そうなら、この他者を介して、再度わたしを行為の主体として取り戻す道はないのでしょうか。 そうして取り返したわたしに、どんなイイコトがありますでしょうか。誰が、それを取り戻せなどとわたしを嗾けるのかも含めて考えてみてください。

歴史はそういう場面にさしかかってきています。それが今です。むろん。古いものも共存しています。それが現代のグローバルな世界なのだという気がします。人・物・情報・金がやすやすと国境をこえて行き来します。国境だけでなく、歴史もこえる。入り混じる。

その中であなたはあなたの「わたし」をやるのです。そのわたしは他者がつくっているものでした。それを再度他者から取り返して、わたしのものとすることは可能かという問題です。

一見、不可能に見えますが・・・。

じゃあ、他者と一体になってしまった場合なんかどうでしょう。そこでは他者=わたしとなります。なにしろ一体化したのですから。しかし、その場合、他者の歯痛があなたの歯痛として感じられるでしょうか。

いかがでしょうか? 今年の花の早咲き。

きょうの英語:What do you think about that?

きょうの四小節::1844///「・・・」

どう? けっこういい感じする?