月別アーカイブ: 2021年4月

予定::【収穫(なし)荷造り(ヤマイモ)出荷(なし)作業(13゜ころ玄米保冷庫搬入設置苗管理H片付け・マルチ剥がし☚続き☚☚出来ず・トマ畑づくりに入る)・その他(モモタロ・ワンダー1,000粒配・内470粒種まき・QnS(パン焼き・料理・洗濯) / 猿吉:「春の日のように(1~8)」F作り☚「友との再会」に戻った】☚晴れ。風つよし。

・・・。

ピアノの練習をする時間がないな。絵も描けてないし。詩はほったらかしだし。歌なんかうたってないし。と言っても、何も自分を責めてなんかいません。「そういうもの」として暮らしているだけです。はい。

でも、理屈はこねたりしてる気がする。やだなあ・・・。

さ、おきよう。

予定::【収穫(なし)荷造り(なし)出荷(なし)作業(玄米保冷庫置き場づくり・苗管理)・その他(QnS(自宅テラピ教室・料理・洗濯) / 猿吉:「友との再会」(通し)再提出用Fづくり】☚6゜00´雨。フキ収穫中止。

・・・。

きょうはメア(雨)だ。久しぶりの休日だ。おれは雨が降れば休みになる農民だ。

リコーダ::再提出:「友との再会(通し)」(作曲/タカハシたかね チェンバロ/タカハシたかね  笛ぃ/猿吉 指揮/イシダせーじ)

どうなりますかね。

先生イシダ::『18小節のあと、ブレスのため八分音符1つぶん19小節への入りが遅れてしまう現象自体は、再発してしまいました。ただ、そのかわり19小節の最後の音「レ」をとばすことでタイミングが再び合って、20小節からは再び正確なアンサンブルとなりました。』

どうしよう。「八分音符1つぶん」の遅れがあり、さらに『「レ」の音をとばす』ことで辻褄合わせをしている、って指摘だ。

練習しているときに、それに気が付かないってことがイヤなんだ。同じ間違えを指摘されて、いちど直して、また同じ間違えが出る。しかも『「レ」の音をとばす』ことも付け加わった。

この無意識(=くせ)をどうすりゃいいんですか。

答え::『成功体験を積み重ねること(先生イシダ)』でした。(あるバイオリン弾きなんか)間違った箇所は『超ゆっくりから始めて、目標のテンポまで100回はやる』んだって言ってた。そうやって成功体験を積み重ねて、直す。

この「成功体験」には「何に成功するか」って問題があって、先生からOKをもらうこともそうだし、お客さんから拍手をもらうこともそうだし、自己満することもそうだし、正確に(=楽譜通りに)吹くこともそうだ。正確に吹いて、先生からOKをもらって、自己満足したが、お客さんからブーなんて、いかがですか。逆に「勝手弾き」のピアニスト(この人、もと音大のピアノのセンセだった)なんかジャズバーのスターで、そこで拍手喝采を得るんだって。でも「勝手弾き」で正確さはない。

あなただったら、なにが「成功体験」になりますか。通常は「自己満足」かなあ。でも、その「自己(=わたし)」をこの日記ではずーっと問題にしてきているのはご存知の通りです。

練習では「正確に吹くこと」を求められている。正確に吹けているかどうかは、その「わたし」には分からない。決めるチカラがわたしにはない。他者がする。それが先生イシダってわけです。

おれも正確に吹けるようになりたいよ。トホホ・・・。

 

隠す::人の行為として「何かを隠す」という行為が起こりうる。「それ」をアカラサマにしない。「隠しておく」という行為のことだ。それが「隠す」である。

あなたは何かを隠していますか。隠し事なんかなにもない方ですか。それとも自分では気づかず隠し事だらけの方なんでしょうか。

おれは『自分では気づかず隠し事だらけの者』と自分を規定します。それが一番生産的だと感じています。それだからこそ、自分が自分に隠していることを暴く楽しみが生ずる。楽しみは幸福の湧き出し口だ。

予定::【収穫(フキ)荷造り(フキ・ニンジ)出荷(フキ・ニンジ)作業(・マルチ剥がし☚残り3畝・苗管理・その他(QnS(料理・洗濯) / 猿吉:「友との再会」(通し)再提出用Fづくり☚練習のみ】☚7゜11´曇り。雨になるか?

