地中海世界への旅_その5_よりみちポルトガル

17-03-03(木⇒金)::

3月3日14:50。成田到着です。あ~あ。

きょうは日本語ガイドのタケダさんをたのんで、ポルトの町案内をお願いしました。

タケダさんは日本に生まれ、三歳まで日本に居、後ブラジルにわたり、そこで教育を受けました。19で再度日本に帰り、日本で大学教育を受けて矢崎総業に就職してポルトガル駐在員となって39まで会社員をやっていたそうです。そこで独立してポルトガルから日本へポルトガルの黒スレートを輸出する商社を初め、いまも社長です。ガイドはいいアルバイトになるので、仕事が入ればやっているとのことでした。

それが・・・。タケダさんて「頼りないキャラ」なんです。ヨボヨボしていて、吃音で、小柄で、何やらオレと同じ頻尿で、たよりなさそうなかただ。タケダさん、かつてきっと脳溢血わずらっていると思う。

ガイドのタケダさん。オレと同じく頻尿とみた。同病あいあわれむ。奥さんもにほんじん。オレのおくさんも日本人だ。ドーロ川のポルト対岸のガイア地区に住んでいる。

::そこに見えている女子は、タケダさんの奥さんか、オレのか。(かなり難問でしょう)。

ガイア地区からポルト地区をみる。ドーロ川の上流(右手)がワインの産地で、そこにみえているバルコ(舟)に乗せてここまで運び、アルコール度数70のブランデーを入れてワインの発酵を止める。そのときアルコール度数を19~20にちょうせい。未発酵の糖分がそのまま残されるのであまみがある。それがポートワインだ。シチリアのマルサラ蒸留酒と同じ製法とみた。いまはバルコではなく、タンクローリーではこんでいる。ワインセラーはガイア地区の川沿いに集中。

あしたはこの川の観光船に乗ります。セラーで試飲して、二三本買いましょうか・・・。

2月27日19:00です。サンチアゴ・デ・コンポステラへの日帰りツアーからさっき帰ったところです。

教会の中に入ったら、偶然ボタフメイロの場に出くわした。ラッキー!!! ボタフメイロは毎日はやらないのだそうです。とくに冬どきは。う~。調べたら、この教会には三種類の香炉があり、その一つが「ボタフメイロ」。他は「アルカチョーファ」と「レッポーラ」だ。だから、このとき振られていたのがボタフメイロかどうかは定かでない。・・・。それらの香炉は、ミサの種類によって使い分けられるという。

それが、あなた。このツアーは英語ガイドで、客は、アメリカ人ご夫婦(60代にみえる)とイギリス人ご夫婦(これも60代にみえる)と我ら夫婦。ということは、多勢に無勢。その人たちの英語についていくのが大変だ。

特に、みんなでする昼めしが苦しかった。ネイティブ四人、準ネイティブ(ポルトガル人ガイド)一人の中のオレとqnsでしょう。どうやて席をもりあげるんですか。

何とか笑いはとりましたけど、それ、努力なんです。この努力をするのが苦しかった。

パック旅行はいいなあ。こんな努力しないで、添乗員の悪口言ってればいいんだから・・・。

と言うのはウソです。そんな努力ができる自分の方が好きです。ウソいってすみませんでした。

これから夕食に出ます。行ってきま~す!

 

こちらはいま26日の22:00です。18:00にここポルトのアパートに入りました。

9:00にハイヤーでリスボンを出て、オビドス>ナザレ>コインブラと観光しながらきました。ポルトガルの地理が大分あたまに入ってきています。

ポルトガルではきのうの土曜日から、日、月、火とフェスチバルで、学校は休みだそうです。子どもたちは(大人もなんですけど)仮装して通りに繰り出していました。

ナザレの町でこれにあいました。ポルトガルじゅうこれなのですが、ナザレはこれをするので有名な町だそうです。リスボンでもあちこちでみました。でも、これほどではありませんでした。

あしたは、スペインにちょっと入ってキリスト教カソリックの聖地の一つサンチアゴ・デ・コンポステラに詣ります。

と言うわけでもう寝ます。おやすみなだい。ぐーすかぴーぴーぐーすかぴー。

  • いま25日(土)の19:00です。

きょうはアルガルベのファロまで行って昼を食い、魚の干物を買って帰る予定でしたが。テージョ川の渡し船に乗って対岸に行き、そこで海鮮の昼を食って終わりにしました。

渡し船からリスボンの町を振り返って。

何しろ、計画が欲張り過ぎなのです。オレがやっているような旅行はパック旅行の四分の一くらいの旅程にしておくべきだと身に沁みます。それで充分濃い旅ができると思うのです。

