予定::【収穫(なし)。荷造り(なし)。出荷(トマト・キウリ・ズッキ・インゲ)。作業(トラクタ除草・グリホ除草・トマ畑「金曜防除・金曜追肥・(誘引・芽掻き・下葉掻き・除草・病葉落し・小糠防除・受粉)☚六回目、12うち1から☚☚出来ず)。その他(QnS「買い物・料理・洗濯」)/ 猿きち(「雪の夜(1~24)」再提出F作り☚練習のみ)】☚5゜44´快晴。

・・・。

トマトの接ぎ木苗作りに失敗して、最終種まきは5/3だった。そこから三か月以上たったいま、やっと色がつきはじめた。これから出荷最盛期を迎える。いいんだか悪いんだか不明だが、高根の衆などでは種まきはもっと遅かったように記憶する。九月に入ってからの高値をねらうためだ。おれはどうなるんだろう。やってみて結果に身をまかせるしか方法もない。ああ。くるしい。人生はままならない。以上!気をつけ!礼!

・・・気合をいれても何もおこらない。世の中は静かだ。

そこで政治は何をするのか。ビジョンを見せるんでしょう。そのビジョンを作るためには言葉の使用が不可欠である。「コロナ肺炎患者の入院要件」が変更されたようだが、変更は言葉で言うより他に仕様がない。絵でも写真でも音楽でもそんなこと、できない。

❶::『重症者のみ入院させる。軽度、中程度患者は自宅を病院とみなして自宅療養してもらう』。と、言葉で言うとすれば、これが一つのビジョンである。

別様にも言える。

❷::『希望する全ての人をPCR検査して、陽性の人すべてを隔離する。隔離場所は政府で責任をもって用意する。プレハブで病院を作れるし、客船を病院船として借り上げることもできるし、都立病院を全てコロナ肺炎患者専用病院にする、などだ』。 言葉でそう言えば、これも一つのビジョンである。

❸::『・・・』。何かを言えば、それがビジョンになる。

様々なビジョンのうち、どれを採るのか。それを国民は決められない。ある特殊な立場にある人、または人々のみが決められる。それが国会議員である。日本の国会の中は与党と野党に分かれていて、与党は多数決で勝ことができるので、そういうことで言うと、与党議員にはどのビジョンを取るかが決められる。その議員の長がスガ君というわけだ。そのスガ君が奇妙な頑張りをみせている。

ビジョンは言葉を使ってしか作れない。真珠湾攻撃に始まった太平洋戦争も、『欲しがりません!勝つまでは!』などと言って遂行して、最後原爆を落とされて負けて終わったが、勝って、欲しがる「なにか」がビジョンに記述されていたはずだ。スガ君のコロナ肺炎取り扱いビジョンにはその「なにか」さえ、ない。

ドイツのメルケル君なんかビジョンの作り方が上手らしい。スガ君は酷いものしかつくれないが、本人としては正直に生きている自負があるのだとおもう。トランプ君もビジョンをつくった。キンペ君も、バイデン君も、ロシアの大統領ウラジミールもビジョンをつくる。そのビジョンに与かるのは当該の国民である。が、国民の中も立場がいろいろだ。

そのビジョンのことを虚構と言ってみた。農民も医者もダンサーもビジョンは作れるが、言ってみるだけだ。行政や民間を制度的に動かす力はない。政治家にはそれがある。そういう制度を持っている社会のことを民主主義社会っていうのだと思う。ビジョンを作って、それを有効化させる専門職としての政治家、って考えるようになりました。大事な仕事だっていう認識です。

その意味で日本の政治家(衆議院議員、参議院議員)って、ビジョン作りが下手だなあっておもいます。おれを「あ!」って言わせるような、暮らしを楽にするビジョンを作ってもらいたいです。・・・。そして実際に楽になりたい。

コンピユータにビジョンは作れるのかって問題もありましたっけ。

市議会議員なんてどんなビジョンをつくれるのだろうか。

政治家にビジョンを作る自由があるかといえば「ない!」としか言いようがない。つまりスガ君には何の自由もないのです。そうするしかなくて、そうしている。誰かが政治家になって、何かのビジョンを作るのは、そこにある地理と歴史から呼びだされて政治家になったからである。おれだって、そうなれば、そうする。つまり、おれは農民で呼ばれちゃっているので、政治の方にはなれないが、何かの拍子に政治の方になったとすれば、そうなる必然がおれに起こっただけです。おれがここでこんなことを言っているのも、そうするしかなくて、そうしています。スガ君と何も変わりはありません。つまり自由なんて誰にもないのです。

人をそのように「呼ぶ」ものの事を神といいます。あなたは神を信じますか。

ビジョン::vision【①視覚、視力、洞察、先見、展望、構想、空想、幻影、映像、理想像、未来像、展望、見通し、まぼろし

言葉を使うとこういうモノが作れる。絵や写真や映画や音楽はモノそのものでしかない。しかし言葉はビジョンを産む。だから、絵や写真や映画や音楽に、言葉で「題名」がつくのだ。台詞入りの映画はこの限りではない。

 

Re練::「雪の夜に(1~24)」再提出ものの練習

伴奏もつけず、足でリズムを刻みながら、ただ正確さだけを狙って吹いてみた。もしかするとこれがケッコウ気持ちいいいのかも・・・。

蝉が鳴いている。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です