• きょうの予定は?【①/発送(夏こがね小麦粉15㌔)・・・②/(かぼち・こまつな・はくさい・ふきのとう)・・・③/(ロゼッタこまつな・ふきのとう)・・・/①②③・・・・⑤懸案事項/ある(神のこととか)・・・⑥/QnS(PCデポ行き)・・・】☚畑が濡れているんだよな。

しかし、人間が社会をつくって、それを通して生きるようになったとき、人類史上始めてできたポジションって何だったんだろう。妻とか夫とか子供とかかなあ。しかしそれは高級官僚とか大学教授とか会社社長なんていうポジションとは相当ちがう。「ポジション取り」なんかしなくも、当該の社会(この場合家族)を作ると発生してしまう。

たとえば(何を何に例えているのかは不明ですが)江戸の士農工商なんてポジは生まれつきのものだったはずだ。しかしその「生まれつき」は(言葉で語られることで作られる)虚構だった。権力者や僧侶や神官や学者や代官やアシガルがそう言い、みんなが「そうだ!、そうだ!」って同意する(忖度したノね!)から、そういうものになってしまった。江戸の社会はそういう虚構(=語り)のもとで運営された。

しかしそうしてできる虚構は恣意的なものではない。おもい通りになるようなものではない。もっと宿命的なものだ(ろう)。

次にきたのが「自由社会」だった。これが産業革命後三百年ほど続いてきた。これがいま終わろうとしている。在りもしない自由をみんなで在るとの共同幻想を作って同意して社会を運営してきた。自由社会も江戸の社会運営と仕組みはまったく同じだろう。つまり虚構をつくってそれを共同幻想として運営するっていう・・・。

これでイイのかな?

確かに今までは社会の中には「おいしいポジション」ってのがあった。それが今、なにが「おいしい」のか不明になってきている。ってことでもある。

次の新しい虚構が求められている。しかしそれを誰も知らない。が、全体が神のすることだとすると、誰かが神の語りとなって現れてくるだろう。そのくらいの(無責任な)予報ならオレにだってできる。その程度にオレは神に選ばれているという自覚もある。つまり、語りはわたしに属さない。神に属す。語りとは社会を運営する虚構のことだ。

ってことでいいんですかネ? 受動の生を生きる者としては。

 

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