日別アーカイブ: 2022-06-01

    • 予定::【収穫(なし)。荷造り(なし)。出荷(なし)。作業(苗「管理」・トマト畑「植付け続き雨よけ乗せ」・麦畑「管理機除草」。その他(QnS「料理・洗濯」、猿きち「掃除・テインルメッヲツ「9~24 /練」 ☚)7゜23´晴れ。無風。六月になった。

「やった!」「途中だ!」「出来なかた!」

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眠ることと目覚めることの関係についてである。それはセットになって経験されているのだった。眠ったままで目覚めなかった人とは死んだか意識が戻らないままの人である。この意識のことを心と呼んでいる(ようだ)。心が戻ってくる時のことを朝と呼んではどうだろうか。そういうことで言うと犬や猫などにも心があるといわざるをえない。だって眠ってその後に目覚めているのを観察できるからだ。夢などは体は眠っていながら意識が目覚めることである。夢の中での経験は奇妙だ。『立てば芍薬すわれば牡丹あるく姿は百合の花』などというときの植物に眠りと目覚めは観察できるか?おれは眠る時に快感を感じるが、それが快感と意識されるのは目覚めたときである。セットになっていないと困る。その意味で死ぬのは嫌だ。二度と意識が戻らない眠りとしての死。眠りは経験できるが死は経験できない。誰も経験できないものが「在る」といえるのだろうか。父も母も犬のジョンも死んだがオレが死ぬということはおれには経験できない。目覚めがないからである。ひと事としての死は在るが実存(=生身の自分に実際に起こること)としての死は経験できない。