日別アーカイブ: 2018-10-27

  • きょうの予定【①/駅(40点)☚猿:\(_ _*)/、・・・②/きく・ぎんなん☚QnS“(-“”-)”・・・☚③/とまと・きく・ぎんなん☚QnS“(-“”-)”\(_ _*)/、 ・・・④作/麦畑(種まき☚つづき)☚猿:\(_ー _*)/、・・・⑤課題/収穫(こんにゃく・とうがらし・ごぼう・やまいも・かき・いちじく・ゆりね)、種まき(年内じゃがいも春一番どり!・年内ゆりね種根植え芽生え時マルチ)、う~・・・⑥他/・・・】
  • ・・・。

きょうの英語::I wanted to be a person who can draw pictures, then  I began to draw.  And now I’m  interested in “Camera” the  most. 

きょうの四小節::吟遊::みぎひだり(詞/曲 清猿吉)

Amうえって Dm上のこと Amしたって Dm下のこと お、お、お、お~、 / Am上から E7順に言えば ば、ば、ば、ば、/ Am空、Dm山、E7森、Am畑だ だ、だ、だ、だ / G街も道も E7森と Am畑を G押しのけて つくった

Am時計の 針みたいに Dm右に一回りしても / E7逆に Dm左に一回りしても / Amうえって Dm上のこと Amしたって Dm下のこと / Gそこに Am空と Dm山と E7森と Am畑と お、お、お~ G街と道が Amある  U,U,U,U~

 

きょうの漫画::コピーで練習::「ジョン・コンスタブルの風景画」から・きのうの続き

 

きのうの続きをやっている。コンスタブルのようには描けない。何か掴みたいが・・・。どうなるか。

絵が描ける人になりたいと思って、描きはじめて、いま一番興味があるのが「カメラ」である。カメラが絵を描く仕組みって完全に機械的なものだ。原始的にはピンホールカメラだろう。ピンホールの代わりにレンズを入れたのが今のカメラ。そこで、絵を描く人って、そのピンホールやレンズにあたるのだろうかって疑問を持っている。といっても「目」という意味ではない。

そんなふうにカメラを隠喩として使った場合のピンホール、レンズとしての「人」はどうすればいいのかという疑問だ。

また「絵が描ける人になりたいと思って」というが、主体(=わたし)を捨ててしまったオレとしては、誰がそんなこと思っているんだって疑問もある。

それを「他者としての自己自身」と言ったのはポール・リクールだ。古くは神の召命だっただろう。少なくも「わたし」がそう思うのではない。他者としてのわたしがそう思う。他者はわたしをしてなぜそう思うのか。

こうして【神=わたし=他者】なのだ(ろうか?)。これも疑問だ。

ひとむかし前のテツガクは「われ思う故に我あり」で、ソレが常識だった。いまはそう思うのも自由だし、思わないのも自由。

思わない人が次々出てきたのはフランス構造主義の影響である。オレは思う側から思わない側に変わった。だいたいフロイトが無意識について何か言ってるらしいと知った若かったころ主体はすでに脅かされていたのだ。そしてソシュールの言語学、レビ・ストロースの民族学、ロラン・バルトの文芸批評、精神分析のジャック・ラカン、マルクス主義のルイ・アルチュセールなどがダメ押ししてくる。その嵐が吹き荒れた後が今なのだ。

みなさんはどうなさいますか? やっぱりあなたはあたたの一生を暮らしていく「主体」でしょうか。、、、そうであってもなくても、どちらでもそれでいいのです。

人生の味わいは大分ちがったものにはなりますでしょうが・・・。