- 予定::【収穫(なし)。荷造り(なし)。出荷(なし)。作業(なし)。その他(QnS「料理・洗濯」〇、猿きち「掃除・ガボット24~40練習」〇)。】☚8゜57´::晴れ。
::(〇「やった!」▽「途中だ!」 ✗「出来なかた!」)
・・・。
きょうもヤスミにする。休んで『关口知宏的中国铁道大纪行(拉萨~成都)・(成都~桂林)』を見る。これを見ると中国の都市名と鉄道網がアタマに入る。地中海でやったように、中国を海に見立て、その海を取り巻く国々を旅行するってのはどうだろうか。GoogleMapを見ながらそんなことを思う。
きのう見た動画の中では満州国のあったあたりの(沈阳~呼和浩特)で胸が痛んだ。
九十何歳かの老人が出てきて『ソ連軍が入って来て日本人入植者が男と女に分けられて、男はシベリアへ連行された。女はどこへ連れていかれたか分からない。その女が泣き叫ぶ声が忘れられない。思い出すとつらい』と言っていた。
このへんで日本人残留孤児が多く出たんだ。イツキ・ヒロユキなんかその近くのピヨンヤン(平壌)からの引き上げ者だ。ソ連軍が入ってきたとき一番先に逃げたのが関東軍だった。などの話を聞いたことがある。
関東軍::日本の植民地常備軍の一つで満州(中国東北地区)に置かれた陸軍部隊。
ポーツマス条約、日清満州善後協約でこの地に権益を得た日本が日露戦争中の軍政を継続して関東総督のもとに軍隊を駐屯させたのが前身。
遼東半島と満鉄付属地の守備を任としたが実質的には対露、対ソ向けの武力で中国革命にも干渉を繰り返す帝国主義軍隊であった。1919年都督府の改組で関東軍として独立した。
中国の国民革命の進展とともに謀略による東北の占領を画策、28年参謀河本大作らは張作霖を爆殺したが武力行使の口実にはならなかった。のち謀略は参謀板垣征四郎、石原莞爾らの手で31年の柳条湖事件へと続き関東軍は全東北を占領(=満州事変)、同地を中国から分断して翌年「満州国」を樹立した。
同時に関東軍司令官は「満州国」駐箚全権大使、関東長官を兼ね関東軍は日本の満州経営上いっさいの権限を握った。関東軍は「満州国」の政策を背後で決定する一方、反満抗日運動の鎮圧に努め、さらに華北、内蒙古へも出兵するなど日本の中国侵略の尖兵であった。
また対ソ戦を期して兵力は飛躍的に拡大、陸軍中の精鋭を誇ったが、38~39年の張鼓峰、ノモンハン両事件でソ連軍と交戦し機動力の弱さを暴露した。
41年独ソ戦勃発に乗じソ満国境を中心に70万の大軍を集結、ソ連軍の西走を牽制したが太平洋戦争中は南方への転用で弱体化し、45年ソ連参戦で壊滅した。
末期には大規模な設備で細菌兵器の開発、製造にあたり、人体実験を行うなど悪名が高い。(コトバンク)。
こんな軍隊があったんだ。今の日本の自衛隊なんかはどうなんだろう。国民を守るのかなあ・・・。就職先としては良さそうだが、国民を守るとして、守る動機はなんなんだろう。「立場上」か? 日本国政府はどうか。国民を守っているか。例えばコロナ肺炎で。生活苦で。関東軍と同じじゃないんか。「投げ出して逃げちゃう」ってやつ・・・。「死んでもやれ」とは言わないけどさ。
あなたはどんな立場の方ですか?