予定::【収穫(なし)。荷造り(なし)。出荷(なし)。作業(コンバイン「無負荷運転1h」・苗「管理」・スイカ/カボチ畑「グリホ除草」・トマト畑「誘引紐セット/続き」・麦畑「管理機除草/続き」・ジャガ畑「手除草/続き」)。その他(QnS「料理・洗濯」、猿きち「掃除・インテルメッツヲ(9~24 /練)」 ☚6゜25´曇り。無風。

「やった!」「途中だ!」「出来なかた!」

・・・

 

日本の第二次世界大戦(太平洋戦争)は敗戦だった。勝ったのは連合国で、主役はアメリカ合衆国だった。ソ連(nearly equal 「ロシア」?)も連合国の一員だった。日本の敗戦は1945年8月15日だった。おれは49年うまれだから敗戦から4年しか経っていない。そのときの貧しさは身にしみているが、小学校二年のクラスでのヨシカワケイコとシミズケイコによるイジメを別とすれば、心は「戦後民主主義」で朗らかだった。そして、アメリカ占領をへて日米軍事同盟に進み、日本は急激な経済成長をとげて、一人当たり所得が世界第二位になり、 Japan as no 1 とか言われ舞い上がった。その敗戦に似たようなことがそう遠くない将来おこると予想します。

だって自民党政治は戦前と変わらなかったもの。天皇をアメリカにすげ変えて、戦前をやったのが日本の戦後だったからだ。日本は敗戦を反省できなかった。反省できなかったのは日本国民ではなく日本の権力だ。国民がいくら反省しても権力は聞く耳を持たなかった。権力とは、たとえ話をすれば、水道の蛇口を握っている者のことである。喉が渇いて水が飲みたい国民は蛇口を握っている人に「お願い」するより方法がない。いまだに『お代官様!お願えでございます!』ってわけ。それが忖度の正体だろう。

国民が権力者(=政治家)を選ぶというが、それはウソである。民主主義は、お代官様を透明人間にする仕組みだ。「日本共産党」の来し方がそのことを示している。蛇口を握っている者は自分の立場をすぐ悟ってしまう。そして「国民は支配できるんだ・・・」と、知る。そしてその立場に従う。つまり支配を始める。国民を家畜化する。そこも戦前とおなじだ。そして、また敗戦しようとしているのも同じ。今度の敗戦はどんなふうになるだろうか・・・。おれが生きているうちにその敗戦は来るかなあ・・。将来「日本共産党」が政権党になることはあるだろうか?その時は権力者になるわけだが、権力者の立場に従って行為しはじめないと言えるだろうか? 何ともいえない。世界で共産党が政権党だった事例は二桁はあるだろう。

どんな秩序の世界になるんだろう。「自己責任」なんていう物語作法は生き残っているだろうか。人が歴史を作るのではなく歴史が人を召命すってことでいえば、無学な田舎の農民のオレが、こんなふうに言っているってことは、その敗戦後の、わずかな希望かもしれない。

言うためには言葉が必要だ。言葉を身につけましょう。公理と論理にのせて言葉を使って言いましょう。言うことは情に訴える詩であってもいい。ヘイトスピーチはだめ。汚すぎるから。現状では言ってもダメだってことはわかっていますが、出来るのは言う事だけだ。一億二千万人のうち50万がそんなふうに言う人になると、権力もほっとけなくなるって話を聞いたことがある。日本の歴史はそういうところへ来ていると思います。もう一度敗戦が来ると占います。現状は閉塞しています。希望はその戦後にしかありません。

 

 

インテルメッツヲ「9~24 /練」(笛だけで❺)

::拍を数えながら模範も伴奏もなしで吹いてみた。

 

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