予定::【収穫「フキノト」 〇・荷造り「ハクサイ・キリボ・トガラ・カボチ ・フキノト」 〇・出荷「なし」 ・その他「▽麦踏み①」✗・QnS「料理・洗濯」〇 ・猿きち「掃除 〇・笛::お洗濯ワルツ(❶第三の部分、❷通し)練習✗」 】☚☚19゜23 ´晴れだった。風(そんなにつよくないが吹いていた)。
〇(やった!)▽(途中だ!)✗(出来なかった!)
::なまぬるい いちにちがおわ り・めもても (だらしなくする にゅうみんまえの)::生温い 一日が 終わり 目も 手も だらしなくする 入眠前の::A lukewarm day is over and I make my eyes and hands slovenly before falling asleep.
・・・
朝、一日の予定確認をしながら書く日記なのだが、きょうはもう19:41である。このところ生活リズムが乱れているのはSNSにあるヤストミアユミのサイトを見に行って、コメントなどを書くからである。きのうはこんなことを書いた。
『建築の短大を卒業して先ずとび職になったのですが、そのとき卒研の先生が『スピノザなんかレンズ磨き職人だったんだからお前もがんばれ」と励ましてくれました。いまWikipediaで調べたら『当時科学に興味のある知識人は当たり前のようにレンズを磨いていたのが実態』『生計のためというより探究のため』だったんだと知りました。でもそう励ましてくれた先生に感謝こそあれ恨みはありません。そして先生はスピノザのような論をたてていました。
ホイヘンスの二台の振り子時計の共振現象を参照しスピノザは彼の哲学を作っていったとヤストミさんは紹介されましたが、その二台の振り子時計の「一台」を先生は「人」にいれかえたのです。それがどんな感じのものかというと「自転車に乗って人が行く」という喩えで説明していました。歩いて行くのでもなく飛行機で行くのでもなく自転車で行く。そこには固有の運動法則があるはずだし、自転車で行く人は、「行く」という「生活」の感じ方が、歩いて行くのとも飛行機で行くのとも違うだろう、というわけです。この「行く」を人のする全ての行為(例:「見る」「読む」「寝る」「食う」「争う」・・・など)に広げたものは、それぞれ対象物が「自転車」から「テレビ」「新聞」「ふとん」「飯」「敵」・・・「n」へと変わります。こういうものの見方でした。
この見方でそこにある家族とか会社とか国家とかを見てみろというのです。自転車ではよくわかるのですが、そうなるとボク等の手には負えませんでした。先生はこれを『ゆう態論』と呼んでいました。「ゆう」は漢字で「人偏+邑」と書きます。ワープロにはない字です。本も弟子の勧めで出版していたとおもいます。出版は40年くらい前のことです。
オレ自身、スピノザファンですが、本を読んだことはありません。こういうのをファンと言わないとおもいます。あちこちの噂話からスピノザ像を作ってそれへのファンです。ヤストミさんがスピノザの本を書いた場合はどうしようかな・・・。主著とおっしゃる『経済学の船出』も持ってないし。つまりオレはヤストミファンですが、スピノザファンになったのと同じ道筋を辿ってのことでした。
本は放送大学の教科書を試験前に読むくらいです。以前、放大に『ラテン語への案内』っていうような科目があり、これの単位は取れました。内容はまったく覚えていません。たまあにDuolingoで練習してみますが驚くほどできないことを白状します。『奪格』なんて聞くと「あれ~?」となってしまいます。
『ある一定のRatioをComunicatioしている』全体(=神)から経済の問題を考えようとしているのですね。オレも考えてみたいです。いったい「経済」ってどういう問題なんでしょう。そもそも「問題」ってなにかなあ。』
こんな文を書くのに囚われてしまっていて、そのうち抜けられるのを待っています。
笛::お洗濯ワルツ(❶第三の部分、❷通し)練習::できませんでした。