- 予定::【収穫(ゴボ)〇。荷造り(ナバナ・レンソ・ゴボ)〇。出荷(なし)。作業(フレーム解体✗・トマ畑施肥▽)。その他(QnS「料理・洗濯」〇、猿きち(上水道水漏れ調査「配管出し②」✗・掃除〇・ガボット1~40通し練・再提出もの✗)。】☚7゜15´::曇り・無風。
::(〇「やった!」▽「途中だ!」✗「出来なかた!」)
・・・。
う~!
きのう『未来の他者』(大澤真幸「人間を考える~私たちの生きる時代(2)」)という話を聞いた。これがまさに『그 이 야기를 듣그 ~(ク・イヤギル・トッコ・~=その話を聞いて~)』だった。「~」に入るのは「あ、そういう事だったのか!」である。オオサワはおれに対して言葉のチカラを使った。言葉がチカラを持つのは人間関係の中においてである。そのことをコミニケーションと言った。おれとオオサワはどんな人間関係なのか?仲介しているのはNHKで、nhkで働いて食っている人の賭けだったろう。それがオレとオオサワとのあいだで上手く行った、ということだ。
「未来の他者」の反対物は「死者」だという。わたしたちはこの「死者」と「未来の他者」の間に生きているのだと教わった。が、太平洋戦争で真珠湾を攻撃し、その結論が原爆二発を受けて終わり、落とした国の「属国」となって生きて来たのがこの国である。その間の「死者」の遺志を「未来の他者」へ引き継ぐ責任や義務をわたしたちは感じられなくなっているというのだ。責任や義務がないと何のために生きているのか分からなくなってしまう。そこには釘をトンカチで打つ『トカトントン』という音がする。そのトンカチと釘の音を訳せば『なんちゃって!』だそうだ。勉強する「なんちゃって!」。いい会社に就職する「なんちゃって!」。金を儲ける「なんちゃって!」。君はびじんだねえ「なんちゃって!」。ボクは苦しいよ「なんちゃって!」。何をやっても「なんちゃって!」がついてしまう。トカトントンと音が鳴る。それは不幸なことである。
「死者」の遺志を「未来の他者」に引き継ぐ「責任や義務」がない。これがおれが嗜癖に逃げ込む要因だとおもった。つまり、毎日「う~」とうなって苦しむのだ。その遺志を引き継ぐべき死者、手渡すべき未来の他者の不在のことだった。実生活でも子なく孫なしだ。
道理で苦しいはずだ。この苦しみに「なんちゃって!」はありません。トカトントンは鳴らない。