• 予定::【収穫(トマト・ミョウガ)。荷造り(トマト・ミョウガ・ナス・キウリ・インゲ・マクワ)。出荷(トマト・ミョウガ・ナス・キウリ・インゲ・マクワ)・作業(苗管理「ハクサイ」ハクサイ苗「植え付け」ニンニク「植え付け」・トマ畑「日曜なのに「金曜防除」・十一花房あて「受粉、誘引、芽掻」三段した「下葉掻き」」・その他(QnS「料理・洗濯」、猿きち「掃 除・(笛::春の足音「11~26小節」::練習)」☚6 ゜31晴れ。無風。ハクサイの苗の植え付け600本の続き。植穴を開けたところから先をする。

「やった!」▽「途中だ!」「出来なかった!」

・・・

 

ふ~!

 

笛::春の足音「11~26小節」::練習::低いファも出ている。提出ま近か・・・。え~えぃ、出しちゃえ! 出したっちゃた・・・。

先生イシダ::『とても良くなったように思います。「模範」の笛がいっしょに鳴っているのでは?と思いましたが・・・。音もきっととてもいい音になっているように思いました。』

猿きち::だって「模範」と一緒に吹いているんだもん。そういう指導だったじゃないか。次回、課題提出時に抗議しよっと。

音楽の発生初期には楽譜なんてものもなかっただろう。しかし声はあったし、楽器相当のものはあっただろう。そして「その音」に名前がついていたなんて想像できない。そこでは言葉ではない「音によるコミニケーション」が想像される。音楽は今とは相当ちがうものだったと想像する。

一方、今のおれにとって音楽は「楽譜と音と言葉」の一体のもので、楽譜は視覚のものだし、音は聴覚だし、言葉は意味だ。ここで言葉と言っているのはイロハニとかドレミファとかABCD・・・とかの音名を指していて、音楽の言語的解釈のことを言っていない。「楽譜と音と言葉」のスムーズな行き来、そういう課題に直面している。具体的にいえば音を聞いて、音名が言えて、楽譜上のどの音かが浮かぶこと、または楽譜から音が聞こえてきて、音名が言えることでもいいし、ソといえばソの音高が聞こえ、楽譜上に記入できることでもいい。そんなスムーズな行き来にあこがれている。憧れるのは「できていない」ということだ。その辺でおたおたしている。

問::意味とはなにか。答::言葉で言う事である。「言葉で言う」は書き言葉で書いてもいいし、手話でもいいし、何か他の言語表現でもいい。それを使ってラシドレミフィソィラ/ラソファミレドシラと言えば、そういう意味が発生する。意味とは言葉で言う事である。運命といえば運命という意味が発生し、ベートベンの運命といえばベートベンの運命という意味が発生する。意味がわかるかわからないかは受け手による。意味がわからない人は仲間はずれになるという特徴をもつ。意味とは当該事象を言葉で言うこと以外のものではない。意味は言葉に特有なものだ。意味を発するには言葉で言う以外にない。赤ん坊の泣き声に意味はなく「ああ、オッパイがほしいのね」とか「おむつが汚れたのね」と言われたときに、泣き声が意味をもつ。なにも言われなければ泣き声に意味はない。泣いている赤ん坊にただオッパイをあげていることに意味はない。「こんなに眠いのに・・・」と言いながらあげれば、そういう意味が発生する。犬が子犬に乳を飲ませても、それは意味ではない。「母犬が子犬に乳を飲ませているわ」と言った時には、そういう意味が生じる。再度、意味とは言葉で言う事である。

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