予定::【 ★収穫「サトイ」〇 ★荷造り「トマ〇・キク〇・サトイ」 ★出荷「なし」 ★その他「▽除草(手・刈り払い機・HKnM・トラクタ・グリホ)」 ★QnS「料理・洗濯」〇・ 猿きち「掃除・▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習」〇】 ::☚☚7゜03´晴れ。風(北3m/s)
(やった!)〇・(途中だ!)▽・(出来なかった!)無印
::じぶんがふ たりいてひとり にかさなっ (ていきているそ なんゆめだった): 自分が 二人いて 一人に重なって 生きている そんな 夢だった ::
::There are two of me,
Living together as one person,
The dream is that.
・・・
自分が二人いて、その相手をどう扱いますかという質問をQnSにしてみた。『気が合って大いに共感できる相手になると思う』という答えだった。
はたしてそうか。この「大いに共感できる」自分が、他人として「そこ」にいる場合、その他人は自分とおなじ意識なのか。自分は「ここ」にいて、その他人は「そこ」にいるばあい、同じ意識の獲得ができるのかという問題になる。
原理的に同じ意識にはならない。居る空間も時間も違っているから物の見え方も音の聞こえ方も味のありようも触覚も臭いも違ったものになるはずだ。だから、同じ意識にはならないという理屈だ。「ここ」と「そこ」という別の場所から撮った写真が違うのと同じだ。
そこで、その他人を自分と重ねてみたってわけです。そうすれば時間も空間も共有するので感覚的事実も同じになる。で、同じ意識が獲得できると思いました。つまり、自分を二人に数えるってやつです。こうしておいてその相手をどう扱いますかという問題になりそうです。これって、「自分をどう感じますか」という問題と同じだと思いました。自己嫌悪からナルシストまで色々あります。そのず~と向こうには人間社会の虚構がありそうです。
あなたはどう自分自身を感じていますか。
▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::練習したいです。 「発句+付け句」にメロデーをつける練習をしたです。