- 予定::【 ★収穫「トマ・コンニャ〇」 ★荷造り「トマ」〇 ★出荷「なし」 ★その他「▽麦畑(耕耘)・▽除草(刈り払い機・HKnM・トラクタ・グリホ)」 ★QnS「来客(三人)・料理・洗濯」〇・ 猿きち「掃除〇・▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習」】 ::☚☚8゜42´晴れ。風(北0.5m/s)。
(やった!)〇・(途中だ!)▽・(出来なかった!)無印
::どのみちを いけばいいのか なんてもう (しんじていない がもしかすると):: どの道を 行けばいいのか なんて もう信じていないが もしかすると あるかもしれない ::
::The question which path I should take,
I no longer believe in,
but there maybe is.
・・・
「あるかもしれない」と続く。自由は、物とのつながりの意味ではないが、虚構としては「在るかもしれない」となる。 意味を担っていうのは言葉であり、それが自由と言っているが、その外に言いようがないのが言葉の不便さだ。英語では日本語の自由にあたる語がFreedomとLibartyと二つある。平安時代に自由なんて言葉があったとは思わない。言葉がないということも考えないといけないと思う。
▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::? できませんでした。