予定【収穫(ない)荷造り(全粒小麦粉2袋)出荷(出す荷が、ない!)作業(精麦・製粉50㌔・トマ接ぎ木ProJ・苗管理)その他(QnS : 料理・洗濯・「きょうはまったりするぞ」と言ってる。) / (猿吉:「アンダンテ(〈9~16〉/32File 作り)・その他】

言語論199番::うん。そう。

「人は言葉を使って何をしているのか」という問いは「人は言葉と絵と音楽を使って何をしているのか」へ拡張すべきだ。

それは情報化の面からみてそう言える。言葉も絵も音楽も情報化できるものだった。味や臭いや触りは情報化できない。

(ここで情報化と言っているのは電算機の扱える情報という意味である。

味や臭いや触りはその情報を載せているメディア(=物)から情報だけを切り離せない。味は味がする「物」、臭いは臭いがする「物」、触りは触れる「物」から当該の情報だけを切り離せない。情報を伝えるにはいつもこの「物(=メディア)」を必要としてしまう(例:本物のカニとカニ蒲鉾。本物のイクラと偽イクラ。)このことができないので味や臭いや触りは電算機の扱える情報になりえない。

一方言葉も絵も音楽も【0/1】の情報の組み合わせとして電算機で扱える。むろん「言葉と絵と音楽」も伝えるにはメディア(=物)を必要とするが 、必要とするメディアが「味や臭いや触り」とは異質だ。)

考えてみると味や臭いや触りは言葉や絵や音楽を使って情報化している。食レポがどうやってなされているかを見ればすぐわかる。そのレポートには味も臭いも嚙み心地もない。

この事情にきのう気がついて嬉しかった。

おお。

 おれの絵って「切れ」がないんだよね。何とかなんねえんかなあ。もっとパキッっとしていてもらいたいんだけど・・・。ぬめ~っとしてる。

アンダンテ(9~16)::

 

pianoの練習::

 

PS::「わたし」というのはこれ(=【言葉・絵・音楽】)がなければ成り立ち得なかった、と言ってよい。【言葉・絵・音楽】は「わたし」がなければ成立しないものだった。

記号論は成果があがらず滅びた学問だが、記号=【言葉・絵・音楽】と再定義して何かが始められるかもしれない。

まえに「人は言葉を使って何をしているのか」への応えとして「政治をしている」と結論したが、【言葉・絵・音楽】を使てやっていることも政治ではないか。

この「政治」のことを「コミニケーション」と呼んでいるように思えてきた。

PS2:: 「食う・寝る・やる」の前に人間は虚構を生きていて、その生きた結果「食う・寝る・やる」が配分される動物だとした。

この虚構形成のために記号(=【言葉・絵・音楽】)が必要なのだ。虚構だから嘘がつけなければいけない。そうでないことをそうだと言え、ありもしないものが描け、在りもしない音楽が聞こえてこなければいけない。【言葉・絵・音楽】(=記号)にはこれができる。

「言葉ってウソがつける」というのがおれの言葉についての初めての発見だったことが懐かしい。そしてその記号(=【言葉・絵・音楽】)はそれが展開するカンバスとして「わたし(という意識)」を必要としたのである。これはヨウロウタケシのワタシ論とかなりちがう。

歴史的には音楽・絵・言葉、わたし、虚構、政治などが、ある時期一気に発生したと予想する。それでヒトは人間の歴史をはじめた。数十万年前にはじまり数万年まえまでこの作業をしたはずだ。

しかし作業を「する」といってもわたしたちが経験しているような意味での「する」ではないが。この時の世界人口が500万人と推定されている。