• 予定::【収穫(ナバナ)。荷造り(ナバナ・ゴボ)・出荷(ナバナ)。作業(フレーム「解体❷」・トマ畑「施肥」)。その他(QnS「馴らし・料理・洗濯」、猿きち(上水道水漏れ「調査・配管出し③」・掃除・ガボット「1~40通し練・再提出もの」)。】☚6゜06´::曇り?。無風。ヤマザクラ咲き始める。

 

::(「やった!」「途中だ!」「出来なかた!」)

・・・。

三角形の面積は「=底辺×高さ÷2」だと教わった。よく覚えている。「三角形の面積」と「底辺×高さ÷2」が等号「=」で結ばれているのが分かる。どうしてこんなふうになるのか? 説明(=証明)できますか?

算数とか数学では、この等号「=」が多用される。1+1=2だとか、円周率=πとする、とかである。左辺と右辺では見た目が違うが何故か等号で結ばれる。これはとても不思議なことだとおもうのだが、どうだろう。

何かとなにかが「同じもの」として等号で結ばれる。そして等号で結ばれたものを「なるほどなあ!」といって感心して納得する。この「納得感」の出どころを知りたい。

人間の思考ってものは、このようになっていると予想される。とんでもないものが等号で結ばれる。中には妄想って類のものもある。「ドイツ人は優秀である!」などはヒットラーの言いそうなことだ。プチンなら何というだろうか。

等号で結ばれたものの納得感の出どころはきっと「基本的な経験の比喩的な用法」だろうと睨んでいる。基本的な経験は子供のころに作られる。母語を身につけるように基本的経験も同じ頃に作られるはずだ。これはかなり無意識に、そうなっているだろう。これが「わかる!」の底にある。論理的なものではなく、基本経験の「比喩」によって「わかる!」のだ。そうにらんでいる。

 

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