予定::【収穫(▽ライ麦)✗雨。荷造り(なし)。出荷(なし)・作業(▽マルチ剥ぎ「=4/4から」✗緊急性なし・▽トマ畑「手除草」・管理機「作業クラッチ点検」・▽ゴボ畑(つくり直し)・その他(QnS「料理・洗濯」、猿きち「掃除・▽インテルメッツヲ「9~24 /二再練④」)」☚6゜21´雨。きのうは大雨だった。いま軽くなってきている。無風。

「やった!」▽「途中だ!」「出来なかた!」

・・・。

 

雨が多い。きのう19゜15´位から大雨になり、小麦の収穫をしていたオレは、びしょ濡れだった。20゜まで働いたからね。その雨は一晩中続いた。それが今軽くなってきたところだ。

雨の他にも色々嫌なことが多い。アベ君の銃撃事件や、ウクライナのことや、日本の没落のことだ。コロナもある。

聞くところによるとアベ君のことなんか「内輪揉め」だったようだ。『一月万冊』を聞いていたらそんな風に思えてきた。

『一月万冊』なんか見ているオレのメディアリテラシーはどうなんだろうって疑う。「正しい」リテラシーなんてあるんだろうか?赤ん坊・親・子供・大人・男・女・天皇・平民・総理・国民・公務員・会社員・自営業・ひきこもり・社長・社員・りこう・ばか・貧乏人・金持ち・・・、社会にはいろいろな立場が区別されている。その立場ごとにリテラシーを持つのではないかという疑いで、そこには「間違い、正しい」の別はないのではないかという疑いなのだ。農民で七十三で男で友達もいないオレの「正しさ」とは何なんだろうっていう疑問だ。立場ごとに「生きやすいリテラシー」ってものがあり、それを求めて人は情報を得るのではないか。そして行為し発言する。行為や発言は固有のメディアがそれを運ぶ。身体と声の事だ。服装や化粧なんてのも付け加わる。そう思っている。

タカイチサナエのリテラシーは、そういう「立場ゲットのリテラシー」で、そういうリテラシーを持つとアベ君に取り立てられるという「物の見方」である。東大に入りたいなども同じである。医者になりたいも同じだろう。大学教授もそうだ。農民になりたいは成り手が少ないのでなれた。これも「立場ゲットのリテラシー」だったのである。ラッキーとでもいうのだろうか?

 

インテルメッツヲ「9~24 /二再練④」::無伴奏で吹いてみる・点検してみる。

点検::11のドが長すぎ? 15のレは? 24のレも長すぎ? 何か不明だ。ブレスの時の隙間はどう考えるんだろうか? 分かんねえなあ・・・。

 

 

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