・・・。ふ~!

凄い!::凄かったり凄くなかったりすることについて。

例として鉄棒の大車輪ができる人は凄い。逆上がりもできない人は凄くない。小、中、高と成績がオール5の人は凄い。オール1の人は凄くない人だ。ではオール3の人は何になるんでしょうか。オール3の人って、すごい人ですか、凄くない人でしょうか。それとも、ありきたりな人ですか。

百メートルを9.65秒で走れる人は凄い人ですけれど、14秒で走れる人は凄くない人。20秒なら劣った人なんでしょうか。オリンピックとか世界陸上とかでは、なぜ速い人の方が凄い人になるんでしょうか。

長い距離をとべるとか、より高くとべるとかもそうです。速いとか、より長いとか、より高いとか。競ってそうであれば凄い。あなたに出来ないことがわたしにできるとわたしはあなたに対して凄い人になる。出来る、出来ないが凄さの物指しになっているみたい。

そういうふうに人を、凄い人と凄くない人に分ける基準って、社会のどこから生み出されるのでしょうか。その根本のところが分からない。

社会学の方、教えて。・・・。それともコレ経済学の問題か。数学とか物理の問題ってことはないでしょう。

いったいスゴさの根本は何なのですか。

 

選挙::自民、立民、公明、日本維新、共産、国民民主、社会民主、N国、令和維新、希望。

日本の主だった政党をあげてみた。

ここで選挙が行われる場合、それら政党関係者にとって選挙とは、その政党からの立候補者に一票を入れに行くこと以外のなにものでもない。つまり、選挙が来たって何も考えないのだ。考えるのは、わたしが一票を入れる候補者にあなたも一票を入れるように促す、促し方だ。あれこれ考えて、前回は自民だったけど今回は共産にし、次はN国に入れる人なんていますか。考えられない。

考えられなくてもそういうヒトはいます。おれがそれです。

「支持政党なし」のおれです。その中の一定数は選挙になど行った事がないし、これからも行かない。あれこれ悩んで選挙に行くおれって、一体だれなんだろうって疑問を持ちました。誰に入れていいか分からず行かないこともあります。

そういうふうに日本の有権者の政治行動が分布している。その分布はどうして出現したのか、です。

各人の政治的自由の選択の結果、ですって! よせやい! それ虚構ですよ。その説明はウソです。嘘もみんながそれをルールとして試合すれば、ゲームは進行する。将棋のルールってなんですか。そんなルールは物として存在しません。ルールって虚構なんです。人間という生き物にとって、そのルール(=虚構)が実在を見るメガネとしてある。そして将棋盤の上で将棋がはじまる。そうして見たものが盤であり駒だ。そういうものです。

選択の自由なんてありませんてば。各人がその資質や個性や社会的立場に応じて、そこに張りつけられてしまう。徳川家康がイエヤス以外の人をやるなんてないし橋本聖子がセーコやってオリンピック担当大臣になるしかないでしょう。『あれこれ悩んで選挙に行くおれ』っていう役割がおれに振られた。それをヤル以外の自由なんておれにはありません。

どうにもならない。『成りゆく』以外のものではない。『成りゆく』しかない。自分に振られた役をするしかない。せいぜい、それを正当化するために言葉を使うくらいがいいとこだ。

と、言葉を使ってみました。くれぐれも言葉に騙されませんように。そうは言っても「言葉に騙されずに生きる」ことはできません。人間が生きるってそういうことです。