• 予定::【収穫(なし)荷造り(ハクサイ)。出荷(ハクサイ)。作業(なし)。その他(QnS「料理・洗濯」、猿きち「掃除・ガボット24~40練習」】☚8゜57´::晴れ。

::(「やった!」 「途中だ!」 「出来なかた!」)

・・・。

 

「なんでこうなっているのか?」という疑問は誰もが持つ問いだ。この問いへの応え方の一つが「歴史」である。

「なんで地球なんかがあるんだろう?」という疑問へ応えるには宇宙の歴史を調べて、その中に地球を位置づけなければならない。「なんで毎日の生活がこんなに苦しいんだろうか?」への応えは政治や経済や社会構造の歴史を調べて、そこから語らなければならない。「なんで俺は男なんだろう?」へは性分化の歴史を知るとともに、性が人間社会でどう利用されてきたのかが歴史的に語られなければならない。

そうやって歴史を作るには一定の形式がある。その形式のことを「物語」という。フランス語では歴史と物語はおなじ『l’histoire』だ。言葉を使って「ものがたる」ことが必要なのだ。絵も音楽も物語ることはできない。

歴史では、そこにある物語が物質的な「証拠」や「論理」によって裏付けられることを必要とする。物語が神話である場合は証拠や論理を必要とせず、そのかわり「権威」を必要とする(例::古事記・日本書紀など)。それを信じて当該の儀礼をすることで食っていける人々を生むには権威が必要なのだ。天照大神が信ぴょう性を得るには天皇の権威が必要だった。権威とは暴力の別名だ。暴力には別の別名があり「虐め」ともいう。だから「証拠」や「論理」は「権威」「暴力」「虐め」であっても、物語を賦活させるものとして、かまはない。

詩や小説や漫画は、その物語に証拠や論理は必要ではない。読者を喜ばせればいいだけだ。が、読者ってものがいる社会ができて、やっとそれは可能になる。歴史的なことなのである。

きのう漫画『寄生獣』を読んでいたが面白かった。比喩のチカラを感じた。比喩が証拠や論理の代用物になり、それを提供した作者は食っていけるのである。

神話・歴史・詩・小説・漫画、どれも物語る。そういえば映画なんかもそうだ。物語は古くからの形式だ。そこに科学も(物語として)くわわって賑やかだ。歴史はいちおう科学に入れられている。でも物理学ほどではない。

物語にチカラを与えるものは比喩・権威・暴力・虐め・証拠・論理などだと分かった。それのない物語は寝言より無力だ。石でもぶつけられないようにしなければならない。

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