日別アーカイブ: 2021-03-23

予定【収穫(なし)荷造り()出荷(こまつナバナ・はくさいナバナ・レンソ)作業(環境整備・資材買い出し・トマ接ぎ木ProJ・苗管理・駅葉菜荷揚げ)その他(QnS :料理・洗濯・「資材買い出し」付き合い) / (猿吉:メヌエット(25~40)やり直しF作り☚練習のみやった)・その他】☚いい天気。風もない。

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言語論::202

きのうから『スピリチャルペイン(Spiritual Pain)』という言葉に興味を持ち始めた。出どころはNHKの聞き逃し番組の『カルチャーラジオ 日曜カルチャー「人間を考える~寄り添う~」(1)』からである。

おれは前に「不条理」ということにこだわったことがあった。この不条理とスピリチャルペインの絡みを感じて、感じ入っている。

条理は言葉によって作られるた虚構だ。だか、その虚構が客観的事実によって矛盾に晒された状態が不条理なのではないのか、という見込みなのだ。

だからスピリチャルペインが誰かに起こるとは虚構を生きてきた人間が(条理)、そのよって生きた虚構が事実によって覆される(不条理)痛みなのではないかという訳である。

そして虚構は事実に完敗する。人はこうして死ぬのである。災害にも遭う。しかし完敗しはするものの新たな虚構を作り始める。それが人間になった人の歴史ではないか。

虚構を作り得たのは人間が言葉を獲得したからである。その基底をなしているのは視覚情報と聴覚情報である。虚構に属する視覚情報が絵であり聴覚情報が音楽だろう。事実に属する視覚情報や聴覚情報が証拠だ。

絵や音楽はともかく、それが事実からの情報であるかぎり事実そのものではない。事実そのものは在ると予想されるが情報としてしか認識できない。