日別アーカイブ: 2024-01-07

予定::【 収穫【なし】 荷造り【なし 出荷【カボ・ジャガ】 その他【配管(掘り出し片付け)・除草(手・刈り払い機・HKnM・トラクタ・グリホ)】 QnS【料理・洗濯】・ 猿きち【掃除・笛(お洗濯ワルツ(通し)+自主練) ::☚☚8 ゜57´晴れ。風(北西5m/s )

(やった!)・▽(途中だ!)・無印(出来なかった!)

::まあねえと ものごとのふく ざつさをな (げいてみせてい るのがおれなの))::  まあ ねえ と、 物事の 複雑さを 嘆いて みせている のが オレなのだ ::

::Well, hey,
When I lament the complexity of things,
That’s what I say.

・・・

社会の「利用」ということを考えてみると「損」か「得」か以外、考えようがない。実際、社会を「得」に利用したいのが人情だが、そうも行かない。

実際に兄ちゃんとオレとの間で起こった事なのだ。兄ちゃんの盃に酒が満杯に注げてオレのそれには半分ほどしかなかったところで、瓶に酒がなくなった。二人とも酒好きな俺達にとって「損」か「得」かで考えたら兄ちゃんが「得」をして、オレが「損」をしたってことになるだろう。しかし果たしてそうか。

そういうことは人生のあらゆる所で起きる。いい子にする方が得で、算数のテストでは高得点の方が得で、百メートル競走では一番が得で、行くなら学校は東大が得で、就職なら一部上場企業や高級官僚になるのが得で、老後は安楽な暮らしが得で、死ぬなら苦しまずに死ぬのが得で・・・と表面的には(=社会的には)決まっているように観察できる。だって、そうなった方が人から褒められるからだ。

「しかし果たしてそうか」と疑問を呈しうるのは、物事が複雑に関連しているからである。盃に半分ほどで酒が切れたオレは「損」をしたのか、と問う事ができるからである。次に兄ちゃんが来るときはこのことを負債に感じて酒を一本持ってくることを期待できるのはオレである。

そういうことを教えてくれたのはヤストミ君だった。

 

笛(お洗濯ワルツ(通し)+自主練)::26,27,28の練習。

テンポ60くらいで練習しているときは出来るが、カラオケの速さで失敗する。