きょうの予定は?【①出/駅40点・・・②収/しない・・・③荷/ごぼ、やまい、ライ麦、白粉、全粒粉・・・④作/ゴボ畑作り(☚耕耘・施肥・割付・種まき)、ねぎ除草(☚まだまだ)、にら移植(☚もう少し)、トマフレーム解体(☚継続作業中)、育苗プール整備(☚手つかず)、ライ麦精麦30㌔、こゆき小麦精麦12㌔同製粉10㌔、ゆきち精麦60㌔同全粒製粉50㌔・・・⑤他/資材買い出し(種まき培土、ズッキ種、育苗ポット追加200ケ・・・】かな。

  • なんだかアベ政治が危うくなってきた感じがする。
  • 森友と加計を発端としてである。そこに防衛文書の隠ぺいなども加わる。
  • こういう感じをオレにもたらすのはTVニュースである。
  • 国政や、国の行政についての情報(ほら。このあいだうち考えていた「情報」だぞ!)なんて、マスメディア(=情報を、その情報を持つ当の物から切り離して運ぶ大装置)を通してしかその情報源がオレにはない。
  • マスメディアにはその所有者がおり、所有者にはそれを所有する動機があるだろう。そういうことで言うとNHKの所有者は誰で、どんな動機でそれを所有しているのだろう? 建前と本音の使い分けなんてよくあることだ。何かが「記憶になかった」りすることはしばしばだ。
  • この手の情報と、その情報を担う物が未分化である状態(=それの物の面もメディアだった)にわたしたちは、さわれない。
  • だって、こっちはそれとは別な、日常があるからだ。たとえばオレはトマトを作るが、トマトの木はトマトの情報をもっており、その情報を介してオレはトマトの芽を掻いたり、消毒をしたり、肥料をやったりする。
  • 国会議員や高級官僚にでもなればその情報と、その情報を担っている現物に直に触れる(=それを見、顔色をうかがい、言葉を交わし、握手をしたり、笑ったり、不機嫌をあらわしたり、忖度したりできる・・・)だろうが、こっちは農民の日常をやっているので、そんなものに直に触れない。
  • しかし、その情報には、オレも巻き込まれる。そして、それを情報として運んでくるのはマスメディアだ。
  • マスメディアはそうした情報をオレたちが無視できないだろうと踏んで、送ってくる。
  • たしかに無視できない。見てしまう。気が行ってしまう。
  • なぜなら、その情報が指し示しているのは「公共」の作り方についてだからである。手近な喩えを使えば道路がちゃんと舗装されていて走りやすいか、それとも穴があって危険か、などで、どうだろう。わたしたちはその道路を使うが、その道路の建設、管理は公共のことである。
  • 公共って、そういうことだ。公共がどうつくられているかは、わたしたちの利害に関わるのである。
  • そして公共は、自分有利に作られるにこしたことはない(だろう)。
  • この道路の建設管理の公共を、税金の取り方とか、医療制度とか、年金制度とか、教育制度とか、司法制度とか、防衛とか、通貨制度とか・・・の公共へ拡張してみればいい。これを自分有利に作りたいのだ。
  • そして、国民の立場は一枚岩ではない。一枚岩ではないが、力のあるものは実際にそれを自分有利に作るように動くだろう。そう動けることが「強いもの」の定義でもある。
  • 資本家もいれば労働者も農民も自営業者もいる。都市住民もいれば田舎暮らしの人もいる。男もいるし女もいる。赤ん坊から超高齢者までいる。貧乏人もいるし金持ちもいるだろう。おバカもいるし賢い人もいる。
  • そういうそれぞれの立場の人が、公共を自分有利に作って欲しい。そして自分有利に作れるのは「強いもの」だ。有史以来の歴史とは、この「強いものが誰か」の交代劇だったとみることもできる。
  • そのとき最も問題になるのは、その強い「自分」って誰か? である。
  • だって、「自分」有利に公共をつくれれば「自分」の暮らしが楽になるんだから、その有利になる自分への問が出てくる(はずだ)。ウチの前に良い道路ができれば、土地の値段が上がるし、雪かきはしてもらえるし、便利はよくなるし、・・・するもん。「自分」が得するもん。
  • そういう強い自分って、誰か? これが分かんないのだ。
  • 男であるオレが快適である公共ってなに? その公共に、オレではない女の性はどうかかわるの? 農民であるオレが快適である公共ってなに? その公共に、農民ではない勤め人はどうかかわるの? それなりに高齢者であるオレが快適である公共ってなに? そこに若い人はどうかかわる? 貧乏人であるオレに快適な公共ってなに? そこに金持ちはどうかかわるの? おバカなオレが快適な公共ってなに? そこに賢い人はどうかかわるの?
  • どう考えたって、自分は、自分だけで作られてはいない。男で農民で高齢者で貧乏人でおバカなオレなんて、自分で作れるようなものではないだろう。そういうものではない他者によって作られる社会的な立場がオレとして在るだけだ。それが自分だ。強かろうと弱かろうと自分とはそういうものなのだ。
  • 彫逐と陰影。
  • これが公共の難しさだ。
  • この公共作りは時代ごとに制度化されており、いまの日本では、その頂点が国会と内閣と最高裁。江戸時代は徳川幕府が一手に暴力的にやっていた(?)。農民なんかトレ高の半分が持っていかれる。ヒミコの時代はよく分からない。もっと前は自然そのものが公共だったか?
  • アベ政治が危うくなってきたのは、この公共づくりの危なっかしさが露呈してきたということだ。
  • しかし、アベ政治が終わったとしても、その後に続く(日本としての)希望がない。個人的にはギリシャへ行ってワインを飲んで桃色吐息を歌うとか、ありますけど・・・。
  • 終わっても受け皿がない。『アベ政治を許さない』という声の向こうに、希望は見えない。
  • どうして作ろ?
  • 希望。

もう少し時代が進むと「自分」ってものが計算論的に定義されて、そこから最大多数の最大幸福を出力するようなプログラムが作られるかもしれないとは思います。その場合ビッグデータの活用がカギになるでしょう。オレとしてはこの計算によって政党政治が終わり、テロが終わり、国際紛争が終わる世の中の出現を希望します。公共の作り方として。

きょうの英語::There is no saucer anywhere.

きょうの四小節::18415///「・・・」