- 予定::【★収穫「キウリ・トマト」〇 ★荷造り「トマト・キウリ」〇 ★出荷「トマト・キウリ・ジャガイ」〇 ★その他「おくり火(朝焚きした)〇・▽除草(HKnM・トラクタ)」 ★QnS「料理・洗濯」〇・ 猿きち「掃除・笛:お洗濯ワルツ(通し)練習」〇】 ::☚☚7゜11くもり。風(なし)。
(やった!)〇・(途中だ!)▽・(出来なかった!)無印
::あのよから かえるししゃだれ ちちははと (じじばばみずこ そのた おおぜい)::あの世から 帰る死者誰れ 父母と 爺婆水子 そのた大勢
::Who are the dead returning from the afterlife,
Parents and Grandma, Grandpa, grabbed child,
There are other crowd.
・・・
あの世などまったく信じていなかった。それでも毎年おぼんに迎え火を焚いて、送り火も焚いて死者とつきあっていると、そういうこと(=あの世)ってあるのかもしれないなどと思いはじめてしまう。一言でいえば振舞によって虚構が真実っぽくみえてくるということだ。科学的にあの世は確認されていない。ブラックホールは確認されている(らしい)。ブラックマタやブラックエネルギは理論的予測だ。
もう八月十六日になってしまって太平洋戦争も七十八年前のこと遠くなったが、その敗戦のことは何度も考えてしまう。きのう十五日は終戦(それを「敗戦」と言う人もいる)記念日だった。いまロシアとウクライナが戦争状態で、そこには銃撃がありミサイルが飛びドロン爆撃があり戦車が走るっている。戦争なんかちっともなくならない。
一方、中国と合衆国は戦争していない。日本とイタリアも戦争していない。戦争しない二国間の方が圧倒的に多い。この戦争していない二国間のことを非戦争と名付けたおきたい。
そこで問題はこうだ。
問::戦争している二国間と非戦争の二国間をおなじ視点に納められないか。
答::同じ視点に納めるべきだと思う。戦争も非戦争も同じアスペクト(外観、様相)とみるべきだ。戦争と平和(=非戦争)を二項対立でみるのはまちがっている。
たとえば日米関係は戦争状態にはないが、日本は合衆国の属国だと言う人がいるのはご存知の通りである。一方、日本は独立国だという人もおり、そちらの方が政権を取っている。政権をとっている人の周りにぶら下がるのが何かと有利なので(=ポジティブ・フイード・バック=PFB)政治は一向に変わらないままだ。例:中国・北朝鮮・イラン・ロシアなども強烈なPFBが働いている。
PFBにもかかわらず太平洋戦争は終戦(=敗戦)を迎えた。『進め一億火の玉だ! 欲しがりません勝つまでは!』とか言ってPFBがかかっても効果はなかった。PFBで「社会が歪む」と当該社会は突然「持たなくなる時」をむかえる。革命家が革命をするのではなく、「持たなくなった社会」が革命家を配役する。例;フランス革命・社会主義革命など。ロシアではレーニンが革命家だったが、ロシアの当時の社会が「持たなくなっていた」ので、それがレーニンを配役した。もう当時のロシアはないのでわたしたちは誰もレーニンになれない。レーニンもマクシミリアン・ロベスピエールも一回っきりの人だ。
同じことは終戦(=敗戦)にも言える。いまの日本はもう持たなくなっていると判断するので、そうなると敗戦がくるだろうとの予測だ。このとき社会が「持たなくなる」ことを促進する行きかたが有効になる。敗戦のとき権力者の行動は「持ち逃げ」と決まっている。持ち逃げされたのではわたしたちはたまらない。なんとか阻止したい。
戦争と非戦争(=平和)を同じ外観を持つものとしてみる見方をお勧めしたい。
そう見えれば、きっと戦争は止めようがないとわかるだろう。非戦争状態がそうであるように戦争も止めようがない。『始まったものは終わる』ということでいば戦争は終わるし、非戦争も終わる。ウクライナ戦争もそうである。が、誰が配役されて終わるかはわからない。ゼレンスキでもなくプチンでもない可能性が高い。あなたでもいいのだが、その場合は「そうしたい」という強烈な欲望があなたに湧くはずだ。その欲望に身をまかせればいい。イズミ・フサフはそうした欲望に身をまかせて泉市長になって、大成功を収めた。その欲望はフサホにきてもおれにはこない。
そういうことだ。
笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::Googlレコーダ不調のまま、22小節からカラオケ練習!あれ・・・グーグル・レコーダもドライブも使える・・・あれ~、何なん?::とは行かず22小節から最後までを130BPMでの練習になった。
カラオケで練習するとほぼ失敗する。