日別アーカイブ: 2018-10-14

きょうの予定【①出/駅(35点)☚猿(_ _*)/・・・②収/(とまと・ぎんなん)☚猿(_ _*)/、QnS“(-“”-)”、・・・③荷/(じゃがいも・ぎんなん・とまと)☚QnS“(-“”-)”猿(_ _*)/、・・・④作/麦畑(種まき耕・麦種準備)⑤課題/う~・・・⑥他/う~・・・】

  • きのう東北農研から「夏こがね」の種が10㌔届いた。
  • パン用小麦品種の一番新しいものである。
  • いつも通り「種子として他人に配布してはならない」の一札を入れさせられている。粉に挽いて売るぶんには問題はない。
  • ・・・玄麦で欲しいって人にはどうするんだろう? 種としては使わないっていう確認でもとればいいのだろうか。
  • オレは約束を守る男なので、種としてあなたに分けてやることができない。
  • 欲しかったら東北農研と直談判してください。
  • 種として使わないと約束したあなたが種に使ったらあなたはウソツキとなる。
  • あなたはウソツキであることに耐えられるか?
  • こうして「こゆき小麦」「ゆきちから小麦」「銀河のちから小麦」「夏こがね小麦」と東北農研四品種を続けているオレだ。
  • 続けているから「それがどうした」と問われれば「くたびれます・・・」と応えるしかない。
  • なにはともあれこれからは「夏こがね」を小麦のメインにするつもり。他は種の保存が目的。
  • 保存は全くの趣味に属する。
  • パン焼きも趣味にするといいのだが、忙しすぎてできない。ブレッドメーカーでも買っていろいろの麦で焼いて楽しむくらいがいいところだろう。・・・できたとして、だけど。
  • 経済ばかり(=パンのみ)で生きるのも味気ないからね。
  • 『人は物質的な満足だけを目的として生きるものではなく(=人はパンのみにて生きるものにあらず)、精神的なよりどころが必要である。〔マタイ福音書四章〕』
  • その精神的なよりどころとは(趣味を持つことなどではなく)『神の口から出る一つ一つの言葉による』のである。それが精神のよりどころだ。
  • しかし神の口から出る一つ一つの言葉を「直に」聞き取れる人はどれくらいいるのだろうか?
  • 神父や牧師はどうなんだろう?
  • オレなどからっきしダメなので趣味に安んじたい。
  • 神が「趣味、持ちなよ」と言ってくれればそれだいいのだが直には聞こえない。
  • ひっひっひ。

「夏こがね小麦」は宮城県の指定品種になりました。宮城県の農業公社に「夏こがねの種欲しいんですけど・・・」と問い合わせましたが「県外には出しません」と断られたです。宮城県の農協には問い合わせていません。断わられて、すぐ東北農研に頼んでうまく行きました。でも、けっこう面倒くさがられる空気は感じました。

きょうの英語::I don’t feel comfortable living by economy alone. Man shall not live on bread alone.

きょうの四小節::吟遊れんしゅう::「M」から

So once again /  星が 森へ 帰るように 自然に消えて / 小さなしぐさも はしゃいだ あの時の わたしも / いつも 一緒に いたかった / 隣で 笑ってたかった / 季節はまた 変わるのに こころだけ 立ち止まったまま / So once again・・・

きょうの漫画::フラクタル模様::コピー::「道」 東山魁夷 1950年 絹本彩色 134*102㌢ 東京国立近代美術館所蔵

 

コピーはしてみたが元絵の雰囲気は出ない。

構図は恐ろしく単純だ。逆にニワンスは恐ろしく複雑。それがいかにも「意味ありげ」である。こんなものが描ければ言うことはない。ヒガシヤマの心象風景だという。

意味ありげの「意味」ということで言うと、どんなに「意味ありげ」でもそれだけでは意味は生じない。それについて何事か言及された瞬間に、そこで言われたような意味が生じるのである。

ヒガシヤマは次のように言う。『遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもあり、絶望と希望を織りまぜてはるかに続く一筋の道であったーーー遠くの丘の上の空をすこし明るくして、右上がりに画面の外に消えていくようにすることによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった』、と。

この絵の「思わせぶり」は、ここで、そういう意味を獲得したのである。

が、それは「作者の死」を発見したロラン・バルトに言わせれば「そんなん、ヒガシヤマ(=つまり「作者」)の言ったことなんかじゃないもんね!」ということになる。

それを聞いていたマルクス主義者のルイ・アルチュセールなら「人は誰でも主体であると同時に臣下でもあるような者として仕立てれれるものです」と応答するはずだ。ヒガシヤマはこの絵の主体(つまり「作者」)であると同時に召使でもあるというのだ。そして、そのどちらも他者によって「仕立てられたもの」なのだ。

人をそのように「仕立てる」もののことを「権力」と呼んだにはミッシェル・フーコーだった。

(「権力」はフーコーの定義するもので、通常わたしたちが思っているような「権力」ではない。それは別の機会に。)

人間世界はそのように運行している。一枚の絵もこの運行の中にある。そして絵の作者は権力によって仕立てられたのである。

権力がどのような在り方をしているかが歴史でもある。これはそういう筋書の中で読むべき絵なのだ。いや・・・。すべてのものが歴史の中にあり、その作者(たとえばスチーブ・ジョブズだって)は「権力」によって主体であると同時に臣下でもあるものとしてしたてられたものと考えるのがいいだろう。

いずれにしろ、意味は言語使用によってしか発生しない。絵だけでは意味は無理なのである。「意味ありげ」なだけだ。

あれ? 「意味ありげ」と言ってしまった・・・。物語してしまっている・・・。

意味はこうしてなにげなく発生してしまう。