• 予定::【収穫(なし)荷造り(なし)。出荷(なし)。作業(なし)。その他(QnS「徳洲会病院行き・料理・洗濯」、猿きち「掃除・ガボット24~40練習」】☚8゜44´::曇り。

::(「やった!」「途中だ!」 「出来なかた!」)

・・・。

 

Re練::ガボット24~40練習❺

付属伴奏=目標テンポ。34→32。いちおう吹けるようになったような気がします。提出はまだ。いくつか確かめなければならないことがあるから・・・。

 

確めて下記を提出しました。

先生イシダ::『❶31小節の「ラ」に進むとき、この音にまでスラーがかかった❷37小節2つ目の「シ♭」❸38小節「ファ」❹39小節「ミ」を、タンギングしてしまっている。以上、修正して再提出!』

猿きち::今度はタンギングか・・・。迂闊だった・・・。伴奏とのハーモニーにばかり気をとられていて、そっちがお留守になった。ああ、くやしい!

 

 

メタバース(metaverse=(meta):超+(universe):宇宙、の合成語=「仮想現実」の意)が話題だ。

おれ自身の仮想現実体験はどうやって始まったのかを訪ねれば、それはラジオ放送からだったと思う。うちに真空管ラジヲがあって、それで『赤胴鈴之助』とか『月光仮面』とか『ビリーパック』とか落語とか音楽とか浪花節を聞き始めたのがオレにとっての仮想現実の初めだったと思う。ショパンのピアノ曲などを聞いて「世の中にはこんなことがあるんだ!」とおったまげたことを覚えている。現実は貧しかったが仮想現実は魅力的だった。

そのうちテレビが登場した。長いことテレビの時代が続いた。それが今はSNSにとってかわられている。SNSが可能になるには情報の取り扱い技術の変容がなければならなかった。

本は昔からあった。本屋があり図書室とか図書館が用意された。そこに新聞、雑誌が加わる。美術の教科書にあるルソーのライオンの絵に「くそ!」とやたら嫉妬したのを覚えている。現実は貧しかったが仮想現実は魅力的だった。

ラジヲ、テレビ、本、雑誌、新聞、それらはいずれも仮想現実を作るものである。SNSが主流になると、その仮想現実がメタバース(=超宇宙=あり得ないもの)と呼ばれるようになったのである。YouTueber になりたいなどという希望はメタバースが現れてはじめて可能となった。仮想現実の世界で新聞記者になりたいとか女優になりたいとか局アナになりたいなどというのと同じだ。

どんなに原初的なものであれ人間が言葉を使用しはじめた瞬間に仮想現実は誕生した、とする。とは、何度も言ってきた。「おはよう!」といっても、それはそういう仮想現実なのだ。わたしとあなたの間に「おはよう!」という仮想現実を作り、そこでわたしとあなたが生活するのが挨拶「おはよう!」の意味だろう。

絵や音楽も仮想現実であるが、言葉とちがって物そのものであることに取り残されている。だから絵や音楽についてはまだ「語ること」が残されている。「ショパンの夜想曲って好き!」といわなければならないのだ。「マチスの“ニスの窓辺”っていいよね!」といわなければならない。そうやって、それらに対する「好意」を示さなければならない(むろん「敵意」でもかまはない)。そうでなければ絵や音楽は完成しない。物は物語られてはじめて人間の世界に入れられるからである。

「物語る」とは仮想現実をつくることである。ローマのパンテオンは有名な観光施設であるがみんなに語られているのはそのためである。

わたしたちは虚構のなかで生活している。根っからのメタバース(仮想現実)の住人だったのだ。なにを今さらという感想だ。

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