予定::【「収穫(トマト・ヤツガ・コンニャ・トガラ)。荷造り(トマト)。出荷(キク・トマト)。作業(トマ畑「雨よけF片付け」。その他(QnS「調理・洗濯」、猿きち「掃 除・(笛::お洗濯ワルツ「❶26~33やり直し、❷D.S. al Coda、❷通し、練習」)☚6゜57 ´晴れ。無風。                                         「コーヒーだ 口に含んで 息を突き (酒饅頭は 桃色なのさ)」

 「やった!」▽「途中だ!」「出来なかった!」

・・・

 

粛々と、と言う気にならない。歴史のことである。歴史が粛々と進んで行くなんて言う気にならないのだ。

最近世界的に起こったことは情報革命で、それがメタバース(=仮想現実)を出現させた。・・・このメタバースを使って気候変動をなんとかできないのだろうか。

メタバースの始まりは神話だったとおもう。つまり虚構だ。みんなで同じ虚構を信じたので歴史が生じた。パルテノン神殿の起源を神話にみる。トーキョウのSkySkraperも同じ。¥が通用するのも、原発が稼働するのも、みんなで同じ物語を信ずるからだ。科学がその物語創作にチカラを持つようになったのが近代である。そして、その物語創作ができ、それをみんなに信じこませるチカラのことを「権力」と言っていい。また今になってその「メタバース」が話題だ。人類史はメタバースの変遷だったのに、、、。

COP25とかも皆んなでメタバースを作っていることだと解釈できないこともないのだが、「粛々」ついでに言えば、その歴史が粛々と進んでいると思えない。見ていてそう思う。国際には権力の中枢がないからだ。歴史は行き当たりばったりだ。情報技術がでてくればそっちによろめく。

個人的には日々暮らして行ければそれでいい。その暮らしが危なくなるから「~~せねばならない」などと言われ、ゴミ分別などをしている。ゴミ分別がどうしてSDGsにつながるのかの理屈はわからない。社会関係のイザコザを嫌ってのことだ。つまり社会の持つ虚構のチカラでそうしているだけだ。権力がその物語にチカラを与えている。それは言葉のチカラによるのではない。そうだったらひょこりひょうたん島を信じて旅に出なければならないだろう。しているのはゴミの分別である。粛々とやっているわけではない。

 

笛::お洗濯ワルツ「❶26~33やり直し、❷D.S. al Coda、❷通し、練習」::?::ちょっと吹いたが録音はしなかった。

 

 

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