船のキップを買うのには英語で通じます。リスボンでの共通乗り物券へのチャージ依頼も英語でしました。他ラテン語系の言葉(スペイン・フランス・イタリア・ルーマニア語)なら何でも通じるって感じです。船券はイタリア語で買ってみました。

「どぅえ・びりえっち・ぺる・けっろー、あんだーて・え・りっとーるの!」(ケッローまで、往復、二枚!)。

船着場からの行き先は4ヶ所あるので、どこへ行きたいか言わなければなりません。

 

旅には「濃度」があると思います。濃い旅がしたい。薄い旅はしたくありません。めぐる名所旧跡の数の多さの競いあいなど論外でしょう。それを訪ねた数の多さとものの認識の深さは関係ない。かえって浅薄になるくらいだ。

 

あしたはリスボンからポルトへ移動します。途中ナザレとコインブラに寄って観光しながらの移動です。これから移動準備です。

きょうはもう、うちで夕食をして、外にはでません。飲み過ぎも祟っていますので・・・。

じゃ。

 

アパート近くの酒場。20:30入店。23:00までいた。23:00頃から混んでくるが、料理を頼む人はなく、ワインの赤がほとんど。隣席になったチリからの若い弁護士カップルと話が盛り上がり、日本に旅行に来たらウチに寄れと言っておいた。でも、住所を言うのわすれた。

 

こちらいま23日22:30です。

アルフール要塞、モンサント山頂の城址、ペーニャ村のパン小屋を見て先ほど帰りました。

ペーニャ村(Penha Garcia)のパン焼き小屋。焼くのは土日。焼かれたパンは近くのメルカートで買える。そのメルカートの見つけづらいこと。何人もの村人に訊いた。メルカートの三軒となりおオバサンなどは、二階から顔をだして大声で「そこだ!そこだ!」と指図していた。ありがとね。小さなドア一枚の入り口だったからみつけにくい。なかは意外に広く、野菜、洗剤、小間物、食品、金物、何でもあれの店だった。そこでパンを一個買った。値段は1€。づっしり重い、でかいパンだった。

疲れちゃって、もうファド酒場なんかどうでもいいです。

寝ます。おやすみなだい。あ~! また間違いた。おやすみなさい。

23:50。いま酒場から自分のアパートへ戻ったところです。ファド初体験してきました。

ポルトガル料理はしょっぱすぎます。

 

寝ます。お休みなだい・・・。あ、間違いた。お休みなさい。

 

きょうは地下鉄と市電を使ってジェロニモス修道院と発展のモニュメントとベレンの塔を見学し、リベイラ市場で昼食。「チョコレートの缶詰」を売っている店を探して買い、地下鉄を使って帰りました。

 

ゲンちゃんのガイド料金::120€/一日(9:00~17:00)。エンコは無料。

アパートから通りに出るためには、まずアパート(住戸)のカギをあける。次に住戸区(この場合三階から出いりする二戸分の共通)カギをあける。最後に建物から通りに出る鍵をあける。あけたら閉めてね。しめれば・・・。

出るばあいは、体を扉の外においてドアを閉めればそれでカギがされる。入る場合は、持って出たカギを錠に差しまわして開けて中に入る。

こうして、通常アパートでは「住戸・住戸区・建物」の三本のカギを持たされることになる。もし、カギを中においたまま外に出てしまうと、もう中には入れない。その場合は大家に頼んで合鍵を貸してもらうしかない。その大家が旅行にでも出ていて、近くにいないなどの場合は、大家の承認をとって窓ガラスを破って侵入する。それを助てくれるのが消防署の梯子車なのだという話をきいたことがある。むろん、破った窓ガラスの弁償はしなければならない。でも、それ、あなた、電話でポルトガル語でしなければなりませんよ。よくて英語です。だいじょうぶ?

旅行でアパート利用のばあい、くれぐれもカギにご注意を。このことは去年のローマとシチリアのトラパニで経験しているので、すんなり腑におちた。

こうして、建物を8:55にでたら、そこにゲンちゃんとエンコがまっていた。

さあ、リスボンを歩きましょう!

