- 予定::【収穫(なし)。荷造り(なし)。出荷(なし)。作業(なし)。その他(QnS「退院」〇・ 猿きち「掃除」〇「雪の夜に1~70通し練習☚続き!」✗「朝鮮語Ⅱ演習」〇「音楽史演習」〇)。】☚7゜35´::晴れ。
::(〇「やった!」 ▽「途中だ!」 ✗「出来なかた!」)
・・・。
「つまんねえことを言うんじゃない!」と言われたらどうしますか?
❶::「つまんねえことを言うんじゃない!」を誰が言うのかによりますでしよう。総理大臣キシダ君がそれをNHKを通して言う場合だと「何がつまんねえんだよ?このバカ!」とかいって、あと次から次へと言いたいことを言えます。が、弱者、たとえば病人が「わたしの病状は言わないでね・・・」と言われた場合「言いふらす」事は出来なくなりますよね。それが妻だったりする場合はどうでしょう。総理大臣キシダフミオといっても、それが生身のキシダだったら「何がつまんねえんだよ?このバカ!」とは言えなくなってしまいそうだ。
❷::もう一つ「言いふらす」といいましたが、それは誰に対してそれを「言いふらす」のか、にもよります。個人が秘密日記をつけている場合、その中では何を言っても(=書いても)よい。これはその日記を付けている個人に言葉が留まっているからだ。他者に影響を与えない。つまり言いふらす相手が自分一人だけだからだ。その秘密日記をこっそりと「覗き見」するようなことは起こります。それは揉め事の元でしょう。「そんなふうに思ってたんだ・・・」などということになって、揉める。覗き見した人に言いふらしが及んだから「つまんねえことを言った」ことになっちゃった。
おれが書いているこの日記は公開日記なので、不特定多数に「言いふらして」いる。相当気をつけなければいけないと思うようになっています。
問::人はなぜ思ったり言ったりするのか。答え::・・・。実存が自動機械として意識の中で先ずはじめにする振る舞いが「思う事」や「言う事」なのだとおもいます。「思う事」や「言う事」は世界に対して「この身体をどう向けて行くのか」という意味を持っている。しかし「自由など鐚一文ない!」とするおれにとっては、思ったり言ったりすることも事が起こった後からの「思う」であり「言う」ことになる。自動機械としての実存が物事を客観的に意識できるのなら一切の虚構はつくれなくなってしまう。意識とはそうしたもので、虚構を生み出す基地みたいなものだ。思ったり言ったりすることは意識の部分として在る。そのために人は思ったり言ったりする。虚構は思ったり言ったりしないと作れないからだ。