日別アーカイブ: 2022-12-13

予定::【収穫(なし)。荷造り(なし)。出荷(トマト) 。作業(道駅「荷揚げ」・畑片付け「雨よけフィルム」・▽麦踏み)・その他(QnS「料理・洗濯」、 猿きち「掃除・(笛::お洗濯ワルツ「❶D.S. al Coda、❷通し、❸26~33二再度、練習」)」☚☚6゜57´雨。風(北西、3m/s)。                                                       「きんかめむ このてんきでは もうだめだ (じめんにおちて ひからびている)::金亀虫 この寒気では もう駄目だ (地面に落ちて 干からびている) ::The golden tortoise bug is dying in this cold weather, Falling to the ground and drying up.

『もう駄目だ』がよくないと批評された。『この寒気でも 生きのびておくれ』とすればよかったらしい。

       「やった!」▽「途中だ!」「出来なかった!」

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昨日はみんな元気に「生きていられた」んですよね。その「生きていられた」のが今日も続けばいいなあって思わないですか。 おもうと思うんですよね。昨日生きていられたのは自公政治のもとで「だった」ので、今日も自公政治が続けば「いいな」って思うんでしょう。こうして「生きていられた」ことと「自公政治」の間に因果関係を見てしまう。そう見えるのは良く分かります。なにしろ二っつが並んでいるんだから。が、その因果関係には全く根拠がありません。むしろ自公政治が私たちの社会に「集(たか)っている」とみた方がよい。『飯に集る蝿・・・』みたいに。それ自体が統一教会みたいなもんです。自公に就いて言ったが他の政党も同じとみていいだろう。言いにくいが会社に就職する給与所得者にも同じことが言える。誰でも「集(たか)る」のである。

昨日死んじゃった人、怪我をした人、病気になった人、破産した人、交通事故に遭った人(=こういう人を「おとしめられた(少数)者」=「いじめにあっている人」としましょう!)なんかを合わせても、昨日の元気で「生きていられた」人に比べりゃ少数でしょう。この元気で「生きていられた」多数者には「考える動機」がない。だって昨日あなたが元気で「生きていられた」ことの根拠が「自公政治」に求められるからだ。次の選挙では自公に一票入れりゃいいだけだ。

考えるのは常に「おとしめられた(少数)者」です。つまり「いじめにあっている人」です。その人には「なんでこんなヒドイ目に合わなくっちゃいけないんだ?」って疑問がありますから、考えるインセンチブがあります。知識人とか大学教授とか有識者とか作家とか評論家とか詩人とかも考えはしますが、そりゃあ社会にはそういう立場が在って、その立場を手に入れた方が、その立場から考えているだけです。こうして、おとしめられた(少数)者が何を言っても世の中は変わらない。民主主義のもとでの少数だからです・・・。そうしてみれば多数決って、おとしめられた(少数)者に対しては暴力的だ。

キシダ君の支持率が36%とかに上がったって情報を知ってそんな感想を持ちました。そういうわけで民主主義のもとでの選挙制度がどんなものかへの理解は選挙委員会の宣伝文句とはだいぶ違っています。有識者の『選挙に行くべきだ!』の勧めにも同意しません。成るようにしかならないってことです。

一月の山梨知事選には行きます。『成るようにしかならない』と分かっていても行きます。行きたいという欲がオレの中に「成る」からです。それでも成るようには成ります。

 

笛::お洗濯ワルツ「❶D.S. al Coda、❷通し、❸26~33二再度、練習」::きょうはどうか?::練習はしましたが、録音しませんでした。