予定::【収穫(なし)。荷造り(トマト・小麦全粒)✗。出荷(発送「こゆき10㌔〇・トマト✗・小麦全粒✗)。作業(麦播き「スペルト」続き!〇・ユリネ植え付け▽)。その他(・QnS「富士川町パン教室・料理・洗濯」▽/ 猿きち「雪の夜に・1~69通し練習☚続き!」✗)】☚5゜45´雨。☚☚「休み」に切り替え!
- ::(▽「やった!」 ▽「途中だ!」 ✗「出来なかった!」)
・・・。
「良いんだか、悪いんだか」といえば、一概にいえない。良いともいえるし悪いともいえる。全体は「良いような悪いような」である。それが毎日の生活についての感想だ。そしてそこには苦しみがある。・・・。
この苦しみについて思い浮かんだことがある。それが「実存」である。それを「生身の体が当事者となって事態にあたること」とする。これで全体がスッキリしてくる。これは「生老病死」よりはずっといい実存の定義だと思った。ので、ここに書いた。
「生老病死」って言ったって他人事であればちっとも実存ではない。「ほかならぬこのわたしが老いる」とき老いが実存になる。統計として「日本人が高齢化してきたなあ」などと他人事として見ているのは実存ではない。妻が出産するときの夫としての実存と妻としての実存とはちがうってことだ。
おれに在る毎日の生活のこの苦しみは「実存的なもの」ということができる。「生身のこの体が当事者となって事態にあたっていること」から来る苦しみだ。老いが先ずそれだし、麦の種まきがまだ出来ていないとか、雨が降る、などもある。その他おおくの実存に晒されている。あるときにはそれが苦しみになる。そういうことである。
どうですかね。こんな実存の定義は。