アパートからゲンちゃんとエンコに連れられて展望台まで来た。

眼下にアルファマ地区をみる。ここにウチらのアパートがある。テージョ川沿いのアパートだ。町の水平線の左から三分の一くらいの場所。ここは丘のうえの展望台さ。来る途中ファド酒場やいいレストランを紹介してもらっておいた。ドロボー市もその途中で開かれていたので見ながらきた。;

アルファマAlfama)は、ポルトガル・リスボンの旧市街。行政区の一つ。サン・ジョルジェ城とテージョ川の間の丘陵に広がる。名前の由来はアラビア語のAl-hamma、「泉」もしくは「風呂」を意味する。多くのファド酒場やレストラン、重要な歴史的建造物がたつ。

ムーア人支配時代、アルファマは市の中心地で、のち西側へ拡大した(隣はバイシャである)。アルファマは漁師と貧民が多く住んでいた。1755年のリスボン地震でアルファマは被害を受けず、狭い路地の迷路と小さな広場という、絵になるような光景が残った。古い邸宅の修繕や、新たにファドの聴けるレストランができている。』(Wiki)。

 

17-02-20(月)::
今回はJALだ。すこし高そうだが、こっちだって歳とって、からだが苦しい。楽がしたいってワケ。それでおごった。でも、なんとかエコノとか、ビジネスとか、ファーストなどは手がでない。

料金::200,300円/二人・往復。

ほぼ一日じゅう飛行機の中。フランクフルトでの乗り継ぎにとまどった。22:20リスボン・ポルテラ空港着。夜の町の灯が美しい。

:Holiday Apartments Alfama-15。

::/Jal機内食;カシューナッツ炒め・くだもの・サラダ、/くまもんづくしのサンドイチ、晩1/TAPポルトガル航空機内食;サンドイチ、晩2/Alfama-15で。日本から持って行ったセンベ・ちーかま・飛行機のなかでため込んだいろいろなものを食い、もっていったパック酒「大吟醸」でカンパーイ!

なにはともあれ、リスボンはアルファマ地区のアパートに入りました。20日の23:00くらいでした。

 

居間

キッチン

洗面・トイレ

アパートの建物躯体は300年ほど前にたてられたとかで、床が傾いていて、脳溢血でも患ったような歩きにくさに戸惑います。

こういうのを「入居」と言うのかどうか分かりませんが、ここに一週間泊まります。リスボンは白州にくらべると格段に暖かいです。19℃とかが出てます。

「入居」の際、大声で「ようこそポルトガル」の社長のキシザワ君に、扉の開閉のことを質問していたら、上階の住人に怒られました・・・。「うるさい、何時だと思ってるんだ!」って。ポルトガル語初体験が「怒られ」だ。対応はキシザワ君。なんだか謝っていた。オレたちは蛙の面に小便。なに言われたってポルトガル語、わかんないも~ん!

まずは日本から持ってきた日本酒とチーカマとセンベでかんぱーい!

以上、到着のご報告まで。で、あしたから何して遊べばいいんですかね?とりあえず、クソして寝ます。

 

このアパートのおおまかな料金:宿泊618€/6泊・2人+レイトチェックイン30€+空港出迎え・アパートまで送迎つき54€=702€。(702/6=117€/日・二人。くらいの勘定になる。このほかにガイドに一日ついてもらったら、20€ほどチップを渡した。ほかに食事代、交通費、見学入場料などもかかる。

17-02-19(日)::
:成田東武ホテルエアポート。8,208円/二人・一泊。
::/空港食堂で。Q;ヒレカツ定食・ビール、オレ;カツカレー+日本酒。合計3,500円くらい。夕食中、震度4の地震があり、「ついに来たな!」と思った。が、なんとなく収まってしまい事なきを得る。
日程どうり13:00に家を出た。 


 出発前

17-2-18(土)::

こんな日程になりました・・・(2/18現在)

2/19(日)::13:00家出。竜王駅に車をあづけて、14:00成田行きバスへ。18:00成田着。成田泊

2/20(月)::10:50成田発~15:05フランクフルト着~乗り換え~19:15フランクフルト発~21:20リスボン着(ポルテラ空港)。泊:Holiday Apartments Alfama-15。この宿の手配は、By ようこそポルトガル。航空券はフレックスインターナショナル

2/21(火)::9:00~17:00。日本人アシスタントを頼んでリスボンの街歩きを教わる。リスボン入門の日。By ようこそポルトガル。夜はファド酒場で一杯やる。泊:Holiday Apartments Alfama-15

2/22(水)::テージョ川クルーズをやってみる。市場で買い物。夜ファド酒場。泊:Holiday Apartments Alfama-15

2/23(木)::8:30リスボン発。専用車を頼んでモンサント行き。途中アルモウラル城見学。モンサントまで行くのだから、そのとなりのペーニャ村の「パン小屋」でパンを買って帰ることにした。ペーニャ村の「パン小屋」は一週間ほどまえ粉の注文をもらったトシコに教わったもの。行ってみたくなった。リスボン18:30着。By ようこそポルトガル。夜ファド酒場。泊:Holiday Apartments Alfama-15

