予定::【 ★収穫「なし」 ★荷造り「トマ・ジャガ・サト」 ★出荷「なし」 ★その他「▽トマ(マイカ片付け)・▽除草(手・刈り払い機・HKnM・トラクタ・グリホ)」 ★QnS「アライさん(行き)・料理・洗濯」・ 猿きち「掃除・▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習」】 ::☚☚10 ゜36´晴れ。風(北西2m/s)
〇(やった!)・▽(途中だ!)・無印(出来なかった!)
::なにとなに がつよくしんわ するのかも (のがたりとしゃか いがそれだろう):: 何と 何が 強く親和する のか? 物語と 社会が それだろう ::
::What has a strong affinity with what?
That’re a story and a society.
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このところハラスメント(=お為ごかしを装った暴力)の話題が多い。
ひと昔前までは、社会とは「そういうものだから」・「そうすべき」だで、通っていた。軍隊は序列が大事で、上官の命令には下の者は従わなくてはならなかった。ジャニーズも宝塚歌劇団も芸能界もスポーツ界も学術界も「そういうものだから」・「そうすべき」だった。
こう書いてきて突然STAP細胞の小保方 ハルコさんを思い出した。小保方さんも「そういうものだから」「そうした」人だったと思います。
オレ自身、このハラスメントに乗って暮らしてきたことを白状しなければならない。しかし白状する気になったのは、社会の運営にハラスメントがあってはならない、という論調が目立ってきたからなのだ。
「ハラスメント」は名詞である。そのハラスメントという名詞を使って作られる物語が、ハラスメントを責めるものが目立つようになってきた。それはSNSの発達によるだろう。テレビもラジヲも新聞も雑誌も本も、そんなものを使って物語を作らなかったということだった。それが「そういうもの」なら「そうする」のは仕方ないという訳だった。
しかしハラスメントがSNSで責められ、大方の支持を得ることに注目したい。どんな個人でもハラスメントのある現場で、何かの違和感を持っていたということの証左だと思います。
嫌なことはしなくて済む社会が来るのでしょうか。そのためにはそう言わなければならないというわけです。だって物語と社会が強く親和しているのですから。
▽笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::練習がしたい。