月別アーカイブ: 2023年7月

  • 予定::【収穫「トマト・キウリ・ナス・インゲ」 荷造り「なし」 出荷「なし」 その他「23トマ畑(誘引、芽掻き、下葉掻き、受粉・除草「手」)除草(トラクタ)」 QnS「料理・洗濯」・ 猿きち「掃除・笛:お洗濯ワルツ(通し)練習」 ::☚☚5゜33´くもり。風(なし) 

実施:「(やった!)・▽(途中だ!)・無印(出来なかった!)」   

::おもいでが あるはずなのに でてこない (なんだったのか そのおもいでは)::思い出があるはずなのに出てこない、何だったのか、その思い出は

::I should have memories,
It does not come out,
What was that memory?

・・・

「知る」と「好き」と「楽しむ」が話題だ。論語の話である。

『これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』

π(3.141517…)とe(2.7182818…)について「知って」はいるが、「好き」とか「楽しむ」とかはどうなんだろうという自分自身への疑問がわいた。

「如かず」は「敵わない」でいいのだろうか。

オリンピックとか運動競技会などでは選手が「楽しみたい!」と言うのをよく聞くが、あれって、論語からきているんだと思った。こんなのもポジティブフードバックの例だとおもう。

ポジティブフードバック(=PFB。有名なもの・有力なもの・権力のあるものに寄りかかって盛り上がること)。オリンピックだの万博だの世界陸上だのノーベル賞だのリニア新幹線だのの向こうにはそんなものがある・・・。PFBは人間社会構成の一大要素と睨んでいます。ウクライナ戦争なんか、ロシアのPFBの結果だと思うのです。プチンなんかPFBをあてにしなかったら戦争なんかできないよ。太平洋戦争も同じ仕組みだ。ヒトラのナチス・ドイツも同じ。1975~1979年ポル・ポトのクメール・ルージュの150~200万人の虐殺も。キンペの中国共産党もおなじ仕組み、PFBを働かせている。

素数については具体的に例はあげられる(知ってはいる)が、それが何だかは知っていない。素数については素因数分解とか楽しみはいろいろある。フェルマーの最終定理(=予想);『3 以上の自然数n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない』などにも素数は大活躍する。この問題は1995年にアンドリュー・ワイルズによって証明されたばかりだ。数学者の努力にもかかわらず、素数の一般項はまだ発見されていない・・・。数学者の努力を傍からみて楽しんではいる。好きかと訊かれると心もとない。「知る」「好き」「楽しむ」について、それって、そんなに別のことなのだろうかという疑ひがわく。孔子さん、おせーて。

素数ついでに;素因数分解をみてみよう。

素因数分解::『ある正の整数(=自然数)を素数の積であらわすこと。自然数は一意に素因数分解される。例;1=1・1、5=1・5、6=1・2・3、111=1・3・37、112=1・2・2・2・2・7、など。通常1は書かない(1は乗法の単位元だから)。(Bing)』

(正の整数⦅=自然数⦆が素因数分解できることの)証明::『素因数分解できない自然数が存在すると仮定し、その最小のものをnとする。素数も素因数分解できるので、nは素数ではない。よってnは1より大きく、nより小さい約数をもち、n=abとあらわせる。最小性の仮定より、aとbは素数の積であらわせる。つまり素因数分解できない自然数は存在しない。すべての自然数は素因数分解できる。(Bing)』

証明って、こんなふうになっていますぜ。なんか、よくわかんねえな・・・。全体に「知る」と「好き」と「楽しむ」がごったまぜになってる気がする。数学の証明はだいたいわからない。分からないが、謎めいているところが好きで楽しい。分かったら(=知ったら)もっといい。

 

笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::130BPMでのれ!

まだ下手だ。

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実施:「(やった!)・▽(途中だ!)・無印(出来なかった!)」   

::たくくうに えんばんがあり まるくある (ひかっているが うごかないまる) ::卓空に円盤があり、丸く在る、光っているが動かない丸

::There is sky above the desk,
The round thing is shining the space,
But the circle doesn’t move.

・・・

なにかつまんねえ。

UFOなんか動くんでしょう。それ、だいたい丸いんでしょう。

卓上の空間に卓上灯があり、それは丸く動かないから「なんかツマンねえなあ」と思った。が、もしかすると動かないことが良いのかもしれないとも思う。

蚊とか蝶々とかスズメのように動き回るものだったら困る。卓上灯の用をしない。

 

笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::130BPMで練習。::

できませんでした・・・。

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実施:「(やった!)・▽(途中だ!)・無印(出来なかった!)」   

::みみすませ ばとりのこえい くしゅその (ないえずふしぎ せいてんのもり) ::耳澄ませば鳥の声いく種、その名いえず不思議、晴天の森

::It’s strange if you listen carefully,
you can hear the voices of birds,
But you can’t say the names.

・・・

うう。

人事と自然を取り合わせて詩を作るって手は昔から知られている。では、何と何を取り合わせればいいのか。

別れ(人事)をノイバラ(自然)に取り合わせて有名な詩をごぞんじだろうか。おれ、そんなのがあると思うのだが、思い出せずに苦しんでいる。例の:

『童は見たり 野中の薔薇 清らに咲ける その色愛でつ 飽かずながむ 紅におう 野なかの薔薇 手折りて往かん 野なかの薔薇 / 手折らば手折れ 思出ぐさに 君を刺さん 紅におう 野なかの薔薇 童は折りぬ 野なかの薔薇 折られてあわれ 清らの色香』

Heidenröslein (Johann Wolfgang von Goethe) / Sah ein Knab’ ein Röslein stehn, Röslein auf der Heiden, War so jung und morgenschön,  Lief er schnell, es nah zu sehn, Sah’s mit vielen Freuden. / Röslein, Röslein, Röslein rot,  Röslein auf der Heiden. / Knabe sprach: ich breche dich,  Röslein auf der Heiden! / Röslein sprach: ich steche dich,  Dass du ewig denkst an mich, Und ich will’s nicht leiden. / Röslein, Röslein, Röslein rot, / Röslein auf der Heiden. / Und der wilde Knabe brach ‘s  Röslein auf der Heiden;/ Röslein wehrte sich und stach,  Half ihm doch kein Weh und Ach, Musst’ es eben leiden. / Röslein, Röslein, Röslein rot,  Röslein auf der Heiden.)

なんかどうだろう。ゲーテ(Goethe)の詩で、近藤朔風の訳詩だ。このドイツ語原詩に作曲した人はシューベルト、ヴェルナー、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスなどがいる。たしかにドイツ語を声に出して読めば作曲したくなるようなリズムを持っているが、内容はつまらない。『古池や 蛙飛び込む 水の音』と比べてほしい。古池は人事で、蛙は自然で、そこに水の音がでてくる。

 

笛:お洗濯ワルツ(通し)練習::130BPMでのれ!

26~29小節がうまくできない。