予定::【収穫(トマト・キウリ)。荷造り(なし)。出荷(なし)・作業(苗管理「ハクサイ」・トマ畑「(九花房あて受粉、誘引、芽掻)三段下葉掻き」・バインダ点検清掃仕舞)・その他(QnS「料理・洗濯」、猿きち「掃 除・春の足音「1~10小節」練習」)】☚5 ゜35小雨。無風。

「やった!」▽「途中だ!」「出来なかった!」

・・・

 

赤ん坊とか子供なんて親に養われる以外、生きて行きようがない。それを、どうしろって言うんだ? その親である大人はどうか? 社会に養われる以外、生きて行きようがあるとでもいうんか?

しかし、その大人同士の関係のことなのだ。システムとしての社会が整ってくると、具体的な隣人を必要としなくなる。茶が飲みたくなりゃあコンビニに行ってペットの茶を買ってくればいいし、話し相手が必要ならSNSでチャットでもすりゃあいい。し、深刻な問題なら精神科医にかかればいい。精神科医の親なら別だが、診察料は取られるし薬も処方されるかもしれない。 社会には色々なサービスがあって、非公然ながら売春もある。

そうして最終的に「隣人として、生身の人間が必要な生活場面」って何なんでしょうって問題でした。大人にとっての社会は、赤ん坊・子供にとっての親の比喩で理解したところだ。

赤ん坊・子供は、それがどんな親だろうと親に愛着する。そして「いい子」になろうとする。忖度とはこのことである。 ボクたち大人が親である社会に愛着しても、仕方ないじゃないか。それが自公の親でも、さ。その親がぐれてりゃ子供はひどい目にあう。酷い目にあっても愛着するしか、生きようがない。

統一教会(または勝共連合)批判の代表格は共産党だった。日本に統一教会が来た時から批判の急先鋒だった。が、しかし共産党は親(=政権党)になれないできている。それは事が「システム」だからである。システムは「物と意味の複合体」だからなのだ。システムの「意味」は言葉や絵や音楽などによって作られる「何か」である。システムは言論ではないのだ。ある言論が採られるか採られないかはシステムの風向きによる。かつてロシアではソ連邦が成立した。そこではレーニンの言論が採られたのだった。アメリカは反共的でマッカーシズムとかが吹き荒れたと聞く。

システムは大まかには良い方向に向かう。が、良い・悪いという「物」はないのだ。何を「良い」とし何を「悪い」とするかという問題は永遠に堂々巡りすることになる。

そういう理解で、一つ、よろしく!

 

笛::春の足音「1~10小節」::模範のコピー::練習できそうか?

出来ませんでした・・・。

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