• 予定::【 収穫「ミョガ」 荷造り「トマ・クリ・ミョガ」 出荷「トマ・クリ・ミョガ」 その他「ナバナ(畑づくり・播種)・トマ畑(誘引・芽掻き・下葉掻き・芯止め)・除草(刈り払い機・HKnM・トラクタ・グリホ)」 QnS「料理・洗濯」・ 猿きち「掃除・笛:お洗濯ワルツ(通し)練習」】 ::☚☚8゜27雨。風(北2m/s)。

(やった!)・(途中だ!)▽・(出来なかった!)無印 

::あめがふる じゅうがつしょじゅん じゆうなど (かんがえている じぶんをきらう)::  雨がふる 十月初旬 自由など 考えている 自分をきらう  ::

::It rains in early October,
thinking about freedom,
I hate myself.

・・・

自分が好きなのか嫌いなのかと問えば好きに決まっている。

でも人(=「オレ」も人だ)は生きているかぎり人間社会の外に出られない。そうすると社会が振ってくるいろいろな属性をあてはめられてしまう。74で男で農民で住民税を納める必要がない人だ、などである。社会が振ってくるだけではなく自分自身もそう自己認識する。ここに「思ったことを思ったままに言えるか?」という問題を立ててみると、人がなにか言うことが「思ったことを」×「思ったままに」×「言えている」かどうかの判断はどうするのだろうかという難問が出てきてしまう。オレの毎日のこの日記など「74・男・農民・住民税を納める必要がない」人の言う事だと判断されることを妨げる手立てもない。つまり立場上そう言うのだと判断されてもどういようもない。

けっきょく東山ノリユキや井ノ原ヨシヒコや弁護士の木目田ヒロシが立場上いう事とオレの言う事は区別がないとなってしまう。誰だって立場から言っているのだとなる。誰かが何かを「言う」という事については「それぞれの立場から」と言う以外に言いようがない。この認識の積極性を使って昨日より明日の方がより良い社会が出てくるようにできるだろう。みなさんもそれぞれの立場から大いに言ってもらいたいとおもう。

 

笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::どう?

できませんでした。

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