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- 予定::【きょうもヤスミにします。収穫(なし)。荷造り(ライ麦25㌔)〇。出荷(ライ麦25㌔発送)〇。作業(駅火曜荷揚げ)〇。その他(コバヤシ設備「湯沸かし器異常み」〇・QnS「出掛け・料理・洗濯」〇・ 猿きち「掃除〇・ガボット9~24練習✗」)。】☚9゜53´::晴れ。
::(〇「やった!」 ▽「途中だ!」 ✗「出来なかた!」)
・・・。
生れる時は親に産み付けられ、死んで行くものも止めようがない。この生と死の間に自由があるなんて思えない。それは受動意識仮説を持ち出すまでもない。そんなことを思って鬱々としていたら旧約聖書にヨブ記というのがあると知った(NHK聞き逃し宗教の時間『苦難の意味ーヨブ記を読み解くー(ナミキ・コウイチ / スズキ・ケンジ)』。これはどうやら不条理に対する態度の取り方のことらしいと思って聞いてみた。
ナミキの話し方はエラそうで人を小ばかにしているようで嫌だったが聞いた。ついでにヨブ記も読んでみた。
そんなことをしていて一日が終わってしまった。生れることや死ぬことや、その間にある生きる事の不条理にどう対処すればいいのかはサッパリ分からなかったからだ。生きていることなんて不条理以外のなにものでもない。だって死にたいのに生きるんだよ!生きたいのに死んでしまうんだよ!こんなの不条理だ。
仏教ではこのことを『はたという機にて候』というらしい。生まれちゃったら生まれる事を、死ぬんだったら死ぬことを、生きるんだったら生きる事をすればいいだけだっていうことだ。一言で「苦しいんだったら苦しみなよ」ってことだ。
う~。「苦しいんだったらこの薬のめばいいから」って手もありそうだけどなあ~。虫歯なんか歯医者で直してくれるぞ。金はかかるけど・・・人間の経済って不条理とどう関わるんだろうか?
何がどうなっているんだかさっぱり分かんねえ。