2/24(金)::現地「シントラ、ロカ岬一日ツアー」参加。8:45リスボン発~ケルス宮~シントラ~ベナ宮~(自力で昼)~ロカ岬~ギンギヨ~カスカイス~17:00リスボン着。By Insid Lisboa。夜ファド酒場。泊:Holiday Apartments Alfama-15

2/25(土)::アレンテージョ地方を電車に乗ってアルガルベの港町ファロまで行き、昼飯を食い、干物を買って帰る。一日旅行。夜ファド酒場。泊:Holiday Apartments Alfama-15

2/26(日)::リスボンからポルトへ移動。9:00(専用車で)リスボン発~ナザレ観光~昼~コインブラ観光~ポルト着18:00。By ようこそポルトガル泊:Oporto Stories Apartments。この宿の手配はBy Booking.com

2/27(月)::現地「スペインのサンチアゴ・デ・コンポステラ」ツアー参加。7:45ポルト発~1030サンチアゴ・カテドラル・ロマネスク見学~13:00~自由~14:30まで~ビニョ・ベルデ・カシドラル見学~ポルト着18:30。By City Lama泊:Oporto Stories Apartments

2/28(火)::現地「日本人アシスタントを頼んでポルトの街観光」。ポルト入門。9:00~17:00。By タビタツ。泊:Oporto Stories Apartments

3/1   (水):: ポルトの街をあそぶ。「バス・トラム・ケーブル・川船」自由乗り放題の一日券で。ドーロ川クルーズ、ポートワインワイナリなど行きたい。泊:Oporto Stories Apartments

3/2   (木)::8:30地下鉄で空港までへ。12:15ポルト発~16:00フランクフルト着~乗り換え~19:10フランクフルト発~機内で一日日付が増えて・・・

3/3   (金)::・・・~14:30成田着です!

 

こういう日程をつくって、ながめていると、旅行って、たしかに「商品」なんだよな~ってわかります。その商品の売り手が、もう、あっちこっちにひしめいている。それら「商品」を買わないでする旅行って可能でしょうか?

そんな疑問がわきます。

そういうことで言えば、何も買わずに毎日の暮らしをすることは不可能にみえます。水も電気もガスも、買っていますでしょう。買う(=等価交換する)しか生きようがない。

買うための資源は金銭なのですが、ご存知のように、これ、なかなか手に入らないのです。あまりに手に入りづらいので「金などくだらない!」などと毒づく方もいるくらいです。

そこで、それを、なるべく労少なく手に入れる方法をご存知でしたら、そ~っと教えてください。

泥棒とか詐欺とか強盗とかは一応除外します。

競輪・競馬・競艇・宝くじ・ロト・パチンコなどは論外です。花札、丁半も除外します。主催者の方になれるなら話は別ですが・・・。

株なんかどうなんでしょうか?何かに投資すればうんと見返りがある、なにかそんないい事業とかご存知ありません?あったら教えてくださいってお願いです。なにしろ資本主義社会なのですから、金をもうけるために金をつかうっていう金の使い方ですよね。労働者・農民・兵士なんかやってたってだめだと思います。そりゃあ、家畜身分ってものでしょう。

あ!そのためのは元金(資本)が必要なんだった・・・。ああ~!こりゃあ、だめだ・・・。それに投資先を見つける目も必要だし。まちがってぱちんこなんかに入れ込んだのはバカ友のヒョウドウ君です。ヒョウドウ君はもう金なく、家なく、職なく、妻なく、子なく、親戚なく、友もなくしました。

オレ農民は、からだ酷使してギリギリで生きています。労苦が多いです。

歴史はこのところず~と資本制の時代ですが、いつかこの時代もおわるのでしょうか。原始共産制や王制や封建制の時代が終わったように。

どんな時代をお望みですか?

