予定【収穫(こまつナバナ)荷造り(こまつナバナ)出荷(こまつナバナ・小麦全粒粉)作業(ゴボ収穫・ヤマイ収穫・苗管理)その他(QnS(自宅テラピ教室・料理・洗濯) / 猿吉:「友との再会」再再再再提出用(1~8)F作り)・その他】☚晴れ。寒い。

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言語論::「言葉が力を持つ時」:続き

言葉が力を持つか(または、持たないか)という古くからの問題があります。このことについてチョットした考えが浮かびましたのでご披露して、大方の感想を得たいという気持ちです。

言葉が力を持つというのはその発話(書き言葉も含む)によってその発話の受信者の行動が変わるということです。

「お~い。お茶!」という発話を聞いた誰かが実際にお茶を淹れてそれを差し出せばその発話はチカラを持ったということになる。「お~い。お茶!」という発話を聞いたひとが、突然発話者をはっとばした。などでも「お~い。お茶!」という言葉がチカラをもったことになる。だって受話者に行動変容が起こったのですから。

”please! Take me the tea!”と聞いても、英語の分からない人にはなんの行動変容ももたらさないでしょう。ただの雑音にすぎない。この場合言葉はチカラを持ちません。だって行動を変容させなかったんですから。

このことはもう何度も言いました。その仕組みについても言いました。きょうはそれではなく「社会をつくる虚構としての言葉」のチカラについてです。

かつてヒットラーという人がおりました(と、言葉で知らされています)。おれはヒットラーという人を感覚的事実として認識してはいません。でも、かつてのドイツ人はヒットラーという人を感覚的事実として認識していた。当時テレビはなかったですからラジヲや実際の演説やそれに反応している他者の振る舞いから、ヒットラーを感覚的事実として認識していた。そうしてヒットラーの発話を感覚的事実として認識し、得た。

ヒットラーという人はかつて発話した。その発話が当時のドイツ人の行動を変容させた。それで600万人に及ぶユダヤ人のホロコースト(=大量虐殺)に至った。

このことです。言いたいのは。そういうことは今でも起こっているのではないか。これです。

(続く)。

 

 

リコーダ::「友との再会」(1~8): 5度目のやり直し、ですってば。

8分の6拍子の曲で、そのなかに8分音符三っ分の長さのファ#の音があります。それをおれは四つ分に吹いちゃっているという指摘なのです。メトロノームをつけて、やっと自覚できました

先生イシダ::『できましたねー。良かったです!』

『「わかってしまえば何でもない」ようでも、何度も同じこと(同じ間違い)を繰り返してしまうと、楽器演奏の場合、それが「クセ」になってしまいやすいのです。逆に言うと、練習して上手になり、余裕が出来てくるというのは、ある意味では「よい(正しい)クセをしっかりとつけること」であると言ってもよいのです。私が、「長い曲は、細かく部分に分けて学び、提出すること」をお勧めするのも、「間違いの練習をなるべくしないように」していただくためです。長い曲を自分ひとりで(たくさんの間違いを含む状態で)長期にわたって練習を続けると、もはや手が付けられないほどの「間違いだらけの演奏が、すっかりクセになってしまっている」ということになりかねません。そうすると、修正がたいへん難しくなるわけなのです。』

だそうです。

楽器だけでなく他の「UーBody」でも言えることかもしれない。「人類が地球に棲む」=「人類(=人)が地球(=物)に棲む(=行為)」=「人・物・行為」=「U-Body」=U体=人もの結合体=『人は行為において物と結ばれる』=行為体。

それ(行為体)がよい癖やわるい癖になる。それは在り得る。

このことを五十年前に教えてくれたのがモチダ先生でした。たったこれだけのことの理解に五十年もかかってしまいました。

申し訳ありません。

 

ヤマザクラ::写真

これを絵にすればどうなるんでしょう。