予定::【収穫(ハクサイ)。荷造り(ジャガイ・ハクサイ・カボチ・ホシガ・サトイ)。出荷(ハクサイ・ジャガイ・カボチ) 。作業(▽麦踏み)・その他(QnS「料理・洗濯」、 猿きち「掃除・(笛: :お洗濯ワルツ「❶D.S. al Coda、❷通し、練習」)」☚☚7゜02 ´晴れ。風(なし)。

::なにがどう なったっていうん だ・ふかいだ (あれがこうして こうなったからだ)::何がどう なったっていうんだ 不快だ あれがこうして こうなったからか? ::What happened? It’s uncomfortable! Because that become like this, then the whole is going into defeat.  

(やった!)▽(途中だ!)(出来なかった!)

・・・

依然として話題の提供はマスメデイァがしていると思う。それについての解説がSNSの中で様々になされる。MMのニュス解説は信用しないがSNSでの「選んで聞いた解説」の方を信用する。なぜかというとSNSでの解説の方が「そうだよな・・・」と思える解説だからだ。それを選べるからだ。そうなると、オレの取る情報に偏りがあるのではないかという心配がすぐ出てくる。そういう構図の中におれはいる。苦しみもそこに在る。

NHKにしろ民放にしろ、そこで働いて給料をもらっている人には給料をもらえる限りでの発言しかできない。それ以上を言うんだったら給与所得者を止める覚悟で言わなければならない。モスクワ放送のアナウンサーにそういう人がいた記憶があるが、あの人は今も生きているんだろうか、なんて疑問もわく。マスメデイァにはそういう限界がある。その限界を破った方が良いと思い、そうした人々は多い。そういう人がSNSに集っているように見える。

そこでSNS上の解説を見たり聞いたりするのだが、そこでの解説はおおむね事態が『あまりにも酷すぎる!』となっている。実際そうなのだと思うのだ。にっちもさっちも行かなくなって、滅びてもらう以外の方法はないんじゃないかとおれも思う。早く滅びてもらうしかないと思うが、にっちもさっちも行かなくなった時の(つまり「敗戦時」の)、

①目印は何であり(太平洋戦争では『無条件降伏』を当時の日本政府は連合国側に出した)、

②そこでの生きのび方(どんな破綻がやってくるのか不明だから)、

が分からない。それが悩みだ。

それとSNS上で語られるニュース解説ははすべて『物語』である。ここで『物語が世界を救う』のではなく、「どうすれば物語から世界を救えるか」(ウチダ・タツル) / 『ストーリーが世界を滅ぼす(The story paradox; How our love of storytelling builds societies and tears them down. 』(ジョナサン・ゴットシャル)ということも分からないことの、

③っつめである。

政府、自民、公明にどんな物語を投げつけても彼らには彼らなりの物語があり、権力を握ることに成功し、その権力によってその物語をわたしたちに押し付けてくる。まったく「どうすれば物語から世界を救えるか」=『ストーリーが世界を滅ぼす(The story paradox)』の時代になったのだと思う。こんな経験はじめてだ。

たぶん、ゴットシャルもウチダもどうすれば良いかは分からない。誰も分からないんじゃあオレに分かるわけがない。これがおれを不機嫌にさせているのだと思う。

 

笛: :お洗濯ワルツ「❶D.S. al Coda、❷通し、練習」::?::録音しなかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です