むろん労苦なく、よろこびだけを求めて暮らせる時代でしょう。それ、どうすれば具体化しますかね。ミニマムインカムを配布する社会とか・・・。それに、そうなっても、よろこびを求めるための苦労っていうのも発生しそうで、心配です。

 

 

16-12/20::地中海世界への旅_その5_よりみちポルトガル:ドウロ川について

今回のポルトガル旅行ではまず飛行機でリスボンに着くわけだが、そのリスボンに流れているテージョ川をきのうは見た。帰りはリスボンから北へ三百キロほど行ったポルトから飛行機にのって帰国する。川つながりで、そのポルトに流れる川を探していたらドウロ川というのがすぐ見つかった(GoogleMap)。

それは El Duero:エル・ドゥエロ:スペイン語 / O Douro :オ・ドウロポルトガル語 / The Douro River:ザ・ドーロ・リバ:英語、である。

このドウロ川とテージョ川とは性格が似ている。・・・もっとも、川なんてものはみんな性格は似ている。似ているから旅行の際の指標としてつかえる。つまり、自分の旅行に統一的な視点を与えるために川は都合がいいのである。上流から下流に流れるとか、川の下流に街がひらけるとか、川が国境を形作ることがあるとか、・・・。テージョ川の河口に開けた街がリスボンであったように、ドウロ川の河口に開けた街がポルトである。川はそんな視点をもたらすのである。

で、テージョ川観光を探っているのだから、ドウロ川観光も探らないといけないのではないかと思っているのだ。

ドウロ川(GoMpより)。テージョ川に比べればだいぶ狭い。見えている橋はアラビダ橋(Ponte d’Arrábida)。この橋を自動車道路A1が通っている。橋のすぐ向うは大西洋だ。GoMpでみるかぎりポルトガルってなんだか交通量がすくなくみえる。

『ポルトから上流の渓谷までの観光ツアーが人気がある。小さいボートを使用して、ダムの水門を抜けて上流まで遡行する』(Wiki)、なんてのもあるようなのだが・・・。ドウロ川にはかなりの数のダムがあり、水力発電をし電気の安定供給をしているという情報もある。

追記1::ポルトガル::「ポルトガル」って日本語で言ったとき、そこに「ポルト」って音がありますよね。このポルトはラテン語のportus -ūs, m 1港 2避難所 3倉庫、からきている。いまポルトと言われている場所はその当時カーレと呼ばれており、カーレにある港をさしてポルトウス・カーレ(ガレの港)といった。これがポルトガルという国名の起源だ。ラテン語起源なのだから、きっとローマ帝国繁栄のころなのだろう。

追記2::ローマ帝国::『ローマ帝国:羅: Imperium Romanumは、紀元前数百年ころからイタリア半島に誕生した多くの都市国家群から、地中海全域にまたがる単独領域国家へとすすんだ。都市国家群のときは都市国家間の共和制。単独領域国家になって帝政。共和政と帝政では政治体制がちがうが、ふつうローマ帝国というときは共和政時代も含める。帝政に入った初代皇帝がアウグステゥス。395年東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂。このときの皇帝が、テオドシウス・・・。その後帝国が統合されることは無かった。西ローマ帝国は経済的、軍事的基盤が弱く、ゲルマン人の侵入に抗せず476年に滅亡した。このときの西ローマ帝国の皇帝が・・・。』(Wiki+猿吉)。

追記3::都市国家::国家は①国土②国民③主権、によって特徴づけられる社会統合体である。たとえば「山梨県」には山梨県の土地があり、県民がいるが、主権がない。主権については日本国の下請けで、国に属している。つまり山梨県は国ではない。ところが歴史的には都市が国家であるような都市国家が一斉に成立してきた時代があった。古代ギリシャの都市国家群がそれとしてよくしられている。その前には世界四大文明(ナイル、チグリスユーフラテス、インダス、黄河)辺に発生した都市がそれだった。・・・。わたしたちは通常日本国という国民国家を経験しているが、それは都市国家ではない。領域国家とよばれ、国民国家と呼ばれる国家だ。日本国にあるすべての都市は国家としては振る舞えない。それらの都市には主権がないからである。甲府は都市国家ではない。主権がないからである。

追記4::主権::自分または自分たちの行き方を自分または自分たちで決定し実行できるとすれば、それが主権である。あなたは自分自身の主権者ですか?日本では「主権在民」といわれますが、それはどういうことでしょうか?

 

 

16-12/19::地中海世界への旅_その5_よりみちポルトガル:アレン・テージョ(川むこう)

ポルトガルの「テージョ川」ってどこにあるのだろうか。googleMapには「タホ川」と書いてある、それがテージョ川なのだと今知った。リスボンから見て、その川向こうのことをアレン・テージョと言うのだと教わって、そのテージョ川を探していてそういうことになった。

El Tajo(エル・タホ) はスペイン語であり、O Tejo (オ・テージョ)はポルトガル語なのだ。googleMapにはスペイン語のタホ川の方が載っているのだった。『イベリア半島最長、流域面積はイベリア半島第2位の河川である』(Wiki)。

TajoもTejoも似ている。綴りでの違いはaとeだけだ。どちらも母音ということでは共通している。タホとテージョでの音の印象はかなり違うが、その違いは日本人が感じるほどのものではないのだろう。

リスボンでの観光としてシントラの街や大西洋岸のロカ岬を見に行くというのは挙がっているのだが、もう一つ、そこにあるテージョ川観光もしたい。

テージョ川を横切るバスコ・ダ・ガマ橋(GoMpから)。この橋を渡った向う側がアレン・テージョ。ここでの川遊びは可能なのか?

