予定::【「収穫(ハクサイ・コマツ)。荷造り(トガラ・ハクサイ・コマツ。出荷(なし)。作業(製粉「夏こがね50㎏」・▽麦踏み)・その他(QnS「料理・洗濯」、 猿きち「掃除・(笛::お洗濯ワルツ「❶D.S. al Coda、❷通し、❸26~33二再度、練習」)」☚☚10゜57´晴れ。風(北西、10m/s)                                         「やくざかい そういうひとは きらわれて (あかぎのやまの からすのように)」::ヤクザかい? そういう人は きらわれて カラスのように 追い払われる)。                                                     

『赤城の山も 今宵限り 生まれ故郷の 国定村や 縄張りを 捨て 国を 捨て 可愛い乾分(こぶん)の 手前(てめえ)たちとも 別れ別れになる 首途(かどで)だ 月も 西山へ 傾くようだ / 心の向くまま 足の向くまま あても 果てしも ねえ 旅へ 立つのだ あいつ(=雁)も やっぱり 故郷の空が 恋しいんだろう / (刀を抜いて 月光にかざし)加賀の国の住人 小松五郎義兼が 鍛えし業物 万年溜の 雪水に 浄めて 俺にゃあ 生涯 てめえという 強い味方が あったのだ』(国定忠治の台詞だという)                                                                                                                                      

                                                                                              

「やった!」▽「途中だ!」「出来なかった!」

・・・

 

ミヤダイの首切られはアベ君の銃撃と似ていて、そういう事例は歴史上数えきれない。有名どころでは伊藤博文をやった安重根、ケネディーをやったオズワルト、アベ君をやったヤマガミ君くらいの例で、珍しいことではない。例はいくらでもあがる。

そのへんで起こる人殺しは多くこの手の人間関係のもつれに起因する。そのもつれが起こりやすいのは家族内である。そこでは奇妙に人間関係が濃密だから、もつれやすい。

ひとつ注意したいのは人殺しの場合、言語情報とその情報をどういう枠組みのなかで処理するかで人殺しになるかならないかが決まってしまうということだ。ヤマガミ君は精神鑑定にかけられこれから裁判になるだろうし、アベ君は国葬でおくられた。そういうことになるのは、それが言語情報化され、それを処理する枠組みのなかで処理されるからだ。クマがヒトを嚙み殺すのとはそこがちがう。その先にあるのは「社会のなかでどう振舞えば生存有利になるのか」という問題が透けて見えている。振舞いは「発言」も含むし「考え」も含む。振舞いとは行為であり、発言するも考えるも行為だからだ。

もう一方のシミズユウコウの一月万冊のAIによる配信停止の方が新しいことである。これを一種の「処罰」としてみてみよう。

『パノプティコン』って知っていますか? イギリスのジェレミ・ベンタムが1791年に発表した刑務所です。ベンタムは『社会の幸福の極大化を見込むには、犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要である』(Wiki)と考えていて、それを実現するような刑務所です。つまり『犯罪者の幸福を底上げする』ような刑務所だ。どんな刑務所かというと全ての服役者を一ヵ所から監視できるような刑務所で、服役者同士はお互いが見えないようになっている。そんな『パノプティコン』がYouTube(⇒Google)のやっているAI技術によって現実のものになってきたということが新しかった。それがオレの気に入りの番組、一月万冊で起きた。

ただそれをやるYouTubeの動機は『社会の幸福の極大化』ではなく、YouTubeの利益の極大化だった。YouTubeも一種の「社会」だから『社会の幸福の極大化』としては当たっている。このYouTubeを国民国家に入れ替えてみると、例えば中国なんかどうですか。ほぼ『パノプティコン』ができてしまっている。日本でも多くの防犯カメラとか自動車のカメラとかで見張るようになってきたので『パノプティコン』化が進んでいる。そういうわけで妻殺しの長野県議が逮捕されたということが起こる。

しかし、新しいとはいいながら『お天道様が見ておられる』とか『神は全てを知っておられる』などはどうだろうか。こっちは『パノプティコン』より古くからあるものの見方だったろう。それがAI技術によって実体化したという見方だ。

こうして『社会の幸福の極大化』が実現しても、その極大になった幸福がどう配分されるかは誰も言わない。『犯罪者や貧困者層の幸福を底上げ』して『社会の幸福の極大化』をしても、幸福の分配の問題は残ったままである。中国の国家運営は『社会(=国民国家=中国、またはYouTubeなど)の幸福の極大化』が出来ても、それをどう国民に分配するのかの合意があるように見えない。それをシュウ君にまかせるというのは一つの回答だ。民主主義より優秀かもしれない。

どうしたらいいと思いますか? 一度旧石器時代200万年の検証をして、人のDNAくらいから考えた方がいいのかも・・・。

でも、そうなると「考えてもどうにもならない」可能性が大きい。なにしろ問題がDNAになるのだから。考えて生存有利になる人が考え、それを言葉にし、それを聞いて生存有利になる人がもてはやし、聞いても生存有利にならない人は聞きもしないし興味も示さない。全体として成り行きまかせ。どうにもならない。成るようにしかならない。

おっと。WCSoccer! スペインに勝ったじゃない。

 

笛::お洗濯ワルツ「❶D.S. al Coda、❷通し、❸26~33二再度、練習」::うまく行かない・・・。

 

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