予定::【収穫(トマト色玉浚い)〇。荷造り(トマト)〇。出荷(トマト)〇。作業(麦播き開始「スペルトから」始め!〇・ユリネ植え付け✗)。その他(・QnS「料理・洗濯」〇/ 猿きち「雪の夜に・1~69通し練習☚続き!」✗)】☚6゜55´晴。
- ::(〇「やった!」 ▽「途中だ!」 ✗「出来なかった!」)
・・・。
『他者から承認された自己感覚』ってなんだと思います?
『自己』だからそれは「自分」とか「わたし」ってことです。それが『感覚』される。わたしたちの感覚器官は外に向かって「五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚)」として開かれている。そうした外からの感覚として得られる「わたし」についての「感覚」が『自己感覚』だ。「腹がへった」とか「うれしい」とか「悲しい」とか「疲れた」などという内部感覚ではない。
では「わたし」に向かって誰がそうした感覚を送りつけてくるのか。他者以外にない。「いいなあ!」とか、「すげえ!」とか、「上手ねえ!」とか、「敵わないよ!」とか、・・・。そういうことが『他者から承認』である。当然『他者から否定』もあるがそれはここでの話題ではない。自分の作った畑が「きれいねえ!」とか言われれば、そのような畑を作った自分として、わたしが『他者から承認された自己』として『感覚』される。それが『他者から承認された自己感覚』である。
みなさんはこの『他者から承認された自己感覚』を求めて行動してはいませんか?それがきっとおれの言う「ちやほやされる」だと思います。学術用語みたいなものでは「アイデンティティー」です。おれのばあいは欲望の起源の問題として考えているので「ちやほや」になります。一般には「承認欲求」です。
「わたしは東大教授である」を他者からの承認なしにそうだと思う人がいればかなり怪しい人となりましょう。そういう人っていますよ。医者ではないのに「医者だ!」と言ったり日本人なのに「フランス人だ!」と言ったりする人のことです。ブラックジャックなんかどうなんでしょう。ゴルゴ13は?
アイデンティティー::identity.
問::『他者から承認された自己感覚』を狙って行動する以外にわたしたちに行動の仕様はあるか。答え::ない。これによって社会システムが作られる。この社会システムが人々を養う。システムには「良いポジション」や「ありきたりなポジション」や「不利なポジション」がある。「良いポジション」に就きたいがついたところでそこで与えられる仕事は「つまんない!」仕事だ。つまんない仕事に「大切な仕事ですね!」という事もできる。言うのは言葉でである。しかし、目つきや姿勢や語勢が言った言葉が嘘であることを知らせていることもしばしばだ。世の中ってそんなふうになっている。さあ、あなたどうなさいます?