テージョ川にはどんな魚がいるのだろうか。テージョ川の魚料理などはどうだろう。それに合う飲み物は何?

そしてアレン・テージョ(川向う)はポルトガルの穀倉地帯で、ど田舎らしいが、アレン・テージョ観光はありうるのか。その場合の交通手段は?またレンタカーか。オレ、去年シチリアでレンタカー旅行を卒業と決めたんだけどなあ・・・。

 

 

’16/11/15::地中海世界への旅_その5_よりみちポルトガル

さっきアキヒのウチへ行ってSpelt麦の脱稃をしてもらっているとき出た話しなのだが、飛行機を乗り換えるとき、その空港の外へ出ることが可能なのだという。アキヒはそうやって、いろいろ旅行をしたというのだ。

ということは、オレたち今回はフランクフルトで乗り継ぐわけだから、そこで外へ出ることが可能らしいのである。

可能であるばかりでなく、乗り継ぎを24h遅らせたり、48h遅らせたり、72h遅らせたり、・・・、もできるらし。ただし、ビザの要らない国ならっていう但し書きがつくという。モスクワなんてどうなんだろう?イスタンブルは?ローマとかパリは可能だよな、きっと。へ~。

ただし空港近辺のホテルはどこも高いらしい。

そういうのオレ、知らなかった。乗り継ぎ地で二、三日の観光が可能なんだ。

知りませんでした。旅なれなくって、どうもすみませんでした。

m(_ _”m)。

 

 

’16/11/15::地中海世界への旅_その5_よりみちポルトガル

( 詞/曲:ANTON GONZALEZ INAKI/CABRALES MATO ADOLFO、歌: Amália Rodrigues、アマリア・ロドリゲスの歌う「難破船」) 
Naufragio

Pus o meu sonho num navio
E o navio em cima do mar.
Depois abri o mar com as mãos
Para o meu sonho naufragar.
Minhas mãos ainda estão molhadas
Do azul das ondas, entreabertas.
E a cor que escorre dos meus dedos
Colore as areias desertas.
O vento vem, vindo de longe,
A noite se curva de frio.
Debaixo d’água vai morrendo meu sonho,
Vai morrendo dentro do navio.
Chorarei quanto for preciso
Para fazer com que o mar cresça
E o meu navio chegue ao fundo
E o meu sonho desapareç

2016/11/12:: 地中海世界への旅_その5_よりみちポルトガル

なんだか、知らない間にポルトガルへ行ってみようということになっている。そこは地中海世界とはいいづらいが、「よりみち」ってことで自分を許すことにして、今回はポルトガルに決まった。

きのうQnSがその航空券の手配をした。去年使ったのと同じフレック・インターナショナルで、である。内容は、

  • 来年2/20(月)10:50に成田をたち、
  • 15:05にフランクフルトに着き、19:15にリスボン行に乗り換え、
  • 21:20にリスボンに入る。
  • ・・・
  • 帰りは3/2(木)12:15ポルト発、フランクフルトに16:00着、19:10に成田ゆきに乗り換え、
  • 3/3(金)の14:30に成田に着く

ってやつだ。フランクフルト乗り換えは今回はじめて。そこ、ドイツなんでしょう?

その航空券の値段::200,300円/二人。

・・・』は、まだ何も決まっていない。ここで何をしたいのか?旅行ではこれが厄介だ。

そうは言っても、この手の旅行は今回で五回目なので、もう、かなり慣れた。

ちょっとポルトガルの地図をかかげておこう。行く前にポルトガルの勉強をしたい。たしか日本の種子島に鉄砲をもってきたのはポルトガル人ではなかったか・・・。1543年?

