日別アーカイブ: 2023-07-01

予定::【収穫「コムギ・ライ麦」 荷造り「なし」 出荷「なし」 その他「苗管理・23トマ畑(誘引、芽掻き、下葉掻き、受粉」 QnS「料理・洗濯」・ 猿きち「掃除・笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習」☚☚8゜40´雨。風(なし                                                     

(やった!)▽(途中だ!)(出来なかった!)   

::しちがつに なってしまって そのゆめは (わすれてなつを いきるかくごだ)::七月になってしまってその夢は忘れて夏を生きる覚悟だ

::t’s July
forget that dream
I’m prepared to live through the summer

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けさも雨が降っている。二日続きだ。

『利害関係者が対話して、上位の目標で合意し、その目標の実現のために当事者になること』だと工藤勇一に教わった。問題は「当事者」でなくなってしまうことで、「家畜」になってしまうことだった。

当事者は家畜ではない。自分で自分を飼う家畜はいない。人間にはどこかで何かした拍子に他者に飼われてしまうようなことが起こる。

おれ自身はうまく飼ってくれるなら家畜でもいいや、という考えでやってきた。政治への関心は「うまく飼ってもらうこと」以外の何でもなかった。たとえば北杜市の運営の「当事者」って誰のことだろうと疑う。明石市の泉房穂市長の成功とは、市民を「うまく飼う」ことではなかったかという疑問も湧く。市長と市議会議員(=二元代表制)が市を運営する当事者じゃあないか。市民は家畜ではないのか。そこに市民はどうやって「当事者」になれるのか、という疑問だ。制度的には市の運営の当事者になれない。市長になるか議員になるかしか当事者になれない。

これは人間社会の作られ方の問題になるだろう。赤ん坊は、それが産みっぱなしの親でも、親のもとに生れる以外ない。虚構を使わづに人間社会が作れるとも思わない。『利害関係者が対話して、上位の目標で合意し、その目標の実現のために当事者になること』という言い方も、今まで「誰も思いつかなかった虚構」だろう。その虚構に沿って学校が運営されるなら、歴史的にそういう虚構をとった方がいい時がきたということだ。

社会と言うが、社会は家族・会社・学校・市町村・県・国くらいで考えている。そこで人はどう関係するのかという問題だ。

 

笛:お洗濯ワルツ(❶第三部分、❷通し)練習::れ!