- 予定::【 ★収穫「トマ」〇 ★荷造り「トマ」〇 ★出荷「トマ」〇 ★その他「▽麦畑(耕耘)・▽除草(刈り払い機・HKnM・トラクタ・グリホ)」 ★QnS「料理・洗濯」〇・ 猿きち「掃除〇・▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習」】 ::☚☚8゜42´晴れ。風(北0.5m/s)。
(やった!)〇・(途中だ!)▽・(出来なかった!)無印
::もしかとは どこにあるのか もしかとは (かんしゅうほう しすてむのこと):: もしかとは 何処にあるのか? もしかとは 慣習・法・ システムのこと! ::
::Where does “if then” come from?
“if then” refers to
customs and law and systems.
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きのうは『もしかすると在るかもしれない』とした。自由のことである。
「きょうはスカートにしようかズボンにしようかしら?」ということは女性(男でもかまいませんが)に多くある選択だが、「暑そうなのでスカートにしよっと!」という「選択」が可能に見える。そうすると選択の「自由」が在ることになる。
オレは前から「自由なんて鐚一文ない」としてきた。が、上のスカート・ズボンの例では選択が可能になってしまう。自由は在るではないか。
それはヒトはお互い付き合う時には服を着るという「慣習」や、公然わいせつ物陳列罪などという「法制度」があるからだと思う。慣習や法制度の上に「システム」も加えておきたい。
システムとは、例えば、そのスカートなりズボンなりを作る「人と物が組み合わされた全体」のことだ。スカートでもなくズボンでもないもの、例えば自動車、道路、家、絵の具などにもそれを作るシステムがある。システムで作ったものは貨幣で買えるようになっているのが近・現代社会だ。「貨幣で買える」というのも全システムの一部になっているシステムである。
この三っつ。慣習・法制度・システムがオレが「虚構」と呼んでいたものの実体(=正体)だと今わかった。法制度なんて作文して作られているのだから虚構以外の何でもないだろう。慣習は「何んだかわからないが、そうしてしまう行為の全体」でこれも言葉以上に虚構だ。虚構とは「そうしなければならない理由がなく、条件さえ変われば別なものに変え得るもの」のことである。あなたの母語が日本語か英語かなんて日本語文化に生れたか英語文化に生れたかでしかないこと、などがその例だ。システムは慣習や法制度によって作られているので、もちろん虚構である。
この虚構の中には「自由」がある。「自由」とは選択可能性の「ある」「なし」のことだからだ。スカートを一枚も持たない女子にとっては自由はないが、買わないという決意の結果スカートを持たないのならその女子は自由のあるなしに悩む必要はないだろう。自由の行使の結果だからだ。虚構を離れた「ヒトと物との繋がり」の中には自由は鐚一文ない。そのことが『受動意識仮説』のオレにとっての結論である。ここまで来るのに五年ほどかかってしまった。
▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::? できませんでした。