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こうしてみると、日本とポルトガルって、大陸を挟んで右と左なんだ・・・。極東対極西って感じだ。緯度は日本とほとんど変わらない。

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だけど、ポルトガル語の勉強はどうしよう。

いまラテン語やっているところだから、それとの関連はあるはずだけどなあ。

俗ラテン語の一つとしてのポルトガル語、ってか。

ふ~・・・。

でも。いまポルトガル語っていえば、本場はブラジルだよな。

う~・・・。

ここ、どういう国なんだろう?なんだか世界の端っこってみえる。

え~・・・。

まずは手始めにWikiでポルトガルを読んでみます。

地中海世界への旅_その5_③話してみた・・・

否定された。そういうのはダメだと言われた。ポルトガルがダメというのではなく、旅行のスタイルがいけないらしい。一か所に数日から十日ほどとどまって、そこを拠点にその周りを観光するというスタイルにしろというのだ。去年のシチリア旅行でトラーパニに一週間泊まって、あたりの観光をした、そのスタイルが気に入っているらしいのだ。

「リスボンに直接入って、そこでアパートを借りて、そこを拠点にあちこちへ出かけるのがいいと思うんだ!、アタイは!」

QnSはそう言い張ってきかない。

・・・。う~む。オレたちの旅行力では、それが一番かもしれない、とも思う。

「そうすれば、そこの市場で買い物して、自分で料理して、地の食材が食えるし。だろぅ?」

「それに、そういうところからはいろいろなガイド付きツアーがあるんよ。だから、観光はそれに参加すればいいサ!」

「レンタルWi-Fiルータを成田で借りて出れば、現地で観光情報はみられるし、街の地図はみられるし、それで街歩きも楽しめて、レストランだって飲み屋だって見つけられるんだから!自分のスマホでもパソコでもね。」

などという。

それにしても、ポルトガルは否定されていないぞ・・・。おまい、言いたいことがあるんなら、何かここで言ってみろよ! んな!

「ああ、のねえ~。オマイはよくわかってないのね・・・」

あ!そうか!前に調べたことがあった。地中海のヨーロッパ側の都市からはいろいろなアフリカツアーが出たりしているんだった。北アフリカの旅行だったら、そのツアーに現地参加すればいいんだ。思い出した。

 

 

地中海世界への旅_その5_②じゃあ、ギリシャか?

ん~と。ギリシャは行ってみたい国です。

じゃあ行きますか?

え~と、トルコも行ってみたい国です。いつか行きます。シリア・レバノン・イスラエル・ヨルダン・イラク / エジプト・リビア・チュニジア・アルジェリアも行ってみたいです。いつか行きます。モロッコは行きました。でも、もっと旅上手にならないと楽しめません。まだまだです。

で、どうするんですか。ギリシャどうするの?

なにか、ギリシャっていい評判をきかないんだよね・・・。観光旅行番組なんか見ているかぎりではいい感じなんだけど、実際行ってみるとかなりヒドイ目にあうらしい。キャッチバーに引き込まれて、ハニートラップにはめられて、身ぐるみ剥がれるとか・・・。旅行番組なんて、視聴率めあてだし、旅行会社がスポンサーだったりもするから、実際の旅行とはかけ離れている面がある。視聴率をあげられるように、旅行に行きたくなるように番組をつくるからだ。

そうかと言って、探検家とか学術調査とか旅行作家とか難民とかお笑い芸人の番組づくりとかジャーナリストの取材とか、聖地巡礼者などがする旅行とも違う。そういう旅行は、そういう立場に立った人がやるべき旅行で、オレにはそぐわない。オレは探検家ではないし、学術関係者でもないし、旅行作家でもないし、難民でもないし、お笑い芸人でもないし、ジャーナリストでもないし、巡礼者でもない。そぐわないのである。

オレのは観光旅行だ。観光旅行は名所・旧跡・地場のうまいもの・現地の芸能などにふれて楽しむことだ。だいたい、名所・旧跡、地場うまいもの、現地芸能などというものは、それとしてすでに知られ、人口に膾炙されているものでしかない。この「人口に膾炙されている」ということが観光旅行のミソである。それに触れることで、自分もその話題を話す者の一人になるという社会性の獲得なのだ。そのことが観光旅行の「楽しさ」の正体だろう。

なに、ぐずぐず言ってるの! で、ギリシャはどうするの?

う~。い、い、行き、行き、ません!!! もう少し後にします。旅のチカラがもうちょっとあがってからにします。ぽ、ぽ、ポルトガル・・・行ってみたいです・・・。「いいとこよ」ってトシコも言ってるし・・・。ウソかホントか、みてきたい。

それ、地中海沿岸国じゃあないじゃないの!

