日別アーカイブ: 2021-04-28

予定::【収穫(フキ)荷造り(フキ・ニンジ)出荷(フキ・ニンジ)作業(・マルチ剥がし☚残り3畝・苗管理・その他(QnS(料理・洗濯) / 猿吉:「友との再会」(通し)再提出用Fづくり☚練習のみ】☚7゜11´曇り。雨になるか?

・・・。ふ~!

凄い!::凄かったり凄くなかったりすることについて。

例として鉄棒の大車輪ができる人は凄い。逆上がりもできない人は凄くない。小、中、高と成績がオール5の人は凄い。オール1の人は凄くない人だ。ではオール3の人は何になるんでしょうか。オール3の人って、すごい人ですか、凄くない人でしょうか。それとも、ありきたりな人ですか。

百メートルを9.65秒で走れる人は凄い人ですけれど、14秒で走れる人は凄くない人。20秒なら劣った人なんでしょうか。オリンピックとか世界陸上とかでは、なぜ速い人の方が凄い人になるんでしょうか。

長い距離をとべるとか、より高くとべるとかもそうです。速いとか、より長いとか、より高いとか。競ってそうであれば凄い。あなたに出来ないことがわたしにできるとわたしはあなたに対して凄い人になる。出来る、出来ないが凄さの物指しになっているみたい。

そういうふうに人を、凄い人と凄くない人に分ける基準って、社会のどこから生み出されるのでしょうか。その根本のところが分からない。

社会学の方、教えて。・・・。それともコレ経済学の問題か。数学とか物理の問題ってことはないでしょう。

いったいスゴさの根本は何なのですか。

 

選挙::自民、立民、公明、日本維新、共産、国民民主、社会民主、N国、令和維新、希望。

日本の主だった政党をあげてみた。

ここで選挙が行われる場合、それら政党関係者にとって選挙とは、その政党からの立候補者に一票を入れに行くこと以外のなにものでもない。つまり、選挙が来たって何も考えないのだ。考えるのは、わたしが一票を入れる候補者にあなたも一票を入れるように促す、促し方だ。あれこれ考えて、前回は自民だったけど今回は共産にし、次はN国に入れる人なんていますか。考えられない。

考えられなくてもそういうヒトはいます。おれがそれです。

「支持政党なし」のおれです。その中の一定数は選挙になど行った事がないし、これからも行かない。あれこれ悩んで選挙に行くおれって、一体だれなんだろうって疑問を持ちました。誰に入れていいか分からず行かないこともあります。

そういうふうに日本の有権者の政治行動が分布している。その分布はどうして出現したのか、です。

各人の政治的自由の選択の結果、ですって! よせやい! それ虚構ですよ。その説明はウソです。嘘もみんながそれをルールとして試合すれば、ゲームは進行する。将棋のルールってなんですか。そんなルールは物として存在しません。ルールって虚構なんです。人間という生き物にとって、そのルール(=虚構)が実在を見るメガネとしてある。そして将棋盤の上で将棋がはじまる。そうして見たものが盤であり駒だ。そういうものです。

選択の自由なんてありませんてば。各人がその資質や個性や社会的立場に応じて、そこに張りつけられてしまう。徳川家康がイエヤス以外の人をやるなんてないし橋本聖子がセーコやってオリンピック担当大臣になるしかないでしょう。『あれこれ悩んで選挙に行くおれ』っていう役割がおれに振られた。それをヤル以外の自由なんておれにはありません。

どうにもならない。『成りゆく』以外のものではない。『成りゆく』しかない。自分に振られた役をするしかない。せいぜい、それを正当化するために言葉を使うくらいがいいとこだ。

と、言葉を使ってみました。くれぐれも言葉に騙されませんように。そうは言っても「言葉に騙されずに生きる」ことはできません。人間が生きるってそういうことです。