予定::【収穫(キウリ・ブロコ・ズッキ・インゲ /(保冷庫入れ))。荷造り(ニンニク)。出荷(キウリ・ズッキ・インゲ)。作業(トマ畑「金曜防除・金曜追肥・誘引・芽掻き・下葉掻き・除草、受粉」☚四回目、12うち4まで)。その他(QnS「料理・洗濯」)/ 猿きち(「雪の夜」練習続き)】☚12゜53´晴れ。

・・・。

頭痛がする。今日からトマトに週一回の追肥を開始する。追肥は病気を促進させる意味がある。が、しなければ収量が少なくなり、玉の形が悪くなる。少ない収量で形が悪いものは実入りがすくない。それは嫌だ。嫌がっている自分を好まない。そのことを不幸とよぶ。でも病気も嫌なんだ。一方だけを取れない。矛盾を生きなければならない。それで頭が痛い。

なに? きょうから四連休なんだって? なんなんだよ。

あ、きょうオリンピク開会式きゃ。ついに始めちゃうんだ。アベ君も開会式に出席しないんだって? 陛下はご出席はなさるが、挨拶に祝いの言葉はないらしい。スガ君はでるんでしょう?

誰が出て、どんな顔してるのか、みんなで見ようぜ。IOCのバッハ会長はでないわけにいかないよね。トヨタ社長は出なって聞いてるけどね。それで、ブリジストンの社長は出るんか、ってのが笑い話になってる。車体が出ないのにタイヤが出ていいんきゃ、って。これで大笑いしました。

ホント。コロナとオリンピックが合わさって、日本の政治って、こうなふうになってたんだ、って分かる。そんなんが1990年代から続いていたんだ。この間、それで日本、すっかり三等国になちゃった。もう恥ずかしくって海外旅行なんて行けないよ。石投げられそう。実際ギリシャに行ったときアテネの博物館で現地の小学生に「コロナ!コロナ!」って指差された。そんな日本人のおれ、不幸だよ。

 

R練習::雪の夜に(1~24)練習

練習はしているが、うまく行かない。これ簡単そうにみえて、めちゃ難しい。

「吹いてみました」っていう、それだけの笛だな。先生イシダに日頃言われているようなことを、自分で自分に言うようになっちゃた。しようがないよ。

⑨のシへの入りが八分くらい遅れている。⑱の四分休符が短かすぎ。㉓㉔のタイで結んだシが長すぎ。その三っつくらいが目に付く。音楽としては⑯から⑱に凄みを感じる。㉑~㉔もいい。四分休符が二つ続いているところに雪の降る感じがする。

::上の楽曲に「雪の夜に」という題名がつけられているのはなぜか。絵、たとえばモナリザ。あの絵に「モナリザ」と名前がつ付けられていることと合わせてこたえよ。 答え::題名にしろ名前にしろ、それは言葉であることに注意せよ。物そももの(雪の夜に、とかモナリザという、「物そのもの」)は無意味であるが、題名を付けることによって意味の世界に引きずり込むことができるからである。人間は無意味に耐えられないから題名をつけたり名前をつけたりする。そうすることで、それをみんなのもの(=社会的なもの)とすることができる。このためである。あなたに名前がついているのもこの事情によっている。

ここに無意味とは「社会的なものではない」ということだ。絵も音楽もそれ自体では無意味だが名前をつけられることで社会的なものになる。「ああ!いいわねえ!」と言ってもよいし「こんなん、だめ!」と言ってもよい。それはそれで名付けと同じことだ。名前をつけたり、題名をつけたり、言及することで物そのものを社会化できる。それが言葉の役割の芯だ。

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