• 予定::【収穫(レンソ)。荷造り(トマト・カボチ・レンソ)。出荷(トマト・カボチ・レンソ)。作業(なし)。その他(QnS「料理・洗濯」/  猿きち「資源ゴミ出し」・「掃除」・「雪の夜に・1~70通し練習☚続き!」】☚8゜31´晴れ。

::(「やった!」 「途中だ!」 「出来なかった!」)

・・・。

 

きのうは思わず「安心して死ねる」ということを言ってしまった。あなたは安心して死ねますか?

「お話」として子や孫に囲まれて、遺産相続もうまく行って、逝く、くらいが思いつく。しかし子や孫なんかいない人もいるし、借金だけが遺産だって人もいる。そういう人は「安心して死ねない」のかという疑問もわく。そんなことはない気もする。

おれの「安心して死ねない」理由は身辺のゴタゴタの後始末が後の人に残ることが理由だ。雨漏りする家だの、水道水漏れする家だの、雑草が生い茂る庭だのを持ったおれを引き継ぐ人がいるはずだ。それはかなり嫌なことである。そういう人をおれの死んだ後に作ることが「安心して死ねない」理由である。

しかし、これはあくまで「お話」だろう。そういう人をおれの後に生んではいけないという「お話」をおれが信じているせいだ。

そんな「お話」をおれに信じさせたのは父だという気がする。父は六百坪ほどの宅地を持ち、そこに家作を持ち、切り売りもして死んだ。それを兄弟妹三人で等分相続したが、結局おれ一人がそれを引き受けるはめになった。つまり父がして、残したことで「被害を受けている」感じがしている。

父も母も死んで、その遺産相続のときのおれの正解は「相続放棄する」ことだった。と、今は思う。おれは正解を出せなかった。それが正解か誤答かは今の状態が決めている。これがおれをイヤな気持ちにさせている。そんなイヤな気持を親密なものにさせたくないというのが「安心して死ねない」理由だ。その「お話」を信憑性のあるものにさせているのが遺産をそのように利用した父の振る舞い方だったろう。

父のその向こうには「国家」の運営が見えている。納税と税制と遺産相続制度である。こんなんもの国家が決めて国民に強制する以外従う人はいない。そうかといって野良だの野生だのってのも御免こうむりたい。国家運営として「安心して死ねる」ようにして欲しいという注文だ。そんな政策が在るか無いかは国家運営者が知恵を絞るべきだ。

これで国家運営者への注文は三っつになった。①税金も②保険もなしで安心して暮せ、③死ぬ時も安心して逝ける環境を作ってもらいたい、ということだ。

自分が国家の「家畜」なのだという自覚を持った瞬間にこんな注文が出るようになった。「オレは家畜じゃあねえ!」と怒鳴る人には何人かあったが「オレは家畜だ!」も一つの認識だと思う。

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