いいもん。スペインのバルセロナから入れば、いちおう地中海から始めるってことでカッコウがつくもん。・・・。

でもバルセロナからだと遠すぎる、か。マラガからにしようか・・・。まてよ、セビージャからの方が合理的かもな・・・。セビージャからウェルバに出て、ファロを通ってリスボンに行く。そこで何日か泊まって、ポルトを通り、再度スペインに入ってサンチアゴ・デ・コンポステーラに抜け、~~でピンチョスで一杯飲んで帰るってやつ、どうだろう。

その鉄道路線があるかどうか、調べてみます。これ、QnSに話してみようっと。ひえ!

 

地中海世界への旅_その5_①行先の安全

  • それで、そろそろ旅行のことを考えはじめないといけない。
  • まず、中東(シリア・レバノン・イスラエル・ヨルダン・イラク)はぜんぜんだめ。紛争地帯だから。難民もどんどん出てくる。とくにシリアから。
  • 北アフリカ地中海側(えじぷと・りびあ・ちゅにじあ・あるじぇりあ・もろっこ)の方は、外務省の渡航安全情報をみると、よくて、レベル1。つまり「それなりの注意が必要」となっている。
  • そのうち、モロッコは全体がレベル1.。ここは以前ちょっと行ったことがあるが、やはり、それなりの大変さがあった。ガイドつきでも、それなりに大変だった。
  • 「ガイドが裏切る」、から、です!
  • そうすると、残るのは、ギリシャとトルコなんだけど・・・。
  • どうするか?

 

注::外務省海外渡航安全情報: そういうサイトがあります。このサイトをみて、一応の安全確認をしています。

危険情報はレベル0からレベル4まで五段階ある。

レベル0::問題なし/ レベル1::じゅうぶん注意せよ! / レベル2::不要不急の渡航はやめよ! / レベル3::渡航はやめよ!(渡航中止勧告) / レベル4::退避せよ!渡航はやめよ!(退避勧告)

シリアなんてレベル4::真っ赤=退避せよ! となっている。

ちなみに北朝鮮を見てみると、上記のレベル付けはされておらず、地図全体がグレーに塗られ、「渡航を自粛してください」の文字が書かれている。イノキ議員とかは北朝鮮へ行ったりするから、国会議員ということで、そういうこともあるということで、そうなのだろうか。ロシアは全体がレベル1。で、部分的にレベル3のところがある。そこは黒海沿岸の、ウクライナとの紛争地帯です。

・・・。で、肝心なことは、このサイトでそれなりの危険情報が出されている地域って、いわゆる、オレのするような「観光旅行」をしてみても、「あまり楽しくない」のね。このことが肝心だと思っています。つまり、その地域のひとびとの「人情が荒れている」のです。特に都会の人情がきびしい。

反対にフランスなんかだと、その辺の犬を連れた散歩のご婦人でも、家族連れの若い男子でも、なんだかこちらが困って助けを求めると、それなりに親切な対応をしてくる。地域の経済状態と文化的伝統のちがいなんだとおもいます。中東やアフリカなんて、歴史的にひどいめばかりみてきたので、経済も発展させられず、伝統も維持できず、問題はいつもどうやってきょう一日を生き延びるかだから、そこにカモがいれば狩りますよ。

そういうことはモロッコに行ったときに経験的に知りました。つまり、その手の旅行者は、その地域の人びとにとっては、ネギを背負った「カモ」なんです。そういう地域で生きていくってことは、カモ狩りをすることなんだと思います。そこで生きるってことはそうすることなのだ。

ただし、これは都会での話で、田舎に行くと違うのだと見当をつけています。ただ、どうやって田舎観光するんですか?田舎観光なんてふつうできません。オレは日本の山梨の田舎に住んでいますが、ここに中国人、観光にきませんもの。近くの高原野菜地帯には「働きに」来はしますが・・・。

それはなぜ?これをひっ繰り返して日本の田舎を外国の田舎にみたててみれば理由は分かる。つまり、観光客って、それ自体がカモなんです。日本だってカモを呼びよせようといろいろ政策打ってますもんね。田舎にはこのカモを呼び寄せるための宿や食のサービスを提供するチカラがないからです。カモはエサのあるところにしか来ない。ここのところをウマくやるとニッチな観光業が可能だとおもいます。やってみなされ!

これでトルコを見てみると、トルコの南東側(=シリア・クエート・アルメニア側)は、ぜんぜんだめ。そこは、クルド人地域ですよね。北西のイスタンブルでレベル1.。このあいだイスタンブル空港で自爆テロがあったしね・・・。

この空港、二回使ったけど、使い勝手のデザインがすごく悪い。好きになれない。中、ぐちゃぐちゃ。オレの知る限りでは使い勝手のデザインではナリタが一番すぐれていると思う。さすがJ・デザインって感じ。すっきりしている。