月別アーカイブ: 2023年6月

予定::【収穫「コムギ・ライ麦」 荷造り「なし」 出荷「なし」 その他「苗管理」 QnS「料理・洗濯」・ 猿きち「掃除・笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習」☚☚7゜44´晴れ。風(南5m/s                                                     

(やった!)▽(途中だ!)(出来なかった!)   

::そのゆめを みるためにいき たのになぜ (かきのうみたゆ めをわすれたおとこ)::その夢を見るために生きたのになぜか昨日みたゆめを忘れた

A man who lived to see that dream
he had seen it
but he forgot yesterday’s  

・・・

エロ夢でもなく、追いかけられて逃げられない夢でもなく、空を飛ぶ夢でもなく、大成功する夢でもなく、そんな夢をみられれば満足感がやってくる、というような夢だった。そんな夢を確かに昨日みたのだが思い出せない。それを思い出す努力をしなければならない。

努力一般が苦労だとすれば、父も母も『苦労、苦労で死んでった』人生になるだろう。ミワアキヒロに言わせれば『母ちゃん見てくれ、この姿』と、自慢話になる。それは機械機械の世の中で大学も出て『いまじゃ機械のエンジニア』になれた姿った。父は小説家になれず、母は普通の暮らしが手に入らなかったから、ミワのように『機械のエンジニア』になれなかった人でいいだろう。

そういえばゲンタに直してもらったコンバインがいい仕事をしていて、掻き込みベルトも切れることもなくなった。大いに助かっている。ゲンタはきっと機械のエンジニアになれた人だと思う。

が、オレがきのう見た夢はそういうのとちがっていて、それを思い出したいと切に願うのだが思い出せない。満足感(=幸福感)がある夢だった。それを思い出せない。思い出す努力が必要だ。

 

笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習::れ!

録音を採るなんて久しぶりだ。

予定::【収穫「コムギ」 荷造り「なし」 出荷「なし」 その他「苗管理」 QnS「買い物(食品とう)・料理・洗濯」・ 猿きち「掃除・笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習」☚☚7゜44´晴れ。風(南5m/s                                                     

(やった!)▽(途中だ!)(出来なかった!)   

::まんたろう ときいてだれを おもうのか (もしかしてまき のとみたろうか)::マンタロウと聞いて誰を思うのかもしかして牧野富太郎か

hear to “Mantaro”
who do you think about
Maybe TOMITARO MAKINO

・・・

きょうは晴れて、風もそこそこある。麦刈り日和だ。これから麦収穫を頑張るつもりだ。

麦の収穫はそれでいいのだが、テレビで『マンタロウ、マンタロウ』と言っている。テレビはQnSが毎朝みる「らんまん」だ。

どうやら、そこでマンタロウが結婚するらしい。すごい作り酒屋の蔵が出る。「らんまん」の主人公は牧野富太郎であることは知っていて、オレも子供のころに牧野監修の植物図鑑を使っていた。

そういうところに育てばものの感じ方も違ってくるだろうと思った。オレなんか二反百姓の長男で父は小説家になりたい人だった。路上で詩を売ったりもしたらしい。オレが路上芸人になりたいと思うようになったのはそのせいだと思う。母は行きそびれの百姓の娘で、こっちの方は「普通であること」の価値感を刷り込まれた。

父母に刷り込まれたものは仕方がない。避けようがない。赤ん坊や子供は親に適応するしか生きるすべがないからだ。

 

笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習::.出してしまえばいいのだが、なかなか気分がのらない。練習はしている。

                                

予定::【収穫「コムギ」 荷造り「なし」 出荷「ジャガイ」 その他「苗管理」 QnS「料理・洗濯」・ 猿きち「掃除・笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習」☚☚6゜56´曇り。風(なし                                                     

(やった!)▽(途中だ!)(出来なかった!)   

::じゃがいもを うりにゆくおと このかおは (くらくなげきは うれないことだ)::馬鈴薯を売りに行く男の顔は暗く嘆きは売れないことだ

::The potatoes
The face of the man is dark who goes to sell  them
His grief is that it does not s
ale well 

・・・

 

人口減少社会では「ものが売れない」と聞く。おれもそれを経験している。ジャガイモが売れないのがそれだ。値下げ競争がおこってしまう。それがかなりきつい。

しかし翻って考えると、人口減少社会にものが売れない原因があるのかどうかもハッキリしない。人口問題なんて言えば「人口爆発」のことだったが、人口減少社会が出てくるなんて予想だにしなかった。

人口減少社会の「当事者」になってみたい。どう運営していけばみんなが幸せになれるのかを考えて、考えた通りにすることを「まかせて」もらいたい。それが当事者ってことだ。決めて、やってみる権限があること、これが当事者性だ。

さういえば、傘売の爺さんは街に傘売に行ったのだが売れず、売れ残りの傘をお地蔵さんに着せて、予期せぬ御礼を得たのだった(傘地蔵)。人口減少社会のジャガイモを爺さんの傘に変えるには「当事者」になることが必要だと思う。自・公・維新がうまくやってもくれないし、令和・共産・立民がうまくやってもくれもしないだろう。それらの政党は国民の特定の集団の利益を代表しているに過ぎないからだ。

多数決というものの決め方のなかにある、少数者切捨てが人々を不幸にしていると思う。LGBTQがそれだ。自分で決めて、自分でやれる当事者性を回復すべきだ。レズビアンの人が「アタイ、女が好きで彼女(=花子)と一緒に暮らしたいのよね・・・」と声をかけられれば、「そうしなよ」と言いますよ。

国民国家(例:日本)などは人口が多すぎて多数決でその行き方を決めざるをえない。藩政だったらみんなが当事者になれる気がする。ウチダタツルなどもそういう構想を持っているようだ。

富国強兵が目標の国民国家にはもう無理だ。

 

笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習::練習!